エッセー1
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はやし浩司
【01】 親が子どもに手をかけすぎるとき 
    

●「どうして泣かすのですか!」 

 年中児でも、あと片づけのできない子どもは、一〇人のうち、二、三人はいる。皆が道具をバッグの中にしまうときでも、ただ立っているだけ。あるいはプリントでも力まかせに、バッグの中に押し込むだけ。しかも恐ろしく時間がかかる。「しまう」という言葉の意味すら理解できない。そういうとき私がすべきことはただ一つ。片づけが終わるまで、ただひたすら、じっと待つ。

S君もそうだった。私が身振り手振りでそれを促していると、そのうちメソメソと泣き出してしまった。こういうとき、子どもの涙にだまされてはいけない。このタイプの子どもは泣くことによって、その場から逃げようとする。誰かに助けてもらおうとする。しかしその日は運の悪いことに、たまたまS君の母親が教室の外で待っていた。母親は泣き声を聞きつけると部屋の中へ飛び込んできて、こう言った。「どうしてうちの子を泣かすのですか!」と。ていねいな言い方だったが、すご味のある声だった。

●親が先生に指導のポイント

 原因は手のかけすぎ。S君のケースでは、祖父母と、それに母親の三人が、S君の世話をしていた。裕福な家庭で、しかも一人っ子。ミルクをこぼしても、誰かが横からサッとふいてくれるような環境だった。しかしこのタイプの母親に、手のかけすぎを指摘しても、意味がない。第一に、その意識がない。「私は子どもにとって、必要なことをしているだけ」と考えている。あるいは子どもに楽をさせるのが、親の愛だと誤解している。手をかけることが、親の生きがいになっているケースもある。中には子どもが小学校に入学したとき、先生に「指導のポイント」を書いて渡した母親すらいた。(親が先生に、だ!)「うちの子は、こうこうこういう子ですから、こういうときには、こう指導してください」と。

●泣き明かした母親

 あるいは息子(小六)が修学旅行に行った夜、泣き明かした母親もいた。私が「どうしてですか」と聞くと、「うちの子はああいう子どもだから、皆にいじめられているのではないかと、心配で心配で……」と。それだけではない。私のような指導をする教師を、「乱暴だ」「不親切だ」と、反対に遠ざけてしまう。S君のケースでは、片づけを手伝ってやらなかった私に、かえって不満をもったらしい。そのあと母親は私には目もくれず、子どもの手を引いて教室から出ていってしまった。こういうケースは今、本当に多い。そうそう先日も埼玉県のある私立幼稚園で講演をしたときのこと。そこの園長が、こんなことを話してくれた。「今では、給食もレストラン感覚で用意してあげないと、親は満足しないのですよ」と。こんなこともあった。

●「先生、こわい!」

 中学生たちをキャンプに連れていったときのこと。たき火の火が大きくなったとき、あわてて逃げてきた男子中学生がいた。「先生、こわい!」と。私は子どものときから、ワンパク少年だった。喧嘩をしても負けたことがない。他人に手伝ってもらうのが、何よりもいやだった。今でも、そうだ。そういう私にとっては、このタイプの子どもは、どうにもこうにも私のリズムに合わない。このタイプの子どもに接すると、「どう指導するか」ということよりも、「何も指導しないほうが、かえってこの子どものためにはいいのではないか」と、そんなことまで考えてしまう。

●自分勝手でわがまま

 手をかけすぎると、自分勝手でわがままな子どもになる。幼児性が持続し、人格の「核」形成そのものが遅れる。子どもはその年齢になると、その年齢にふさわしい「核」ができる。教える側から見ると、「この子はこういう子だという、つかみどころ」ができる。が、その「核」の形成が遅れる。

 子育ての第一目標は、子どもをたくましく自立させること。この一語に尽きる。しかしこのタイプの子どもは、(親が手をかける)→(ひ弱になる)→(ますます手をかける)の悪循環の中で、ますますひ弱になっていく。昔から過保護児のことを「温室育ち」というが、まさに温室の中だけで育ったような感じになる。人間が本来もっているはずの野性臭そのものがない。そのため温室の外へ出ると、「すぐ風邪をひく」。キズつきやすく、くじけやすい。ほかに依存性が強い(自立した行動ができない。ひとりでは何もできない)、金銭感覚にうとい(損得の判断ができない。高価なものでも、平気で友だちにあげてしまう)、善悪の判断が鈍い(悪に対する抵抗力が弱く、誘惑に弱い)、自制心に欠ける(好きな食べ物を際限なく食べる。薬のトローチを食べてしまう)、目標やルールが守れないなど、溺愛児に似た特徴もある。

●「心配」が過保護の原因

 親が子どもを過保護にする背景には、何らかの「心配」が原因になっていることが多い。そしてその心配の内容に応じて、過保護の形も変わってくる。食事面で過保護にするケース、運動面で過保護にするケースなどがある。

 しかし何といっても、子どもに悪い影響を与えるのは、精神面での過保護である。「近所のA君は悪い子だから、一緒に遊んではダメ」「公園の砂場には、いじめっ子がいるから、公園へ行ってはダメ」などと、子どもの世界を、外の世界から隔離してしまう。そしておとなの世界だけで、子育てをしてしまう。本来子どもというのは、外の世界でもまれながら、成長し、たくましくなる。が、精神面で過保護にすると、その成長そのものが、阻害される。

 そんなわけで子どもへの過保護を感じたら、まずその原因、つまり何が心配で過保護にしているかをさぐる。それをしないと、結局はいつまでたっても、その「心配の種」に振り回されることになる。

●じょうずに手を抜く

 要するに子育てで手を抜くことを恐れてはいけない。手を抜けば抜くほど、もちろんじょうずにだが、子どもに自立心が育つ。私が作った格言だが、こんなのがある。

『何でも半分』……これは子どもにしてあげることは、何でも半分でやめ、残りの半分は自分でさせるという意味。靴下でも片方だけをはかせて、もう片方は自分ではかせるなど。

『あと一歩、その手前でやめる』……これも同じような意味だが、子どもに何かをしてあげるにしても、やりすぎてはいけないという意味。「あと少し」というところでやめる。同じく靴下でたとえて言うなら、とちゅうまではかせて、あとは自分ではかせるなど。

●子どもはカラを脱ぎながら成長する

 子どもというのは、成長の段階で、そのつどカラを脱ぐようにして大きくなる。とくに満四・五歳から五・五歳にかけての時期は、幼児期から少年少女期への移行期にあたる。この時期、子どもは何かにつけて生意気になり、言葉も乱暴になる。友だちとの交際範囲も急速に広がり、社会性も身につく。またそれが子どものあるべき姿ということになる。が、その時期に溺愛と過保護が続くと、子どもはそのカラを脱げないまま、体だけが大きくなる。たいていは、ものわかりのよい「いい子」のまま通り過ぎてしまう。これがいけない。それはちょうど借金のようなもので、あとになればなるほど利息がふくらみ、返済がたいへんになる。同じようにカラを脱ぐべきときに脱がなかった子どもほど、何かにつけ、あとあと育てるのがたいへんになる。
 いろいろまとまりのない話になってしまったが、手のかけすぎは、かえって子どものためにならない。これは子どもを育てるときの常識である。
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【02】 子どもの心が燃え尽きるとき   
  
●「助けてほしい」 
  
 ある夜遅く、突然、電話がかかってきた。受話器を取ると、相手の母親はこう言った。「先生、助けてほしい。うちの息子(高二)が、勉強しなくなってしまった。家庭教師でも何でもいいから、してほしい」と。浜松市内でも一番と目されている進学校のA高校のばあい、一年生で、一クラス中、二〜三人。二年生で、五〜六人が、燃え尽き症候群に襲われているという(B教師談)。一クラス四〇名だから、一〇%以上の子どもが、燃え尽きているということになる。この数を多いとみるか、少ないとみるか?

●燃え尽きる子ども

 原因の第一は、家庭教育の失敗。「勉強しろ、勉強しろ」と追いたてられた子どもが、やっとのことで目的を果たしたとたん、燃え尽きることが多い。気が弱くなる、ふさぎ込む、意欲の減退、朝起きられない、自責の念が強くなる、自信がなくなるなどの症状のほか、それが進むと、強い虚脱感と疲労感を訴えるようになる。概してまじめで、従順な子どもほど、そうなりやすい。で、一度そうなると、その症状は数年単位で推移する。脳の機能そのものが変調する。ほとんどの親は、ことの深刻さに気づかない。気づかないまま、次の無理をする。これが悪循環となって、症状はさらに悪化する。その母親は、「このままではうちの子は、大学へ進学できなくなってしまう」と泣き崩れていたが、その程度ですめば、まだよいほうだ。

●原因は家庭、そして親

 親の過関心と過干渉がその背景にあるが、さらにその原因はと言えば、親自身の不安神経症などがある。親が自分で不安になるのは、親の勝手だが、その不安をそのまま子どもにぶつけてしまう。「今、勉強しなければ、うちの子はダメになってしまう!」と。そして子どもに対して、しすぎるほどしてしまう。ある母親は、毎晩、子ども(中三男子)に、つきっきりで勉強を教えた。いや、教えるというよりは、ガミガミ、キリキリと、子どもを叱り続けた。子どもは子どもで、高校へ行けなくなるという恐怖から、それに従った。が、それにも限界がある。言われたことはしたが、効果はゼロ。だから母親は、ますますあせった。あとでその母親は、こう述懐する。「無理をしているという思いはありました。が、すべて子どものためだと信じ、目的の高校へ入れば、それで万事解決すると思っていました。子どもも私に感謝してくれると思っていました」と。

●休養を大切に

 教育は失敗してみて、はじめて失敗だったと気づく。その前の段階で、私のような立場の者が、あれこれとアドバイスをしてもムダ。中には、「他人の子どものことだから、何とでも言えますよ」と、怒ってしまった親もいる。私が、「進学はあきらめたほうがよい」と言ったときのことだ。そして無理に無理を重ねる。が、さらに親というのは、身勝手なものだ。子どもがそういう状態になっても、たいていの親は自分の非を認めない。「先生の指導が悪い」とか、「学校が合っていない」とか言いだす。「わかっていたら、どうしてもっとしっかりと、アドバイスしてくれなかったのだ」と、私に食ってかかってきた父親もいた。

 一度こうした症状を示したら、休息と休養に心がける。「高校ぐらい出ておかないと」式の脅しや、「がんばればできる」式の励ましは禁物。今よりも症状を悪化させないことだけを考えながら、一にがまん、二にがまん。あとは静かに「子どものやる気」が回復するのを待つ。

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ント はやし浩司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市 金沢大学法文学部卒 はやし浩司 教育評論家 幼児教育評論家 林浩
司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 はやしひろし 林ひろし 静岡県 浜松市 幼
児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 はやし浩司・林浩二(司) 林浩司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐
阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 Hiroshi Hayashi / 1970 IH student/International House / Melbourne Univ.
【03】親が愛に溺れるとき
 
●溺愛は、愛ではない

 溺愛は愛ではない。代償的愛という。いわば自分の心のすき間を埋めるための、自分勝手な愛のことだと思えばよい。この溺愛がふつうの愛と違う点は、@親子の間にカベがないこと。こんなことがあった。

参観授業でのこと。A君(年長児)がB君(年長児)に向かって、「バカ!」と言ったときのことである。その直後、うしろに並んでいた母親たちの間から、「バカとは、何よ!」という声が聞こえてきた。またこんな例も。ある母親が私のところにやってきて、こう言った。「先生、私、娘(年中児)が、風邪で幼稚園を休んでくれると、うれしいのです。一日中、娘の世話ができると思うと、うれしいのです。それにね、先生、私、主人なんかいてもいなくても、どちらでもいいような気がします。娘さえ、いてくれれば。それでね、先生、私、異常でしょうか?」と。私はしばらく考えてこう答えた。「異常です」と。

ほかに中学三年の息子が初恋をしたことについて、激しく嫉妬した母親もいた。ふつうの嫉妬ではない。その母親は、相手の女の子の写真を私の前に並べながら、人目もはばからず、大声で泣き叫んだ。「こんな女のどこがいいのですか!」と。

 次にA溺愛する親は、その溺愛を、えてして「親の深い愛」と誤解する。ある高校の山岳部の懇談会で、先生が親たちに向かって、「皆さんは、お子さんが汚した登山靴をどうしていますか」と聞いたときのこと。それに答えて一人の母親がまっ先に手をあげて、こう言った。「この靴が息子を無事、私のところに返してくれたのだと思うと、ただただいとおしくて、頬ずりしています!」と。

●精神的な弱さが原因

 親が溺愛に走る背景には、親自身の精神的な弱さと、情緒的な欠陥がある。それがたとえば生活への不安や、夫への満たされない愛、あるいは子どもの事故や病気が引き金となって、親は溺愛に走るようになる。が、溺愛に走るのは親の勝手だとしても、その影響は、子どもに表れる。子どもはいわゆる溺愛児と呼ばれる子どもになる。特徴としては、@幼児性の持続(年齢に比して幼い感じがする)、A退行的になる(目標や規則が守れず、自己中心的になる)、B服従的になりやすい(依存心が強く、わがままな反面、優柔不断)、C柔和でおとなしく、満足げでハキがなくなる。ちょうど膝に抱かれたペットのように見えることから、私は勝手にペット児(失礼!)と呼んでいるが、そういった感じになる。が、それで悲劇が終わるわけではない。

●子どもはカラを脱ぎながら成長する

 子どもというのは、その年齢ごとに、ちょうど昆虫がカラを脱ぐようにして成長する。たとえば子どもには、満四・五歳から五・五歳にかけて、たいへん生意気になる時期がある。この時期を中間反抗期と呼ぶ人もいる。この時期を境に、子どもは幼児期から少年少女期へと移行する。しかし溺愛児にはそれがない。ないまま、大きくなる。そしてある時、そのカラを一挙に脱ごうとする。が、簡単には脱げない。たいてい激しい家庭内騒動をともなう。子「こんなオレにしたのは、お前だろ!」、母「ごめんなさア〜イ。お母さんが悪かったア〜!」と。しかし子どもの成長ということを考えるなら、むしろこちらのほうが望ましい。カラをうまく脱げない子どもは、超マザコンタイプのまま、体だけはおとなになる。昔、「冬彦さん」(テレビドラマ「ずっとあなたが好きだった」の主人公)という男性がいたが、そうなる。

●生きがいを別に

 この溺愛を防ぐためには、親自身が子どもから目を離さなければならない。しかし実際には難しい。このタイプの親ほど、「子離れをしよう」とあせればあせるほど、子育てのアリ地獄へと落ちていく……。では、どうするか。親自身が、子育てとは別に、別の場所で生きがいを求める。ボランティア活動でも、仕事でも。子育て以外に、没頭できるものを別に求める。ある母親は手芸の店を開いた。また別の母親は、医療事務の講師を始めた。そういう形で、その結果として、子どもから離れる。子どもを忘れ、ついで子育てを忘れる。 

writer/essayist/law student/Japan/born in 1947/武義高校 林こうじ はやしこうじ 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ
 金沢大学法文学部卒 教育評論家 ハローワールド(雑誌)・よくできました(教材) スモッカの知恵の木 ジャックと英語の木 (CAI) 
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【04】子どもがウソをつくとき

●ウソにもいろいろ

 ウソをウソとして自覚しながら言うウソ「虚言」と、あたかも空想の世界にいるかのようにしてつくウソ「空想的虚言」は、区別して考える。

 虚言というのは、自己防衛(言い逃れ、言いわけ、自己正当化など)、あるいは自己顕示(誇示、吹聴、自慢、見栄など)のためにつくウソをいう。子ども自身にウソをついているという自覚がある。母「誰、ここにあったお菓子を食べたのは?」、子「ぼくじゃないよ」、母「手を見せなさい」、子「何もついてないよ。ちゃんと手を洗ったから……」と。

 同じようなウソだが、思い込みの強い子どもは、思い込んだことを本気で信じてウソをつく。「昨日、通りを歩いたら、幽霊を見た」とか、「屋上にUFOが着陸した」というのがそれ。その思い込みがさらに激しく、現実と空想の区別がつかなくなってしまった状態を、空想的虚言という。こんなことがあった。

●空想の世界に生きる子ども

 ある日突然、一人の母親から電話がかかってきた。そしてこう言った。「うちの子(年長男児)が手に大きなアザをつくってきました。子どもに話を聞くと、あなたにつねられたと言うではありませんか。どうしてそういうことをするのですか。あなたは体罰反対ではなかったのですか!」と。ものすごい剣幕だった。が、私には思い当たることがない。そこで「知りません」と言うと、その母親は、「どうしてそういうウソを言うのですか。相手が子どもだと思って、いいかげんなことを言ってもらっては困ります!」と。

 その翌日その子どもと会ったので、それとなく話を聞くと、「(幼稚園からの)帰りのバスの中で、A君につねられた」と。そのあと聞きもしないのに、ことこまかに話をつなげた。が、そのあとA君に聞くと、A君も「知らない……」と。結局その子どもは、何らかの理由で母親の注意をそらすために、自分でわざとアザをつくったらしい……、ということになった。こんなこともあった。

●「お前は自分の生徒を疑うのか!」

 ある日、一人の女の子(小四)が、私のところへきてこう言った。「集金のお金を、バスの中で落とした」と。そこでカバンの中をもう一度調べさせると、集金の袋と一緒に入っていたはずの明細書だけはカバンの中に残っていた。明細書だけ残して、お金だけを落とすということは、常識では考えられなかった。そこでその落としたときの様子をたずねると、その女の子は無表情のまま、やはりことこまかに話をつなげた。「バスが急にとまったとき体が前に倒れて、それでそのときカバンがほとんど逆さまになり、お金を落とした」と。しかし落としたときの様子を覚えているというのもおかしい。落としたなら落としたで、そのとき拾えばよかった……?

 で、この話はそれで終わったが、その数日後、その女の子の妹(小二)からこんな話を聞いた。何でもその女の子が、親に隠れて高価な人形を買ったというのだ。値段を聞くと、落としたという金額とほぼ一致していた。が、この事件だけではなかった。そのほかにもおかしなことがたびたび続いた。「宿題ができなかった」と言ったときも、「忘れ物をした」と言ったときも、そのつど、どこかつじつまが合わなかった。そこで私は意を決して、その女の子の家に行き、父親にその女の子の問題を伝えることにした。が、私の話を半分も聞かないうちに父親は激怒して、こう叫んだ。「君は、自分の生徒を疑うのか!」と。そのときはじめてその女の子が、奥の部屋に隠れて立っているのがわかった。「まずい」と思ったが、目と目があったその瞬間、その女の子はニヤリと笑った。

ほかに私の印象に残っているケースでは、「私はイタリアの女王!」と言い張って、一歩も引きさがらなかった、オーストラリア人の女の子(六歳)がいた。「イタリアには女王はいないよ」といくら話しても、その女の子は「私は女王!」と言いつづけていた。

●空中の楼閣に住まわすな

 イギリスの格言に、『子どもが空中の楼閣を想像するのはかまわないが、そこに住まわせてはならない』というのがある。子どもがあれこれ空想するのは自由だが、しかしその空想の世界にハマるようであれば、注意せよという意味である。このタイプの子どもは、現実と空想の間に垣根がなくなってしまい、現実の世界に空想をもちこんだり、反対に、空想の世界に限りないリアリティをもちこんだりする。そして一度、虚構の世界をつくりあげると、それがあたかも現実であるかのように、まさに「ああ言えばこう言う」式のウソを、シャーシャーとつく。ウソをウソと自覚しないのが、その特徴である。

●ウソは、静かに問いつめる

 子どものウソは、静かに問いつめてつぶす。「なぜ」「どうして」を繰り返しながら、最後は、「もうウソは言わないこと」ですます。必要以上に子どもを責めたり、はげしく叱れば叱るほど、子どもはますますウソがうまくなる。

 問題は空想的虚言だが、このタイプの子どもは、親の前や外の世界では、むしろ「できのいい子」という印象を与えることが多い。ただ子どもらしいハツラツとした表情が消え、教える側から見ると、心のどこかに膜がかかっているようになる。いわゆる「何を考えているかわからない子ども」といった感じになる。

 こうした空想的虚言を子どもの中に感じたら、子どもの心を開放させることを第一に考える。原因の第一は、強圧的な家庭環境にあると考えて、親子関係のあり方そのものを反省する。とくにこのタイプの子どものばあい、強く叱れば叱るほど、虚構の世界に子どもをやってしまうことになるから注意する。

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【05】子どもがチックになるとき

●チックの子ども 

 チックと呼ばれる、よく知られた症状がある。幼児の一〇人に一人ぐらいの割合で経験する。「筋肉の習慣性れん縮」とも呼ばれ、筋肉の無目的な運動のことをいう。子どもの意思とは無関係に起こる。時と場所を選ばないのが特徴で、これをチックの不随意性という。たいていは首から上に症状が出る。首をギクギクと動かす、目をまばたきさせる、眼球をクルクル動かす、咳払いをする、のどをウッウッとうならせるなど。つばを吐く、つばをそでにこすりつけるというのもある。上体をグイグイと動かしたり、さらにひどくなると全身がけいれん状態になり、呼吸困難におちいることもある。稀に数種類のチックを、同時に発症することもある。七〜八歳をピークとして発症するが、おかしな行為をするなと感じたら、このチックを疑ってみる。症状は千差万別で、そのためたいていの親は、それを「変なクセ」と誤解する。しかしチックはクセではない。だから注意をしたり、叱っても意味がない。ないだけではなく、親が神経質になればなるほど、症状はひどくなる。

●回り道をして賢くなる?

 ……というようなことは、私たちの世界では常識中の常識なのだが、どんな親も、親になったときから、すべてを一から始める。チックを知らないからといって、恥じることはない。ただ子育てには謙虚であってほしい。あなたは何でも知っているつもりかもしれないが、知らないことのほうが多い。こんな子ども(年長女児)がいた。その子どもは、母親が何度注意をしても、つばを服のそでにこすりつけていた。そのため、服のそでは、唾液でベタベタ。そこで私はその母親に、「チックです」と告げたが、母親は私の言うことなど信じなかった。病院へ連れていき、脳波検査をした上、脳のCTスキャンまでとって調べた。異常など見つかるはずはない。そのあともう一度、私に相談があった。親というのはそういうもので、それぞれが回り道をしながら、一つずつ賢くなっていく。

●原因は神経質な子育て

 原因は神経質な子育て。親の拘束的(子どもをしばりつける)かつ権威主義的な過干渉(「親の言うことを聞きなさい」式に、親の価値観を一方的に押しつける)、あるいは親の完ぺき主義(こまかいことまできちんとさせる)などがある。子どもの側からみて息が抜けない環境が、子どもの心をふさぐ。一般的には一人っ子に多いとされるのは、それだけ親の関心が子どもに集中するため。しかもその原因のほとんどは、親自身にある。が、それも親にはわからない。完ぺきであることを、理想的な親の姿であると誤解している。あるいは「自分はふつうだ」と思い込んでいる。その誤解や思い込みが強ければ強いほど、人の話に耳を傾けない。それがますます子育てを独善的なものにする。が、それで悲劇は終わらない。

チックはいわば、黄信号。その症状が進むと、神経症、さらには情緒障害、さらにひどくなると、精神障害にすらなりかねない。が、子どもの心の問題は、より悪くなってから、前の症状が軽かったことに気づく。親はそのときの症状だけをみて、子どもをなおそうとするが、そういう近視眼的なものの見方が、かえって症状を悪化させる。そしてあとは底無しの悪循環。

●症状はすぐには消えない

 チックについて言うなら、仮に親が猛省したとしても、症状だけはそれ以後もしばらく残る。子どもによっては数年、あるいはもっと長く続く。クセとして定着してしまうこともある。おとなでもチック症状をみせる人は、いくらでもいる。日本を代表するような有名人でも、ときどき眼球をクルクルさせたり、首を不自然に回したりする人はいくらでもいる。心というのはそういうもので、一度キズがつくと、なかなかなおらない。

(参考)
●チックの症状
 チックの症状は、千差万別だが、たいていは首から上の頭部に症状が表れる。ふつうでないと思われるようなクセが続いたら、このチックを疑ってみる。

部位症状

目の周辺目をまばたかせる。目を白黒させる。眼球をクルクル回す。慢性的なものもらい。眉をしかめる。まぶたをけいれんさせる。

呼吸器のどをつまらせる。ウッウッとうなる。カラ咳を繰り返す。喉の奥をつまらせる。ハッハッとため息をつく。

口の周辺つばを吐く。ツバを服のそでにこすりつける。つばをためる。口をとがらす。
首、頭ギクッギクッと首をひねる。首をけいれん状に回したりひねったりする。頭を上下にけいれん状に動かす。

そのほか肩から頭部にかけて瞬間的にけいれんさせる。腹部をはげしく上下にけいれんさせる。全身をけいれんさせる、など。胸部がけいれんするケースでは、呼吸困難になることもある。


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【06】教師が子育ての宿命を感ずるとき

●かん黙児の子ども

 かん黙児の子ども(年長女児)がいた。症状は一進一退。少しよくなると親は無理をする。その無理がまた、症状を悪化させる。私はその子どもを一年間にわたって、指導した。指導といっても、母親と一緒に、教室の中に座ってもらっていただけだが、それでも、結構、神経をつかう。疲れる。このタイプの子どもは、神経が繊細で、乱暴な指導がなじまない。

 が、その年の年末になり、就学前の健康診断を受けることになった。が、その母親が考えたことは、「いかにして、その健康診断をくぐり抜けるか」ということ。そしてそのあと、私にこう相談してきた。「心理療法士にかかっていると言えば、学校でも、ふつう学級に入れてもらえます。ですから心理療法士にかかることにしました。ついては先生(私)のところにもいると、パニックになってしまいますので、今日限りでやめます」と。「何がパニックになるのですか」と私が聞くと、「指導者が二人では、私の頭が混乱します」と。

●経過は一年単位でみる

 かん黙児に限らず、子どもの情緒障害は、より症状が重くなってはじめて、前の症状が軽かったことに気づく。あとはその繰り返し。私が「三か月は何も言ってはいけません。何も手伝ってはいけません。子どもと視線を合わせてもいけません」と言った。が、親には一か月でも長い。一週間でも長い。そういう気持ちはわかるが、私の目を盗んでは、子どもにちょっかいを出す。一度親子の間にパイプ(依存心)ができてしまうと、それを切るのは、たいへん難しい。情緒障害は、半年、あるいは一年単位でみる。「半年前とくらべて、どうだったか」「一年前は、どうだったか」と。一か月や二か月で、症状が改善するということは、ありえない。

 が、親にはそれもわからない。最初の段階で、無理をする。時に強く叱ったり、怒ったりする。あるいは太いパイプを作ってしまう。初期の段階で、つまり症状が軽い段階で、それに気づき、適切な処置をすれば、「障害」という言葉を使うこともないまま終わる。が、私はその母親の話を聞いたとき、別のことを考えていた。

●「そんな冷たいこと言わないでください!」

 はじめて母親がその子どもを連れてきたとき、私はその瞬間にその子どもがかん黙児とわかった。母親も、それを気づいていたはずだ。しかし母親は、それを懸命に隠しながら、「音楽教室ではふつうです」「幼稚園ではふつうです」と言っていた。それが今度は、「心理療法士にかかっていると言えば、学校でも、ふつう学級に入れてもらえます」と。母親自身が、子どもを受け入れていない。そういう状態になってもまだ、メンツにこだわっている。もうこうなると、私に指導できることは何もない。私が「わかりました。ご自分で判断なさってください」と言うと、母親は突然取り乱して、こう叫んだ。「そんな冷たいこと言わないでください! 私を突き放すようなことを言わないでください!」と。

●親は自分で失敗して気づく

 子どもの情緒障害の原因のほとんどは、家庭にある。親を責めているのではない。たいていの親は、その知識がないまま、それを「よかれ」と思って無理をする。この無理が、症状を悪化させる。それはまさに泥沼の悪循環。そして気がついたときには、にっちもさっちもいかない状態になっている。つまり親自身が自分で失敗して、その失敗に気づくしかない。確かに冷たい言い方だが、子育てというのはそういうもの。子育てには、そういう宿命が、いつもついて回る。

(参考)

●かん黙児

 かん黙児……家の中などではふつうに話したり騒いだりすることはできても、場面が変わると貝殻を閉ざしたかのように、かん黙してしまう子どもを、かん黙児という。通常の学習環境での指導が困難なかん黙児は、小学生で一〇〇〇人中、四人(〇・三八%)、中学生で一〇〇〇人中、三人(〇・二九%)と言われているが、実際にはその傾向のある子どもまで含めると、二〇人に一人以上は経験する。

 ある特定の場面になるとかん黙するタイプ(場面かん黙)と、場面に関係なくかん黙する、全かん黙に分けて考えるが、ほかにある特定の条件が重なるとかん黙してしまうタイプの子どもや、気分的な要素に左右されてかん黙してしまう子どももいる。順に子どもを当てて意見を述べさせるようなとき、ふとしたきっかけでかん黙してしまうなど。

 一般的には無言を守り対人関係を避けることにより、自分の保身をはかるために、子どもはかん黙すると考えられている。これを防衛機制という。幼稚園や保育園へ入園したときをきっかけとして発症することが多く、過度の身体的緊張がその背景にあると言われている。

 かん黙状態になると、体をこわばらせる、視線をそらす(あるいはじっと相手をみつめる)、口をキッと結ぶ。あるいは反対に柔和な笑みを浮かべたまま、かん黙する子どももいる。心と感情表現が遊離したために起こる現象と考えるとわかりやすい。

かん黙児の指導で難しいのは、親にその理解がないこと。幼稚園などでその症状が出たりすると、たいていの親は、「先生の指導が悪い」「集団に慣れていないため」「友だちづきあいがヘタ」とか言う。「内弁慶なだけ」と言う人もいる。そして子どもに向かっては、「話しなさい」「どうしてハキハキしないの!」と叱る。しかし子どものかん黙は、脳の機能障害によるもので、子どもの力ではどうにもならない。またそういう前提で対処しなければならない。

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【07】子どもが神経質になるとき

●敏感(神経質)な子ども 

 A子さん(年長児)は、見るからに繊細な感じのする子どもだった。人前に出るとオドオドし、その上、恥ずかしがり屋だった。母親はそういうA子さんをはがゆく思っていた。そして私に、「何とかもっとハキハキする子どもにならないものか」と相談してきた。

 心理反応が過剰な子どもを、敏感児という。ふつう「神経質な子」というときは、この敏感児をいうが、その程度がさらに超えた子どもを、過敏児という。敏感児と過敏児を合わせると、全体の約三〇%の子どもが、そうであるとみる。一般的には、精神的過敏児と身体的過敏児に分けて考える。心に反応が現れる子どもを、精神的過敏児。アレルギーや腹痛、頭痛、下痢、便秘など、身体に反応が現れる子どもを、身体的過敏児という。A子さんは、まさにその精神的過敏児だった。

●過敏児

 このタイプの子どもは、@感受性と反応性が強く、デリケートな印象を与える。おとなの指示に対して、ピリピリと反応するため、痛々しく感じたりする。A耐久性にもろく、ちょっとしたことで泣き出したり、キズついたりしやすい。B過敏であるがために、環境になじまず、不適応を起こしやすい。集団生活になじめないのも、その一つ。そのため体質的疾患(自家中毒、ぜん息、じんましん)や、神経症を併発しやすい。C症状は、一過性、反復性など、定型がない。そのときは何でもなく、あとになってから症状が出ることもある(参考、高木俊一郎氏)。A子さんのケースでも、A子さんは原因不明の発熱に悩まされていた。

●子どもを認め、受け入れる

 結論から先に言えば、敏感児であるにせよ、鈍感児であるにせよ、それは子どもがもって生まれた性質であり、なおそうと思っても、なおるものではないということ。無理をすればかえって逆効果。症状が重くなってしまう。が、悪いことばかりではない。敏感児について言えば、その繊細な感覚のため、芸術やある特殊な分野で、並はずれた才能を見せることがある。ほかの子どもなら見落としてしまうようなことでも、しっかりと見ることができる。ただ精神的な疲労に弱く、日中、ほんの一〇数分でも緊張させると、それだけで神経疲れを起こしてしまう。一般的には集団行動や社会行動が苦手なので、そういう前提で理解してあげる。

●一見鈍感児なのだが……

 ……というようなことは、教育心理学の辞典にも書いてある。が、こんなタイプの子どももいる。見た目には鈍感児(いわゆる「フーテンの寅さん」タイプ)だが、たいへん繊細な感覚をもった子どもである。つい油断して冗談を言い合っていたりすると、思わぬところでその子どもの心にキズをつけてしまう。ワイワイとふざけているから、「ママのおっぱいを飲んでいるなら、ふざけていていい」と言ったりすると、家へ帰ってから、親に、「先生にバカにされた」と泣いてみせたりする。このタイプの子どもは、繊細な感覚をもちつつも、それを茶化すことにより、その場をごまかそうとする。心の防御作用と言えるもので、表面的にはヘラヘラしていても、心はいつも緊張状態にある。

 先生の一言が思わぬ方向へと進み、大事件となるのは、たいていこのタイプと言ってよい。その子ども(年長児)のときも、夜になってから、親から猛烈な抗議の電話がかかってきた。「母親のおっぱいを飲んでいるとかいないとか、そういうことで息子に恥をかかせるとは、どういうことですか!」と。敏感かどうかということは、必ずしも外見からだけではわからない。

(参考)

●過敏児と鈍感児
 過敏児と対照的な位置にいるのが、鈍感児(知的な意味で、鈍感というのではない)。ふつうこの両者は対比して考える。


過敏児鈍感児

タイプ見るからに繊細かつ神経質な感じがする。どこか痛々しい感じがする。デリケートな感じがして、乱暴な指導にはなじまない。ものごとを敏感に感じとり、反応もこまやか。本文にも書いたように、映画の『寅さん』(渥美清主演)タイプ。ただし寅さんには、渥美清という名優のデリケートさが混在しているので注意。全体にガサツな感じがして、存在感がある。親分肌で、騒々しい。

刺激に対する反応こまかいことを気にしたり、教師の指導には敏感に反応する。いつも周囲に注意を払い、気を抜かない、気が抜けない。教える側も気が抜けない。乱暴な指導になじまない。何ごとにつけおおざっぱで、他人のことはあまり気にしない。ほかの子どもにからかわれても、ヘラヘラしてそれをかわすことができる。

精神的疲労精神的疲労に弱く、ほんの少し神経を使っただけで、疲労しやすく、それがいつまでも続く。神経疲れ(腹痛、頭痛、下痢、口臭)を起こしやすい。精神的疲労に強く、タフ。どこへ行ってもマイペースで、他人を意識しない分だけ、自分を飾らない。神経疲れをほとんど起こさない。

方向性一般に集団行動が苦手で、一人で勝手に行動することを好む。繊細な感覚を生かした方面(芸術)に向いている。集団行動を好み、統率力もある。こまかい作業、計画は苦手な傾向を示す。


●長子は神経質?

 なお神経質な子どもに関して、こんな興味深いデータがある。東海大学医学部の逢坂文夫氏らの調査によると、「一番上の子は、下の子よりも神経質」というのだ。

 東京都内の保育園に通う一〇〇〇人の園児の母親について調べたところ、次のようなことがわかったという。

 母親がわが子を神経質と認めた割合は、弟や妹をもつ長子についてがもっとも多く、四二・七。これに比べて、一人っ子は、三五・一%、第二子は二三・七%、第三子以降は、一五・八%(母親の平均年齢は、三二・六歳。園児の平均年齢は三・八歳)。「兄弟姉妹の下のほうになるほど、のんびり屋さんになるようだ」(中日新聞コメント)と。

 また「緊張しやすい」とされた長子の割合も、第二子の約一・五倍だったという。長子ほど、心理的に不安定な傾向がうかがえる。これらの調査結果からわかることは、子どもが神経質になるかどうかということは、生まれつきの性質による部分も無視できないが、生まれてからの環境にもよる部分も大きいということである。


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【08】子どもが恐怖症になるとき

●九死に一生

 先日私は、交通事故で、あやうく死にかけた。九死に一生とは、まさにあのこと。今、こうして文を書いているのが、不思議なくらいだ。が、それはそれとして、そのあと、妙な現象が現れた。夜、自転車に乗っていたのだが、すれ違う自動車が、すべて私に向かって走ってくるように感じた。私は少し走っては自転車からおり、少し走ってはまた、自転車からおりた。こわかった……。恐怖症である。子どもはふとしたきっかけで、この恐怖症になりやすい。

 たとえば以前、『学校の怪談』というドラマがはやったことがある。そのとき「小学校へ行きたくない」と言う園児が続出した。あるいは私の住む家の近くの湖で水死体があがったことがある。その直後から、その近くの小学校でも、「こわいから学校へ行きたくない」という子どもが続出した。これは単なる恐怖心だが、それが高じて、精神面、身体面に影響が出ることがある。それが恐怖症だが、この恐怖症は子どものばあい、何に対して恐怖心をいだくかによって、ふつう、次の三つに分けて考える。

@対人(集団)恐怖症……子ども、とくに幼児のばあい、新しい人の出会いや環境に、ある程度の警戒心をもつことは、むしろ正常な反応とみる。知恵の発達がおくれぎみの子どもや、注意力が欠如している子どもほど、周囲に対して、無警戒、無頓着で、はじめて行ったような場所でも、わがもの顔で騒いだりする。が、反対にその警戒心が、一定の限度を超えると、人前に出ると、声が出なくなる(失語症)、顔が赤くなる(赤面症)、冷や汗をかく、幼稚園や学校がこわくて行けなくなる(学校恐怖症)などの症状が表れる。さらに症状がこじれると、外出できない、人と会えない、人と話せないなどの症状が表れることもある。

A場面恐怖症……その場面になると、極度の緊張状態になることをいう。エレベーターに乗れない(閉所恐怖症)、鉄棒に登れない(高所恐怖症)などがある。これはある子ども(小一男児)のケースだが、毎朝学校へ行く時刻になると、いつもメソメソし始めるという。親から相談があったので調べてみると、原因はどうやら学校へ行くとちゅうにある、トンネルらしいということがわかった。その子どもは閉所恐怖症だった。実は私も子どものころ、暗いトイレでは用を足すことができなかった。それと関係があるかどうかは知らないが、今でも窮屈なトンネルなどに入ったりすると、ぞっとするような恐怖感を覚える。

Bそのほかの恐怖症……動物や虫をこわがる(動物恐怖症)、死や幽霊、お化けをこわがる、先のとがったものをこわがる(先端恐怖症)などもある。何かのお面をかぶって見せただけで、ワーッと泣き出す「お面恐怖症」の子どもは、一五人に一人はいる(年中児)。ただ子どものばあい、恐怖症といってもばくぜんとしたものであり、問いただしてもなかなか原因がわからないことが多い。また症状も、そのとき出るというよりも、その前後に出ることが多い。これも私のことだが、私は三〇歳になる少し前、羽田空港で飛行機事故を経験した。そのためそれ以来、ひどい飛行機恐怖症になってしまった。何とか飛行機には乗ることはできるが、いつも現地ではひどい不眠症になってしまう。「生きて帰れるだろうか」という不安が不眠症の原因になる。また一度恐怖症になると、その恐怖症はそのつど姿を変えていろいろな症状となって表れる。高所恐怖症になったり、閉所恐怖症になったりする。脳の中にそういう回路(パターン)ができるためと考えるとわかりやすい。私のケースでは、幼いころの閉所恐怖症が飛行機恐怖症になり、そして今回の自動車恐怖症となったと考えられる。

●忘れるのが一番

 子ども自身の力でコントロールできないから、恐怖症という。そのため説教したり、叱っても意味がない。一般に「心」の問題は、一年単位、二年単位で考える。子どもの立場で、子どもの視点で、子どもの心を考える。無理な誘導や強引な押しつけは、タブー。無理をすればするほど、逆効果。ますます子どもはものごとをこわがるようになる。いわば心が熱を出したと思い、できるだけそのことを忘れさせるようにする。症状だけをみると、神経症と区別がつきにくい。私のときも、その事故から数日間は、車の速度が五〇キロ前後を超えると、目が回るような状態になってしまった。「気のせいだ」とはわかっていても、あとで見ると、手のひらがびっしょりと汗をかいていた。が、少しずつ自分をスピードに慣れさせ、何度も自分に、「こわくない」と言いきかせることで、克服することができた。いや、今でもときどき、あのときの模様を思い出すと、夜中でも興奮状態になってしまう。恐怖症というのはそういうもので、自分の理性や道理ではどうにもならない。そういう前提で、子どもの恐怖症には対処する。

(付記)
●不登校と怠学

不登校は広い意味で、恐怖症(対人恐怖症など)の一つと考えられているが、恐怖症とは区別する。この不登校のうち、行為障害に近い不登校を怠学という。うつ病の一つと考える学者もいる。不安障害(不安神経症)が、その根底にあって、不登校の原因となると考えるとわかりやすい。


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【09】子どもが分離不安になるとき

●親子のきずなに感動した!?  
   
 ある女性週刊誌の子育てコラム欄に、こんな手記が載っていた。日本でもよく知られたコラムニストの書いたものだが、いわく、「うちの娘(三歳)をはじめて幼稚園へ連れていったときのこと。娘ははげしく泣きじゃくり、私との別れに抵抗した。私はそれを見て、親子の絆の深さに感動した」と。そのコラムニストは、ワーワーと泣き叫ぶ子どもを見て、「親子の絆の深さ」に感動したと言うのだ。とんでもない! ほかにもあれこれ症状が書かれていたが、それはまさしく分離不安の症状。「別れをつらがって泣く子どもの姿」では、ない。

●分離不安は不安発作

 分離不安。親の姿が見えなくなると、発作的に混乱して、泣き叫んだり暴れたりする。大声をあげて泣き叫ぶタイプ(プラス型)と、思考そのものが混乱状態になり、オドオドするタイプ(マイナス型)に分けて考える。似たようなタイプの子どもに、単独では行動ができない子ども(孤立恐怖)もいるが、それはともかくも、分離不安の子どもは多い。四〜六歳児についていうなら、一五〜二〇人に一人くらいの割合で経験する。親が子どもの見える範囲内にいるうちは、静かに落ちついている。が、親の姿が見えなくなったとたん、ギャーッと、ものすごい声をはりあげて、そのあとを追いかけたりする。

●過去に何らかの事件

 原因は……、というより、分離不安の子どもをみていくと、必ずといってよいほど、そのきっかけとなった事件が、過去にあるのがわかる。はげしい家庭内騒動、離婚騒動など。母親が病気で入院したことや、置き去り、迷子を経験して、分離不安になった子どももいる。さらには育児拒否、冷淡、無視、親の暴力、下の子どもが生まれたことが引き金となった例もある。子どもの側からみて、「捨てられるのでは……」という被害妄想が、分離不安の原因と考えるとわかりやすい。無意識下で起こる現象であるため、叱ったりしても意味がない。表面的な症状だけを見て、「集団生活になれていないため」とか、「わがまま」とか考える人もいるが、無理をすればかえって症状をこじらせてしまう。

 いや、実際には無理に引き離せば混乱状態になるものの、しばらくするとやがて静かに収まることが多い。しかしそれで分離不安がなおるのではない。「もぐる」のである。一度キズついた心は、そんなに簡単になおらない。この分離不安についても、そのつど繰り返し症状が表れる。

●鉄則は無理をしない

 こうした症状が出てきたら、鉄則はただ一つ。無理をしない。その場ではやさしくていねいに説得を繰り返す。まさに根気との勝負ということになるが、これが難しい。現場で、そういう親子を観察すると、たいてい親のほうが短気で、顔をしかめて子どもを叱ったり、怒ったりしているのがわかる。「いいかげんにしなさい」「私はもう行きますからね!」と。こういう親子のリズムの乱れが、症状を悪化させる。子どもはますます強く被害妄想をもつようになる。分離不安を神経症の一つに分類している学者も多い(牧田清志氏ほか)。

 分離不安は四〜五歳をピークとして、症状は急速に収まっていく。しかしここに書いたように、一度キズついた心は、簡単にはなおらない。ある母親はこう言った。「今でも、夫の帰宅が予定より遅くなっただけで、言いようのない不安発作に襲われます」と。姿や形を変えて、おとなになってからも症状が表れることがある。

(付記)
●分離不安は小児うつ病?

子どもは離乳期に入ると、母親から身体的に分離し始め、父親や周囲の者との心理的つながりを求めるようになる。自我の芽生え、自立心、道徳的善悪の意識などがこの時期に始まる。そしてさらに三歳前後になると、母親から心理的にも分離しようとするが、この時期に、母子の間に問題があると、この心理的分離がスムーズにいかず、分離不安を起こすと考えられている(クラウスほか)。小児うつ病の一形態と考える学者も多い。症状がこじれると、慢性的な発熱、情緒不安症状、さらには神経症による諸症状を示すこともある。


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【10】子どもが自慰をするとき


●ある母親からの質問
 ある母親からこんな相談が寄せられた。いわく、「私が居間で昼寝をしていたときのこと。六歳になった息子が、そっと体を私の腰にすりよせてきました。小さいながらもペニスが固くなっているのがわかりました。やめさせたかったのですが、そうすれば息子のプライドをキズつけるように感じたので、そのまま黙ってウソ寝をしていました。こういうとき、どう対処したらいいのでしょうか」(三二歳母親)と。

●罪悪感をもたせないように

 フロイトは幼児の性欲について、次の三段階に分けている。@口唇期……口の中にいろいろなものを入れて快感を覚える。A肛門期……排便、排尿の快感がきっかけとなって肛門に興味を示したり、そこをいじったりする。B男根期……満四歳くらいから、性器に特別の関心をもつようになる。

 自慰に限らず、子どもがふつうでない行為を、習慣的に繰り返すときは、まず心の中のストレス(生理的ひずみ)を疑ってみる。子どもはストレスを解消するために、何らかの代わりの行為をする。これを代償行為という。指しゃぶり、爪かみ、髪いじり、体ゆすり、手洗いグセなど。自慰もその一つと考える。つまりこういう行為が日常的に見られたら、子どもの周辺にそのストレスの原因(ストレッサー)となっているものがないかをさぐってみる。ふつう何らかの情緒不安症状(ふさぎ込み、ぐずぐず、イライラ、気分のムラ、気難しい、興奮、衝動行為、暴力、暴言)をともなうことが多い。そのため頭ごなしの禁止命令は意味がないだけではなく、かえって症状を悪化させることもあるので注意する。

●スキンシップは大切に

 さらに幼児のばあい、接触願望としての自慰もある。幼児は肌をすり合わせることにより、自分の情緒を調整しようとする。反対にこのスキンシップが不足すると、情緒が不安定になり、情緒障害や精神不安の遠因となることもある。子どもが理由もなくぐずったり、訳のわからないことを言って、親をてこずらせるようなときは、そっと子どもを抱いてみるとよい。最初は抵抗するそぶりを見せるかもしれないが、やがて静かに落ちつく。

 この相談のケースでは、親は子どもに遠慮する必要はない。いやだったらいやだと言い、サラッと受け流すようにする。罪悪感をもたせないようにするのがコツ。

 一般論として、男児の性教育は父親に、女児の性教育は母親に任すとよい。異性だとどうしても、そこにとまどいが生まれ、そのとまどいが、子どもの異性観や性意識をゆがめることがある。

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【11】子どもの発語障害を考えるとき
 
●発音教育をしないのは日本だけ 

 世界広しといえども、幼児期に発音教育をしないのは、日本ぐらいなものではないか。私が生まれ育った岐阜県の美濃地方では、「鮎(あゆ)」を、「エエ」と発音する。「よい味」を、「エエ・エジ」と発音する。だから、「この鮎は、よい味だ」と言うときは、「このエエうァ、エエ・エジやナモ」と言う。方言が悪いというのではないが、こういう発音を日常的にしていて、それを正しい文に書けと言われても、できるものではない。そんなわけで私は小学生のころ、作文が大の苦手だった。子どもながらに苦労したのを、記憶のどこかで覚えている。まだある。この日本では幼児の発音に甘く、子どもが「デンチャ(電車)」「シュジュメ(すずめ)」と発音しても、それをかえって、「かわいい言い方」と、許してしまう。

●幼児の発語障害

 「発語障害」というときは、構音障害(発音、発語障害)、吃音障害(どもる)、音声障害(ダミ声、鼻声、かすれ声)、それに発音器官に器質的な障害があるばあい(口蓋裂)などを総称していう。しかし現場で「発語障害」というときは、この中の構音障害をいう。たとえば「机」を「チュクエ」、「学校」を「ガッコ」、「バッタ」を「バタ」と言うなど。言葉の一部の音を変えたり、ぬかしたりする。口唇、歯列、舌などの器官を総称して、構音器官という。この構音器官に機能的な障害があると、子どもはここにあげたように独特の発音をするようになる。

 幼児は、サ行(猿→シャル)、ザ行(ぞうり→ジョーリ)、ラ行(ロケット→ドケット)が苦手だが、これらが正しく発音できれば、よしとする。さらに発音するとき、舌の位置がずれると、サ行がシャ音化(魚→シャカナ)したり、同じくサ行がチャ音化(魚→チャカナ)したりする。ほかにラ行がダ音化することもある。「ラジオ」を「ダジオ」と言うのがそれである。満五歳を一つの目安として、それまでに正しい発音ができるようにする。

●なおしにくい「カ」行障害児

 以上は比較的なおしやすい構音障害だが、なおしにくいのもある。カ行をタ音化するカ行障害(五個→ドト)などは、指導が難しく、なおすのに数年かかることもある。五、六歳児についていえば、全体の五%前後にその傾向がみられる。しかしあまり神経質に指導すると、子どもが自信をなくしたり、さらに失語症になったりするから注意する。少し古い資料だが、アメリカ言語聴覚学会の報告によれば、指導が必要な構音障害児の出現率は、三%とされる(一九五一年)。症状にも軽重があり、ふつう児との線引きも難しいが、その傾向のある子どもまで含めると、「つ」を「チュ」と発音するケースが、約二〇%。何らかの指導が必要と思われる幼児は、約五〜一〇%というのが、私の実感である。

●幼児期から発音教育を!

 こういう発語障害をふせぐためには、子どもが言葉を話すようになったら、息を子どもの顔に吹きかけながら、口の動きを正確にしてみせるとよい。幼児語(自動車→ブーブー、電車→ゴーゴー)などは、かえって発語の発達を遅らせることになるので、注意する。言葉の発達そのものを遅らせることもある。ある男の子(年長児)は、「三輪車」を「シャーシャー」、「押す」を「ドウドウ」と言っていた。だから、「三輪車を押す」は、「シャーシャー、ドウドウ」と。が、それでも発語障害が残ってしまったら……。各市町村の保険センター、もしくは教育委員会に相談窓口があるので、そちらへ問い合わせてみるとよい。

●子どもの発語診断

○この診断シートによって、幼児の発語(発音)の発達程度が診断できます。

【診断方法】
(1)おうちの方が、(もとの言葉)を、ゆっくりと発音してみせ、続いて、子どもに、それを復唱させて診断します。
(2)このとき、子どもがどんな発音をしても、それについてとやかく言ってはいけません。子どもの発音を聞き、その評価にあてはまる個所(欄)に○をつけてください。


もとの言葉よく見られる症状そのほか
カ行障害
「かき(柿)」を「かき」と発音できる。「タチ」と発音する「ダヂ」

「かぎ(鍵)が、五個」と言える「タヂダ、ドト」

サ行障害「すし(寿司)」「すし」 「ツチ」「チュチ」
「ソーセージ」「チョーチェーヂ」「トーテージ」
「せんせい(先生)」「シェンシェー」「チェンチェー」
ザ行障害「ぞう(象)」「ジョー」
タ行障害「つくえ(机)」「チュクエ」
ダ行障害「でんわ(電話)」「レンワ」
「ラジオ」「ダジオ」「ナジオ」
ラ行障害「ロケット」「ノケット」「ドケット」


よく観察される発語障害
カ行障害
サ行障害
ザ行障害
タ行障害
ダ行障害
ラ行障害カキクケコ⇒タチチュテト、ダヂヂュデド
サシスセソ⇒タチツテト、チャチチュチェチョ、シャシシュシェショ
ザジズゼゾ⇒ジャジジュジェジョ
タチツテト⇒タチチュテト
ダヂヅデド⇒ラリルレロ
ラリルレロ⇒ダディデゥデェド、ナニヌネノ、(アイウエオ)……「R」の子音そのものが抜ける。


●ある母親からの質問

Q……小学4年生の長女ですが、いつからかどもるようになってしまい、普通に話をしていても言いたいことがなかなか伝えられず、かわいそうに感ずることがあります。とくにカ行とタ行がひどいです。本人も気にしていて、うまく話せられないからと授業中に発表することをいやがります。なおす方法を教えてください。    

●自意識のあるなしがポイント

A……吃音(きつおん)についてですが、本人がセルフコントロールできる年齢かどうか微妙なところです。つまり自意識の範囲で、指導になじむかどうかということです。小学四年生というのは、その境目あたりの学年になります。

@自意識でコントロールできないとき(幼児〜小一、二児)のばあい

吃音指導はしないのが原則です。発音練習は、別にします。

A自意識でコントロールできるとき(小学高学年以上)のばあい

それでも吃音指導を子どもにあまり意識させないで、たとえば発音練習をしながら、結果として吃音をなおすようにします。発音指導は、口をゆっくりと動かし、息をたくさん出させ、子どもに発音のリズムをわからせます。苦手な音の言葉だけを、何度もゆっくりと話させるようにします。たとえば「刀(かたな)で皮(かわ)を切る」という文章だけを、練習するなど。子どもに吃音指導と思わせないようにするのがコツです。どこかで大声を出して、声を出してくれるとよいのですが……。

吃音そのものは、脳の機能的な変調が原因で、声帯がけいれんを起こしてそうなるというのが、一般的な考え方です。つまり脳の変調を起こす原因(神経質な家庭環境、神経症などの変調要因)があればそれを除去します。神経質な過干渉、過関心、過負担、過剰期待など。しかしこれらの要因を除去したからといって、吃音はすぐにはなおりません。こうした変調(神経症とみる学者は多い)は一度あらわれると、数年単位で続くことが多く、その間に子どもが自信をなくしたり、失語症になったりします。要するに周囲が無視すればよいのですが、これが子どもの世界では難しいようです。吃音をからかう子どもがいたりするからです。私のばあいは、ときどき子どもたち全員に大声をださせ、それにまぎれてなおすという方法をとっています。ほかの子どもたちのいる前では、指導しない、問題としない、なおそうとしないのが原則です。

家庭では、次のようにしてみてください。苦手な音をふくむ言葉について、まずゆっくりと話す練習をします。リズミカルに息を大きく吐き出しながら、音にあわせて口を動かすようにします。ここで大切なことは、ゆっくりと話す練習をさせることです。「吃音をなおそうね」とか、練習が吃音をなおすためとかいうようなことを子どもにわからせることは、子どもの前では避けます。小学高学年以上であれば、ある程度、吃音をなおすということを意識させますが、あまり意識させると、このばあいもかえって子どもが自信をなくしたり、萎縮したりします。子ども自身が気を許して、楽しく練習できるような雰囲気があればよいのですが……。対面式の指導だとどうしても子どもが緊張してしまい、かえって症状が悪化してしまうことがありますから、注意してください。たいてい指導を始めると、子どもは小声になってしまいます。それがますます指導を難しくします。

 そこでどうでしょう。あまりなおそうとか、それが悪いことだと決めてかからないで、もう少しおおらかに考えてみたら。おねしょと同じで、吃音そのものは、本人にとっては、それほど不愉快なものではないのです。(私も子どものころ、軽度の吃音があり、今でも、カ行音でどもることがあります。)

自意識がじゅうぶん育ってくると、苦手な音を出す前に、一呼吸おくようになり、ゆっくりとしゃべるようになります。そうなれば自然になおります。「気にしないでいたら、いつの間にかなおってしまった」と言ったお母さんもいました。


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【12】子どもが学校恐怖症になるとき

●四つの段階論  同じ不登校(school refusal)といっても、症状や様子はさまざま(※)。私の二男はひどい花粉症で、睡眠不足からか、毎年春先になると不登校を繰り返した。が、その中でも恐怖症の症状を見せるケースを、「学校恐怖症」、行為障害に近い不登校を「怠学(truancy)」といって区別している。これらの不登校は、症状と経過から、三つの段階に分けて考える(A・M・ジョンソン)。心気的時期、登校時パニック時期、それに自閉的時期。これに回復期を加え、もう少しわかりやすくしたのが次である。 

@前兆期……登校時刻の前になると、頭痛、腹痛、脚痛、朝寝坊、寝ぼけ、疲れ、倦怠感、吐き気、気分の悪さなどの身体的不調を訴える。症状は午前中に重く、午後に軽快し、夜になると、「明日は学校へ行くよ」などと、明るい声で答えたりする。これを症状の日内変動という。学校へ行きたがらない理由を聞くと、「A君がいじめる」などと言ったりする。そこでA君を排除すると、今度は「B君がいじめる」と言いだしたりする。理由となる原因(ターゲット)が、そのつど移動するのが特徴。 

Aパニック期……攻撃的に登校を拒否する。親が無理に車に乗せようとしたりすると、狂ったように暴れ、それに抵抗する。が、親があきらめ、「もう今日は休んでもいい」などと言うと、一転、症状が消滅する。ある母親は、こう言った。「学校から帰ってくる車の中では、鼻歌まで歌っていました」と。たいていの親はそのあまりの変わりように驚いて、「これが同じ子どもか」と思うことが多い。

 B自閉期……自分のカラにこもる。特定の仲間とは遊んだりする。暴力、暴言などの攻撃的態度は減り、見た目には穏やかな状態になり、落ちつく。ただ心の緊張感は残り、どこかピリピリした感じは続く。そのため親の不用意な言葉などで、突発的に激怒したり、暴れたりすることはある(感情障害)。この段階で回避性障害(人と会うことを避ける)、不安障害(非現実的な不安感をもつ。おののく)の症状を示すこともある。が、ふだんの生活を見る限り、ごくふつうの子どもといった感じがするため、たいていの親は、自分の子どもをどうとらえたらよいのか、わからなくなってしまうことが多い。こうした状態が、数か月から数年続く。 C回復期……外の世界と接触をもつようになり、少しずつ友人との交際を始めたり、外へ遊びに行くようになる。数日学校行っては休むというようなことを、断続的に繰り返したあと、やがて登校できるようになる。日に一〜二時間、週に一日〜二日、月に一週〜二週登校できるようになり、序々にその期間が長くなる。

●前兆をいかにとらえるか  要はいかに@の前兆期をとらえ、この段階で適切な措置をとるかということ。たいていの親はひととおり病院通いをしたあと、「気のせい」と片づけて、無理をする。この無理が症状を悪化させ、Aのパニック期を招く。この段階でも、もし親が無理をせず、「そうね、誰だって学校へ行きたくないときもあるわよ」と言えば、その後の症状は軽くすむ。一般にこの恐怖症も含めて、子どもの心の問題は、今の状態をより悪くしないことだけを考える。なおそうと無理をすればするほど、症状はこじれる。悪化する。 

※……不登校の態様は、一般に教育現場では、@学校生活起因型、A遊び非行型、B無気力型、C不安など情緒混乱型、D意図的拒否型、E複合型に区分して考えられている。
 またその原因については、@学校生活起因型(友人や教師との関係、学業不振、部活動など不適応、学校の決まりなどの問題、進級・転入問題など)、A家庭生活起因型(生活環境の変化、親子関係、家庭内不和)、B本人起因型(病気など)に区分して考えられている(「日本教育新聞社」まとめ)。しかしこれらの区分のし方は、あくまでも教育者の目を通して、子どもを外の世界から見た区分のし方でしかない。

(参考)
●学校恐怖症は対人障害の一つ 

 こうした恐怖症は、はやい子どもで、満四〜五歳から表れる。乳幼児期は、主に泣き叫ぶ、睡眠障害などの心身症状が主体だが、小学低学年にかけてこれに対人障害による症状が加わるようになる(西ドイツ、G・ニッセンほか)。集団や人ごみをこわがるなどの対人恐怖症もこの時期に表れる。ここでいう学校恐怖症はあくまでもその一つと考える。

●ジョンソンの「学校恐怖症」

「登校拒否」(school refusal)という言葉は、イギリスのI・T・ブロードウィンが、一九三二年に最初に使い、一九四一年にアメリカのA・M・ジョンソンが、「学校恐怖症」と命名したことに始まる。ジョンソンは、「学校恐怖症」を、(1)心気的時期、(2)登校時のパニック時期(3)自閉期の三期に分けて、学校恐怖症を考えた。

●学校恐怖症の対処のし方

 第一期で注意しなければならないのは、本文の中にも書いたように、たいていの親はこの段階で、「わがまま」とか「気のせい」とか決めつけ、その前兆症状を見落としてしまうことである。あるいは子どもの言う理由(ターゲット)に振り回され、もっと奥底にある子どもの心の問題を見落としてしまう。しかしこのタイプの子どもが不登校児になるのは、第二期の対処のまずさによることが多い。ある母親はトイレの中に逃げ込んだ息子(小一児)を外へ出すため、ドライバーでドアをはずした。そして泣き叫んで暴れる子どもを無理やり車に乗せると、そのまま学校へ連れていった。その母親は「このまま不登校児になったらたいへん」という恐怖心から、子どもをはげしく叱り続けた。が、こうした衝撃は、たった一度でも、それが大きければ大きいほど、子どもの心に取り返しがつかないほど大きなキズを残す。もしこの段階で、親が、「そうね、誰だって学校へ行きたくないときもあるわね。今日は休んで好きなことをしたら」と言ったら、症状はそれほど重くならなくてすむかもしれない。

 また第三期においても、鉄則は、ただ一つ。なおそうと思わないこと。私がある母親に、「三か月間は何も言ってはいけません。何もしてはいけません。子どもがしたいようにさせなさい」と言ったときのこと。母親は一度はそれに納得したようだった。しかし一週間もたたないうちに電話がかかってきて、「今日、学校へ連れていってみましたが、やっぱりダメでした」と。親にすれば一か月どころか、一週間でも長い。気持ちはわかるが、こういうことを繰り返しているうちに、症状はますますこじれる。

 第三期に入ったら、@学校は行かねばならないところという呪縛から、親自身が抜けること。A前にも書いたように、子どもの心の問題は、今の状態をより悪くしないことだけを考えて、子どもの様子をみる。B最低でも三か月は何も言わない、何もしないこと。子どもが退屈をもてあまし、身をもてあますまで、何も言わない、何もしないこと。C生活態度(部屋や服装)が乱れて、だらしなくなっても、何も言わない、何もしないこと。とくに子どもが引きこもる様子を見せたら、そうする。よく子どもが部屋にいない間に、子どもの部屋の掃除をする親もいるが、こうした行為も避ける。

 回復期に向かう前兆としては、@穏やかな会話ができるようになる、A生活にリズムができ、寝起きが規則正しくなる、B子どもがヒマをもてあますようになる、C家族がいてもいなくいても、それを気にせず、自分のことができるようになるなどがある。こうした様子が見られたら、回復期は近いとみてよい。

 要は子どものリズムで考えること。あるいは子どもの視点で、子どもの立場で考えること。そういう謙虚な姿勢が、このタイプの子どもの不登校を未然に防ぎ、立ちなおりを早くする。

●不登校は不利なことばかりではない

 一方、こうした不登校児について、不登校を経験した子どもたち側からの調査もなされている。文部科学省がした「不登校に関する実態調査」(二〇〇一年)によれば、「中学で不登校児だったものの、成人後に『マイナスではなかった』と振り返っている人が、四割もいる」という。不登校はマイナスではないと答えた人、三九%、マイナスだったと答えた人、二四%など。そして学校へ行かなくなった理由として、

友人関係     ……四五%
教師との関係   ……二一%
クラブ・部活動  ……一七%
転校などでなじめず……一四%と、その多くが、学校生活の問題をあげている。  

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【13】子どもがキレるとき

●躁状態における錯乱状態 

 子どもたち(小三児)を並べて、順に答案に丸をつけていたときのこと。それまでF君は、まったく目立たないほど、静かだった。が、あと一人でF君というそのとき、F君が突然、暴れ出した。突然というより、激変に近いものだった。ギャーという声を出したかと思うと、周囲にあった机とイスを足でけって、ひっくり返した。瞬間私は彼の目を見たが、それは恐ろしいほど冷たく、すごんでいた……。

 キレる状態は、心理学の世界では、「躁(そう)状態における精神錯乱」(長崎大・中根允文氏ほか)と位置づけられている。躁うつ病を定型化したのはクレペリン(ドイツの医学者・一八五六〜一九二六)だが、一般的には躁状態とうつ状態はペアで考えられている。周期性をもって交互に、あるいはケースによっては、重複して起こることが多い。それはそれとして、このキレた状態になると、子どもは突発的に凶暴になったり、大声でわめいたりする。(これに対して若い人の間では、ただ単に、激怒した状態、あるいは怒りが充満した状態を、「キレる」と言うことが多い。ここでは区別して考える。)

●心の緊張状態が原因

 よく子どもの情緒が不安定になると、その不安定の状態そのものを問題にする人がいる。しかしそれはあくまでも表面的な症状にすぎない。情緒が不安定な子どもは、その根底に心の緊張状態があるとみる。その緊張状態の中に、不安が入り込むと、その不安を解消しようと、一挙に緊張感が高まり、情緒が不安定になる。先のF君のケースでも、「問題が解けなかった」という思いが、彼を緊張させた。そういう緊張状態のところに、「先生に何かを言われるのではないか」という不安が入りこんで、一挙に情緒が不安定になった。言いかえると、このタイプの子どもは、いつも心が緊張状態にある。気を抜かない。気を許さない。周囲に気をつかうなど。表情にだまされてはいけない。柔和でおだやかな表情をしながら、その裏で心をゆがめる子どもは少なくない。これを心理学の世界では、「遊離」と呼んでいる。一度こういう状態になると、「何を考えているかわからない子ども」といった感じになる。 

●すなおな子ども論

 従順で、おとなしい子どもを、すなおな子どもと考えている人は多い。しかしそれは誤解。教育、なかんずく幼児教育の世界では、心(情意)と表情が一致している子どもを、すなおな子どもという。うれしいときには、うれしそうな表情をする。悲しいときには悲しそうな表情をする。不愉快なときは、不愉快そうな顔をする。そういう子どもをすなおな子どもという。しかし心と表情が遊離すると、それがチグハグになる。ブランコを横取りされても、ニコニコ笑ってみせたり、いやなことがあっても、黙ってそれに従ったりするなど。中に従順な子どもを、「よくできた子ども」と考える人もいるが、それも誤解。この時期、よくできた子どもというのは、いない。つまり「いい子」ぶっているだけ。このタイプの子どもは大きなストレスを心の中でため、ためた分だけ、別のところで心をゆがめる。よく知られた例としては、家庭内暴力を起こす子どもがいる。このタイプの子どもは、外の世界では借りてきたネコの子のようにおとなしい。

●おだやかな生活を旨とする

 キレるタイプの子どもは、不安状態の中に子どもを追い込まないように、穏やかな生活を何よりも大切にする。乱暴な指導になじまない。あとは情緒が不安定な子どもに準じて、@濃厚なスキンシップをふやし、A食生活の面で、子どもの心を落ちつかせる。カルシウム、マグネシウム分の多い食生活に心がけ、リン酸食品をひかえる(※)。リン酸は、せっかく摂取したカルシウムをリン酸カルシウムとして、体外へ排出してしまう。もちろんストレスの原因(ストレッサー)があれば、それを除去し、心の負担を軽くすることも忘れてはならない。

※……今ではリン酸(塩)はあらゆる食品に含まれている。たとえば、ハム、ソーセージ(弾力性を出し、歯ごたえをよくするため)、アイスクリーム(ねっとりとした粘り気を出し、溶けても流れず、味にまる味をつけるため)、インスタントラーメン(やわらかくした上、グニャグニャせず、歯ごたえをよくするため)、プリン(味にまる味をつけ、色を保つため)、コーラ飲料(風味をおだやかにし、特有の味を出すため)、粉末飲料(お湯や水で溶いたりこねたりするとき、水によく溶けるようにするため)など(以上、川島四郎氏)。

●人工的に調合するのは、不必要

ついでながら、W・ダフティという学者はこう言っている。「自然が必要にして十分な食物を生み出しているのだから、われわれの食物をすべて人工的に調合しようなどということは、不必要なことである」と。つまりフード・ビジネスが、精製された砂糖や炭水化物にさまざまな添加物を加えた食品(ジャンク・フード)をつくりあげ、それが人間を台なしにしているというのだ。「(ジャンクフードは)疲労、神経のイライラ、抑うつ、不安、甘いものへの依存性、アルコール処理不能、アレルギーなどの原因になっている」とも。

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【14】子どもの自我がつぶれるとき

●フロイトの自我論 

フロイトの自我論は有名だ。それを子どもに当てはめてみると……。

 自我が強い子どもは、生活態度が攻撃的(「やる」「やりたい」という言葉をよく口にする)、ものの考え方が現実的(頼れるのは自分だけという考え方をする)、創造的(将来に向かって展望をもつ。目的意識がはっきりしている。目標がある)、自制心が強く、善悪の判断に従って行動できる。

 反対に自我の弱い子どもは、ものごとに対して防衛的(「いやだ」「つまらない」という言葉をよく口にする)、考え方が非現実的(空想にふけったり、神秘的な力にあこがれたり、まじないや占いにこる)、一時的な快楽を求める傾向が強く、ルールが守れない、衝動的な行動が多くなる。たとえばほしいものがあると、それにブレーキをかけることができない、など。

 一般論として、自我が強い子どもは、たくましい。「この子はこういう子どもだ」という、つかみどころが、はっきりとしている。生活力も旺盛で、何かにつけ、前向きに伸びていく。反対に自我の弱い子どもは、優柔不断。どこかぐずぐずした感じになる。何を考えているかわからない子どもといった感じになる。

●自我は引き出す

その自我は、伸ばす、伸ばさないという視点からではなく、引き出す、つぶすという視点から考える。つまりどんな子どもでも、自我は平等に備わっているとみる。子どもというのは、あるべき環境の中で、あるがままに育てれば、その自我は強くなる。反対に、威圧的な過干渉(親の価値観を押しつける。親があらかじめ想定した設計図に子どもを当てはめようとする)、過関心(子どもの側からみて息の抜けない環境)、さらには恐怖(暴力や虐待)が日常化すると、子どもの自我はつぶれる。そしてここが重要だが自我は一度つぶれると、以後、修復するのがたいへん難しい。たとえば幼児期に一度ナヨナヨしてしまうと、その影響は一生続く。とくに乳幼児から満四〜五歳にかけての時期が重要である。

●要は子どもを信ずる

 人間は、ほかの動物と同様、数一〇万年という長い年月を、こうして生きのびてきた。その過程の中でも、難しい理論が先にあって、親は子どもを育ててきたわけではない。こうした本質は、この百年くらいで変わっていない。子育ても変わっていない。変わったと思うほうがおかしい。要は子ども自身がもつ「力」を信じて、それをいかにして引き出していくかということ。子育ての原点はここにある。

(参考)
●フロイトの自我論

 フロイト(オーストリアの心理学者、一八五六〜一九三九)は、自我の強弱によって、人の様子は大きく変わるという。それを子どもに当てはめて考えてみたのが、次の表である。

自我が強い子ども自我が弱い子ども

行動能力
ものごとに攻撃的かつ積極的。「やる」「やりたい」という言葉が、子どもの口からよく出る。ものごとに防衛的かつ消極的。「いやだ」「つまらない」という言葉が多い。

現実感覚
現実感が強く、ものの考え方が実利的になる。頼れるのは自分だけというような考え方をする。ものの考え方が非現実的になり、空想や神秘的なものにあこがれや期待を抱いたりする。
趣味の方向性将来性のある創造的な趣味をもつ。たとえば「お金をためて楽器を買う。その楽器でコンクールに出る」「友だちの誕生日のプレゼント用に、船の模型を作る」など。前向きに伸びようとする。一時的な快楽を求める傾向が強く、趣味も退行的かつ非生産的。たとえば意味もないカードやおもちゃをたくさん集める、など。もらった小遣いも、すぐ使ってしまう。

衝動的行為
ほしいものがある。目の前にはお金がある。こういうときセルフコントロールができ、自分の行為にブレーキをかけることができる。自制心が強く、そのお金には手を出さない。衝動性が強くなり、ほしいものに対して、ブレーキをかけられない。盗んだお金で、ほしいものを買っても、欲望を満足させたという喜びのほうが強く、悪いことをしたという意識がない。


自我……意識される客体としての自己に対して、自分を意識する主体(哲学)。個々の心理現象を、一貫した全体的な「自分」として意識する体験(心理学)。人格の中枢機関(精神分析)など。自我のとらえ方は、必ずしも一致していない。英語ではego、selfという。