エッセー2
INDEXへもどる メインHPへもどる
はやし浩司
【15】子どもが伸びるとき

●伸びる子どもの四条件

 伸びる子どもには、次の四つの特徴がある。@好奇心が旺盛、A忍耐力がある、B生活力がある、C思考が柔軟(頭がやわらかい)。

@好奇心……好奇心が旺盛かどうかは、一人で遊ばせてみるとわかる。旺盛な子どもは、身のまわりから次々といろいろな遊びを発見したり、作り出したりする。趣味も広く、多芸多才。友だちの数も多く、相手を選ばない。数才年上の友だちもいれば、年下の友だちもいる。何か新しい遊びを提案したりすると、「やる!」とか「やりたい!」とか言って、食いついてくる。反対に好奇心が弱い子どもは、一人で遊ばせても、「退屈〜ウ」とか、「もうおうちへ帰ろ〜ウ」とか言ったりする。

A忍耐力……よく誤解されるが、釣りやゲームなど、好きなことを一日中しているからといって、忍耐力のある子どもということにはならない。子どもにとって忍耐力というのは、「いやなことをする力」のことをいう。たとえばあなたの子どもに、掃除や洗濯を手伝わせてみてほしい。そういう仕事でもいやがらずにするようであれば、あなたの子どもは忍耐力のある子どもということになる。あるいは欲望をコントロールする力といってもよい。目の前にほしいものがあっても、手を出さないなど。こんな子ども(小三女児)がいた。たまたまバス停で会ったので、「缶ジュースを買ってあげようか?」と声をかけると、こう言った。「これから家で食事をするからいいです」と。こういう子どもを忍耐力のある子どもという。この忍耐力がないと、子どもは学習面でも、(しない)→(できない)→(いやがる)→(ますますできない)の悪循環の中で、伸び悩む。

B生活力……ある男の子(年長児)は、親が急用で家をあけなければならなくなったとき、妹の世話から食事の用意、戸じまり、消灯など、家事をすべて一人でしたという。親は「やらせればできるもんですね」と笑っていたが、そういう子どもを生活力のある子どもという。エマーソン(アメリカの詩人、「自然論」の著者、一八〇三〜八二)も、『教育に秘法があるとするなら、それは生活を尊重することである』と書いている。

C思考が柔軟……思考が柔軟な子どもは、臨機応変にものごとに対処できる。同じいたずらでも、このタイプの子どものいたずらは、どこかほのぼのとした温もりがある。食パンをくりぬいてトンネルごっこ。スリッパをつなげて電車ごっこなど。反対に頭のかたい子どもは、一度「カラ」にこもると、そこから抜け出ることができない。ある子ども(小三男児)は、いつも自分の座る席が決まっていて、その席でないと、どうしても座ろうとしなかった。

 一般論として、「がんこ」は、子どもの成長にとって好ましいものではない。かたくなになる、意固地になる、融通がきかないなど。子どもからハツラツとした表情が消え、動作や感情表現が、どこか不自然になることが多い。教える側から見ると、どこか心に膜がかかったような状態になり、子どもの心がつかみにくくなる。

●子どもを伸ばすために

子どもを伸ばす最大の秘訣は、常に「あなたは、どんどん伸びている」という、プラスの暗示をかけること。そのためにも、子どもはいつもほめる。子どもを自慢する。ウソでもよいから、「あなたは去年(この前)より、ずっとすばらしい子になった」を繰り返す。もしあなたが、「うちの子は悪くなっている」と感じているなら、なおさら、そうする。まずいのは「あなたはダメになる」式のマイナスの暗示をかけてしまうこと。とくに「あなたはやっぱりダメな子ね」式の、その子どもの人格の核に触れるような「格」攻撃は、タブー中のタブー。

その上で、@あなた自身が、自分の世界を広め、その世界に子どもを引き込むようにする(好奇心をますため)。またA「子どもは使えば使うほどいい子になる」と考え、家事の手伝いはさせる。「子どもに楽をさせることが親の愛」と誤解しているようなら、そういう誤解は捨てる(忍耐力や生活力をつけるため)。そしてB子どもの頭をやわらかくするためには、生活の場では、「アレッ!」と思うような意外性を大切にする。よく「転勤族の子どもは頭がいい」と言われるのは、それだけ刺激が多いことによる。マンネリ化した単調な生活は、子どもの知恵の発達のためには、好ましくない。

【検索キーワード】 BW子どもクラブ BW教室 BWきょうしつ BWこどもクラブ 教育評論 教育評論家 子育て格言 幼児の心 幼
児の心理 幼児心理 子育て講演会 育児講演会 教育講演会 講師 講演会講師 母親講演会 はやし浩司 林浩司 林浩 子供の悩
み 幼児教育 幼児心理 心理学 はやし浩司 親子の問題 子供 心理 子供の心 親子関係 反抗期 はやし浩司 育児診断 育児評
論 育児評論家 幼児教育家 教育評論家 子育て評論家 子育ての悩みはやし浩司 教育評論 育児論 幼児教育論 育児論 子育
て論 はやし浩司 林浩司 教育評論家 評論家 子供の心理 幼児の心理 幼児心理 幼児心理学 子供の心理 子育て問題 はやし
【16】子どもの心が不安定になるとき
 
●情緒が不安定な子ども

 子どもの成長は、次の四つをみる。@精神の完成度、A情緒の安定度、B知育の発達度、それにC運動能力。このうち情緒の安定度は、子どもが肉体的に疲れていると思われるときをみて、判断する。運動会や遠足のあと、など。そういうときでも、ぐずり、ふさぎ込み、不機嫌、無口(以上、マイナス型)、あるいは、暴言、暴力、イライラ、激怒(以上、プラス型)がなければ、情緒が安定した子どもとみる。子どもは、肉体的に疲れたときは、「疲れた」とは言わない。「眠い」と言う。子どもが「疲れた」というときは、神経的な疲れを疑う。子どもはこの神経的な疲れにたいへん弱い。それこそ日中、五〜一〇分、神経をつかっただけで、ヘトヘトに疲れてしまう。

●情緒不安とは……?

 外部の刺激に左右され、そのたびに精神的に動揺することを情緒不安という。二〜四歳の第一反抗期、思春期の第二反抗期に、とくに子どもは動揺しやすくなる。

 その情緒が不安定な子どもは、神経がたえず緊張状態にあることが知られている。気を許さない、気を抜かない、周囲に気をつかう、他人の目を気にする、よい子ぶるなど。その緊張状態の中に、不安が入り込むと、その不安を解消しようと、一挙に緊張感が高まり、情緒が不安定になる。症状が進むと、周囲に溶け込めず、引きこもったり、怠学、不登校を起こしたり(マイナス型)、反対に攻撃的、暴力的になり、突発的に興奮して暴れたりする(プラス型)。表情にだまされてはいけない。柔和な表情をしながら、不安定な子どもはいくらでもいる。このタイプの子どもは、ささいなことがきっかけで、激変する。母親が、「ピアノのレッスンをしようね」と言っただけで、激怒し、母親に包丁を投げつけた子ども(年長女児)がいた。また集団的な非行行動をとったり、慢性的な下痢、腹痛、体の不調を訴えることもある。

●原因の多くは異常な体験

 原因としては、乳幼児期の何らかの異常な体験が引き金になることが多い。たとえば親自身の情緒不安のほか、親の放任的態度、無教養で無責任な子育て、神経質な子育て、家庭騒動、家庭不和、何らかの恐怖体験など。ある子ども(五歳男児)は、たった一度だが、祖父にはげしく叱られたのが原因で、自閉傾向(人と心が通い合わない状態)を示すようになった。また別の子ども(三歳男児)は、母親が入院している間、祖母に預けられたことが原因で、分離不安(親の姿が見えないと混乱状態になる)になってしまった。

 ふつう子どもの情緒不安は、神経症による症状をともなうことが多い。ここにあげた体の不調のほか、たとえば夜驚、夢中遊行、かん黙、自閉、吃音(どもり)、髪いじり、指しゃぶり、チック、爪かみ、物かみ、疑惑症(臭いかぎ、手洗いぐせ)、かみつき、歯ぎしり、強迫傾向、潔癖症、嫌悪症、対人恐怖症、虚言、収集癖、無関心、無感動、緩慢行動、夜尿症、頻尿症など。

●原因は、家庭に!

 子どもの情緒が不安定になると、たいていの親は原因さがしを、外の世界に求める。しかしまず反省すべきは、家庭である。強度の過干渉(子どもにガミガミと押しつける)、過関心(子どもの側からみて神経質で、気が抜けない環境)、家庭不和(不安定な家庭環境、愛情不足、家庭崩壊、暴力、虐待)、威圧的な家庭環境など。夫婦喧嘩もある一定のワク内でなされているなら、子どもにはそれほど大きな影響を与えない。が、そのワクを越えると、大きな影響を与える。子どもは愛情の変化には、とくに敏感に反応する。

 子どもが小学生になったら、家庭は、「体を休め、疲れた心をいやす、いこいの場」でなければならない。アメリカの随筆家のソロー(一八一七〜六二)も、『ビロードのクッションの上より、カボチャの頭』と書いている。人というのは、高価なビロードのクッションの上に座るよりも、カボチャの頭の上に座ったほうが気が休まるという意味だが、多くの母親にはそれがわからない。わからないまま、家庭を「しつけの場」と位置づける。学校という「しごきの場」で、いいかげん疲れてきた子どもに対して、家の中でも「勉強しなさい」と子どもを追いまくる。「宿題は終わったの」「テストは何点だったの」「こんなことでは、いい高校へ入れない」と。これでは子どもの心は休まらない。

●子どもの情緒を安定させるために

 子どもの情緒が不安定になったら、スキンシップをより濃厚にし、温かい語りかけを大切にする。叱ったり、冷たく突き放すのは、かえって情緒を不安定にする。一番よい方法は、子どもがひとりで誰にも干渉されず、のんびりとくつろげるような時間と場所をもてるようにすること。親があれこれ気をつかうのは、かえって逆効果。

 ほかにカルシウムやマグネシウム分の多い食生活に心がける。とくにカルシウムは天然の精神安定剤と呼ばれている。戦前までは、日本では精神安定剤として使われていた。錠剤で与えるという方法もあるが、牛乳や煮干など、食品として与えるほうがよいことは言うまでもない。なお情緒というのは一度不安定になると、その症状は数か月から数年単位で推移する。親があせって何とかしようと思えば思うほど、ふつう子どもの情緒は不安定になる。また一度不安定になった心は、そんなに簡単にはなおらない。今の状態をより悪くしないことだけを考えながら、子どものリズムに合わせた生活に心がける。

 (参考)
●子どもの神経症について

心理的な要因が原因で、精神的、身体的な面で起こる機能的障害を、神経症という。子どもの神経症は、精神面、身体面、行動面の三つの分野に分けて考える。

@精神面の神経症……精神面で起こる神経症には、恐怖症(ものごとを恐れる)、強迫症状(周囲の者には理解できないものに対して、おののく、こわがる)、不安症状(理由もなく悩む)、抑うつ感(ふさぎ込む)など。混乱してわけのわからないことを言ってグズグズしたり、反対に大声をあげて、突発的に叫んだり、暴れたりすることもある。

A身体面の神経症……夜驚症(夜中に狂人的な声をはりあげて混乱状態になる)、夜尿症、頻尿症(頻繁にトイレへ行く)、睡眠障害(寝ない、早朝覚醒、寝言)、嘔吐、下痢、便秘、発熱、喘息、頭痛、腹痛、チック、遺尿(その意識がないまま漏らす)など。一般的には精神面での神経症に先立って、身体面での神経症が起こることが多く、身体面での神経症を黄信号ととらえて警戒する。

B行動面の神経症……神経症が慢性化したりすると、さまざまな不適応症状となって行動面に表れてくる。不登校もその一つということになるが、その前の段階として、無気力、怠学、無関心、無感動、食欲不振、引きこもり、拒食などが断続的に起こるようになる。パンツ一枚で出歩くなど、生活習慣がだらしなくなることもある。

浩司 子育ての悩み 子供の心 育児相談 育児問題 はやし浩司 幼児の心 幼児の心理 育児 はやし浩司 育児疲れ 子育てポイ
ント はやし浩司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市 金沢大学法文学部卒 はやし浩司 教育評論家 幼児教育評論家 林浩
司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 はやしひろし 林ひろし 静岡県 浜松市 幼
児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 はやし浩司・林浩二(司) 林浩司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐
阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 Hiroshi Hayashi / 1970 IH student/International House / Melbourne Univ.
【17】子どもが欲求不満になるとき

●欲求不満の三タイプ

 子どもは自分の欲求が満たされないと、欲求不満を起こす。この欲求不満に対する反応は、ふつう、次の三つに分けて考える。

@攻撃・暴力タイプ

 欲求不満やストレスが、日常的にたまると、子どもは攻撃的になる。心はいつも緊張状態にあり、ささいなことでカッとなって、暴れたり叫んだりする。私が「このグラフは正確でないから、かきなおしてほしい」と話しかけただけで、ギャーと叫んで私に飛びかかってきた小学生(小四男児)がいた。あるいは私が、「今日は元気?」と声をかけて肩をたたいた瞬間、「このヘンタイ野郎!」と私を足げりにした女の子(小五)もいた。こうした攻撃性は、表に出るタイプ(喧嘩する、暴力を振るう、暴言を吐く)と、裏に隠れてするタイプ(弱い者をいじめる、動物を虐待する)に分けて考える。

A退行・依存タイプ

 ぐずったり、赤ちゃんぽくなったり(退行性)、あるいは誰かに依存しようとする(依存性)。このタイプの子どもは、理由もなくグズグズしたり、甘えたりする。母親がそれを叱れば叱るほど、症状が悪化するのが特徴で、そのため親が子どもをもてあますケースが多い。

B固着・執着タイプ

 ある特定の「物」にこだわったり(固着性)、あるいはささいなことを気にして、悶々と悩んだりする(執着性)。ある男の子(年長児)は、毛布の切れ端をいつも大切に持ち歩いていた。最近多く見られるのが、おとなになりたがらない子どもたち。赤ちゃんがえりならぬ、幼児がえりを起こす。ある男の子(小五)は、幼児期に読んでいたマンガの本をボロボロになっても、まだ大切そうにカバンの中に入れていた。そこで私が、「これは何?」と声をかけると、その子どもはこう言った。「どうチェ、読んでは、ダメだというんでチョ。読んでは、ダメだというんでチョ」と。子どもの未来を日常的におどしたり、上の兄や姉のはげしい受験勉強を見て育ったりすると、子どもは幼児がえりを起こしやすくなる。

 またある特定のものに依存するのは、心にたまった欲求不満をまぎらわすためにする行為と考えるとわかりやすい。これを代償行為というが、よく知られている代償行為に、指しゃぶり、爪かみ、髪いじりなどがある。別のところで何らかの快感を覚えることで、自分の欲求不満を解消しようとする。

●欲求不満は愛情不足

 子どもがこうした欲求不満症状を示したら、まず親子の愛情問題を疑ってみる。子どもというのは、親や家族の絶対的な愛情の中で、心をはぐくむ。ここでいう「絶対的」というのは、「疑いをいだかない」という意味。その愛情に「ゆらぎ」を感じたとき、子どもの心は不安定になる。ある子ども(小一男児)はそれまでは両親の間で、川の字になって寝ていた。が、小学校に入ったということで、別の部屋で寝るようになった。とたん、ここでいう欲求不満症状を示した。その子どものケースでは、目つきが鋭くなるなどの、いわゆるツッパリ症状が出てきた。子どもなりに、親の愛がどこかでゆらいだのを感じたのかもしれない。母親は「そんなことで……」と言ったが、再び川の字になって寝るようになったら、症状はウソのように消えた。

●濃厚なスキンシップが有効

 一般的には、子どもの欲求不満には、スキンシップが、たいへん効果的である。ぐずったり、わけのわからないことをネチネチと言いだしたら、思いきって子どもを抱いてみる。最初は抵抗するような様子を見せるかもしれないが、やがて静かに落ちつく。あとはカルシウム分、マグネシウム分の多い食生活に心がける。

 なおスキンシップについてだが、日本人は、国際的な基準からしても、そのスキンシップそのものの量が、たいへん少ない。欧米人のばあいは、親子でも日常的にベタベタしている。よく「子どもを抱くと、子どもに抱きグセがつかないか?」と心配する人がいるが、日本人のばあい、その心配はまずない。そのスキンシップには、不思議な力がある。魔法の力といってもよい。子どもの欲求不満症状が見られたら、スキンシップを濃厚にしてみる。それでたいていの問題は解決する。

writer/essayist/law student/Japan/born in 1947/武義高校 林こうじ はやしこうじ 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ
 金沢大学法文学部卒 教育評論家 ハローワールド(雑誌)・よくできました(教材) スモッカの知恵の木 ジャックと英語の木 (CAI) 
教材研究  はやし浩司 教材作成 教材制作 総合目録 はやし浩司の子育て診断 これでわかる子育てアドバイス 現場からの子育
てQ&A 実践から生まれたの育児診断 子育てエッセイ 育児診断 ママ診断 はやし浩司の総合情報 はやし浩司 知能テスト 生活力
テスト 子どもの能力テスト 子どもの巣立ち はやし浩司 子育て診断 子育て情報 育児相談 子育て実践論 最前線の子育て論 子
【18】子どもが非行に走るとき 
 
●日々の生活の積み重ねで決まる

 よい子(?)も、そうでない子(?)も、大きな違いがあるようで、それほど違いはない。日々の生活の積み重ねで、よい子はよい子になり、そうでない子はそうでなくなる。たとえば非行。盗み、いじめ、暴力、喫煙、性犯罪、集団非行など。親が「うちの子に限って……」「まさか……」と思っているうちに、子どもは非行に走るようになる。しかもある日、突然に、だ。それはちょうど、ものが臨界点を超えて、突然、爆発するのに似ている。

●こぼれた水は戻らない

 子どもは、なだらかな坂をのぼるように成長するのではない。ちょうど階段をトントンとのぼるように成長する。子どもが悪くなるときも、そうだ。(悪くなる)→(何とかしようと親があせる)→(さらに悪くなる)の悪循環の中で、子どもは、トントンと悪くなる。その一つが、非行。暴力、暴行、窃盗、万引き、性行為、飲酒、喫煙、集団非行、夜遊び、外泊、家出など。最初は、遠慮がちに、しかも隠れて悪いことをしていた子どもでも、(叱られる)→(居なおる)→(さらに叱られる)の悪循環を繰り返すうちに、ますます非行に走るようになる。この段階で親がすべきことは、「それ以上、症状を悪化させないこと」だが、親にはそれがわからない。「なおそう」とか、「元に戻そう」とする。しかし一度、盆からこぼれた水は、簡単には戻らない。が、親は、無理に無理を重ねる……。

●症状は一挙に悪化する

 子どもが非行に走るようになると、独特の症状を見せるようになる。脳の機能そのものが、変調すると考えるとわかりやすい。「心の病気」ととらえる人もいる。実際アメリカでは、非行少年に対して薬物療法をしているところもある。それはともかくも前兆がないわけではない。その一つ、生活習慣がだらしなくなる。たとえば目標や規則が守れない(貯金を使ってしまう。時間にルーズになる)、自己中心的(ゲームに負けると怒る。わがままで自分勝手)になり、無礼、無作法な態度(おとなをなめるような言動、暴言)が目立つようになる。この段階で家庭騒動、家庭崩壊など、子どもを取り巻く環境が不安定になると、症状は一挙に悪化する。

●特徴

 その特徴としては、@拒否的態度(「ジュースを飲むか?」と声をかけても、即座に、「イラネエ〜」と拒否する。意識的に拒否するというよりは、条件反射的に拒否する)、A破滅的態度(ものの考え方が、投げやりになり、他人に対するやさしさや思いやりが消える。無感動、無関心になる。他人への迷惑に無頓着になる。バイクの騒音を注意しても、それが理解できない)、B自閉的態度(自分のカラに閉じこもり、独自の価値観を先鋭化する。「死」「命」「殺」などという、どこか悪魔的な言葉に鋭い反応を示すようになる。「家族が迷惑すれば、結局はあなたも損なのだ」と話しても、このタイプの子どもにはそれが理解できない。親のサイフからお金を抜き取って、それを使い込むなど)、C野獣的態度(行動が動物的になり、動作も、目つきが鋭くなり、肩をいからせて歩くようになる。考え方も、直感的、直情的になり、「文句のあるヤツは、ぶっ殺せ」式の、短絡したものの考え方をするようになる)など。心の中はいつも緊張状態にあって、ささいなことで激怒したり、キレやすくなる。また一度激怒したり、キレたりすると、感情をコントロールできなくなることが多い。

●プラス型とマイナス型

 もっともこうした症状が「表」に出る子どもは、まだよいほうだ。中には「内」にこもる子どもがいる。前者をプラス型というなら、後者はマイナス型ということになる。威圧的な家庭環境、親の過干渉、過関心が日常的に続くと、子どもの心は閉塞的になり、マイナス型になる。家の中に引きこもったり、陰湿ないじめや、動物への虐待などを日常的に繰り返したりする。妄想をもちやすく、ものの考え方が極端になりやすい。私がA君(小一)に、「ブランコを横取りされました。そういうときあなたはどうしますか」と聞いたときのこと。A君はこうつぶやいた。「そういうヤツは、ぶん殴ってやればいい。どうせ口で言ってもわかんねえ」と。

●家庭生活の猛省を!

 こうした症状が見られたら、できるだけ初期の段階で、親は家庭のあり方を猛省しなければならない。しかしこれが難しい。たいていの親は原因を外へ求めようとする。「友だちが悪い」「うちの子は、そそのかされているだけ」と。しかし反省すべきは、まず家庭のあり方である。で、このタイプの親は、大きく次の二つのタイプに分けることができる。

@エリートタイプ……一つは、エリート意識が強く、他人の話に耳を傾けないタイプ。独断意識が強い(※)。このタイプの親は、私のような立場の者がアドバイスしても、ムダ。「子どものことは私が一番よく知っている」という確信のもと、その返す刀で、相手に向かっては、「あなたには本当のことがわかっていない」と、はねのけてしまう。本来そうならないためにも、ほかの父母との交流を多くして、風通しをよくしなければならない。が、その交流もしない。あるいはしても形式的。見栄、メンツ、世間体を優先させてしまう。

A無責任タイプ……もう一つは、無責任で無教養なタイプ。その自覚がないだけではなく、さらに強制的に子どもをなおそうとする。暴力を加えることも多い。家庭の秩序そのものが、崩壊している。ある中学校の校長は私にこう言った。「本当はこのタイプの親ほど、懇談会などにも出席してほしいのですが、このタイプの親ほど来てくれません」と。子育てそのものから逃げてしまう。あるいは子どもの言いなりになってしまう。あとはこの悪循環。盲目的な溺愛が、子どもの変化を見落としてしまうこともある。私が「どうもよくない遊びをしているようですよ」と話したとき、「私では何も言えません。先生のほうから言ってください」と頼んできた母親もいた。

●最後の「糸」を切らない

 家族でも先生でも、誰かと一本の「糸」で結ばれている子どもは、非行に走る一歩手前で、自分をコントロールすることができる。が、その糸が切れたとき、あるいは子どもが「切れた(捨てられた)」と感じたとき、子どもの非行は一挙に加速する。だから子どもの心がゆがみ始めたら(そう感じたら)、なおさら、その糸を大切にする。「どんなことがあっても、私はあなたを愛していますからね」「どんなことがあっても、私はあなたのそばにいますからね」という姿勢を、徹底的に貫く。

子どもというのは、自分を信じてくれる人の前では、自分のよい面を見せようとする。そういう性質をうまく使って、子どもを非行から立ちなおらせる。そのためにも最後の「糸」は切ってはいけない。切れば切ったで、ちょうど糸の切れた凧のように、子どもは心のより所をなくしてしまう。そしてここが重要だが、このタイプの子どもは、「なおそう」とは思わないこと。現在の症状を今より悪化させないことだけを考えて、時間をかけて様子をみる。

 一般に、この非行も含めて、「心の問題」は、一年単位(一年でも短いほうだが……)で、その推移を見守る。無理をすれば、「以前のほうが症状が軽かった」ということを繰り返しながら、症状はさらにドロ沼化する。そしてその分、子どもの立ちなおりは遅れる。

※……特に最近の傾向として、「@外からとくに指摘される外形的問題は見られない、A親は高学歴で経済的に安定している、B教育熱心で学校にも協力的である、C親の過保護、過度の期待が潜在している」(日本教育新聞社・教育ファイル)ということも指摘されている。

(参考)
●ふえる「いきなり型」の非行

 二〇〇一年度版『青少年白書』によれば、「最近の少年非行の特徴として、凶悪犯で検挙された少年のうち、過去に非行歴のない少年が全体の約半数を占めている」という。白書はそれについて、「一見おとなしくて目立たない『ふつうの子』が、内面に不満やストレスを抱え、それが爆発して起きる『いきなり型』の非行が新たに生じてきている」と分析している。

 そして最近の非行少年の共通点として、@自己中心的な価値観をもち、規範意識や被害者に対する贖罪感(罪をあがなう意識)が低い、Aコミュニケーション能力が低いことをあげている。その要因としては、「少年の内面的な特徴について、対人関係がうまく結べないことをあげ、パソコンや携帯電話の普及で、性や暴力に関する有害情報に接しやすい環境になっている」と、パソコンや携帯電話の弊害を指摘している。ちなみに浜松市の西隣に湖西市という人口が四万人の町がある。その町の高校三年生に聞いてみたところ、二クラス計七二人のうち、携帯電話を持っていないのは、五人のみだそうだ(二〇〇一年一一月)。普及率は、九四%ということになる。「携帯電話を持っていない人はどういう人か」と質問すると、「友だちがいないヤツ」「変わり者」「つきあいの悪いヤツ」という答が返ってきた。


育て格言 はやし浩司 子どもの問題 子供の問題 育児相談 子どもの心 子供の心 子どもの心理 子供の心 はやし浩司 不登校 
登校拒否 学校恐怖症 はやし浩司 子育て実例集 子育て定期検診 子どもの学習指導 はやし浩司 子供の学習 学習指導 子供の
学習指導 はやし浩司 子どもの生活指導 子供の生活 子どもの心を育てる 子供の心を考える 発語障害 浜松中日文化センター 
BW教室 はやし浩司の才能教室 幼児教室 幼児知能教室 浜松市 BWこどもクラブ はやし浩司 子育て診断 育児アドバイス 子育
てアドバイス 子育て情報 育児情報 育児調査 はやし浩司 子育ての悩み 育児問題 育児相談 はやし浩司 子育て調査 子育て疲
【19】子どもの多動性を考えるとき


●抑えがきかない子ども 
 集中力欠如型多動性児(ADHD児)と言われるタイプの子どもがいる。無遠慮(隣の家へあがりこんで、勝手に冷蔵庫の中の物を食べる)、無警戒(塀の中にいる飼い犬に手を出して、かまれる)、無頓着(一階の屋根の上から下へ飛びおりる)などの特徴がある。ふつう意味のないことをペラペラとしゃべり続ける、多弁性をともなう。が、何といっても最大の特徴は、抑えがきかないということ。強く制止しても、その場だけの効果しかない。一分もしないうちに、また騒ぎだす。たいていは乳幼児期からきびしいしつけを受けているため、叱られるということに対して免疫性ができている。それがますます指導を難しくする。

 このタイプの子どもの指導でたいへんなのは、「秩序」そのものを破壊してしまうこと。勝手に騒いで、授業をメチャメチャにしてしまう。それだけではない。その子どもだけを集中的に指導していると、ほかの子どもたちが神経質になってしまう。私もこんな失敗をしたことがある。その子ども(年長男児)を何とか抑えようと四苦八苦していたのだが、ふと横を見ると、隣の女の子が涙ぐんでいた。「どうしたの?」と聞くと、小さい声で、「先生がこわい……」と。

●DSM・Wのマニュアルより

 出現率は、小学校の低学年児では、二〇人に一人ぐらいだが、症状にも軽重があり、その傾向のある子どもまで含めると、一〇人に一人ぐらいの割合で経験する。学習面での特徴としては、@ここにあげた多動性(めまぐるしく動き回る)のほか、A注意力持続困難(注意力が散漫で、先生の話が聞けない。集中できない。根気が続かない)、B衝動性(衝動的行為が多く、突発的に叫んだり暴れたりする)があげられている(アメリカ、障害児診断マニュアル、DSM・Wより)。

●「ママのパンティね、花柄パンティよ!」

 能力的には、遅れが目立つ子どもが約七割、ある特定の分野に、ふつう程度以上の能力を見せる子どもが約三割と私はみている。が、問題はそのことではなく、親自身にその自覚がほとんどないということ。このタイプの子どもは、乳幼児期には、何ごとにつけ天衣無縫。言うことなすこと活発で、そのためほとんどの親は、自分の子どもをむしろ優秀な子どもと誤解する。これがまた指導を難しくする。Mさん(年中児)もそうだった。赤ちゃんのときから、柱にヒモでつながれて育った。そのMさん、参観日のとき、突然、「今日のママのパンティね、花柄パンティよ!」と叫んだ。言ってよいことと悪いことの区別がつかない。

 が、Mさんの母親は、遊戯会の日まで、天才児と信じていた。その遊戯会でのこと。Mさんは、一人だけ皆から離れて、舞台の前で、ほかの子どもたちに向かって、アッカンベーを繰り返した。そこで私に相談があったので、私は、Mさんが、活発型遅進児の疑いがあると告げた。もう二五年近くも前のことで、当時は多動児という言葉すら、まだ一般的ではなかった。その説明をすると、母親はその場で泣き崩れてしまった。

●教師の経験や技量は関係ない

 脳の機能変調説が有力で、アメリカでは別の施設に移した上で、薬物治療までしている。しかし効果は一時的。たとえば「リタリン」という薬を与えて治療しているそうだが、その薬にしても、三〜四時間しか効果がないといわれている。この日本でも薬物療法をするところがふえてはいるが、現場指導が中心。たとえばこの静岡県では、現場の教師に指導が任されている。補助教員や学校ボランティアの付き添いを制度化している市町村もあるが、しかしこの方法では、おのずと限界がある。仮にこのタイプの子どもが、一クラス(三五名)に二〜三名もいると、先にも書いたように、クラスそのものがメチャメチャになってしまう。これには教師の経験や技量は、あまり関係ない。

●もちまえのバイタリティが、よい作用に!

 ……こう書くと、このタイプの子どもには未来はない、ということになるが、そうではない。小学三、四年生を過ぎると、それ以後は、自分で自分をコントロールするようになる。騒々しさは残ることは多いが、見た目にはわかりにくくなる。持ち前のバイタリティが、よい方向に作用することもある。集団教育になじまないというだけで、それを除けば子どもとしては、まったく問題はない。つまりそういう視点に立って、仮にここでいうような症状があっても、乳幼児期は、それ以上に、症状をこじらせないことに心がける。こじらせればこじらせるほど、その分、立ちなおりが遅れる。

(付記)
●読者からの抗議

 この原稿を新聞で発表した直後、一人の母親から、猛烈な抗議の電話をもらった。長い電話だった。内容は次のようなものだった。「私の子ども(小四男児)は多動児だ」、「多動児を一方的に悪いと決めつけないでほしい」、「先生がたの熱心な指導で、改善している」、「そういう先生の熱意と努力を、あなたは無視している」、「だから文中の『教師の技量や経験は、あまり関係ない』という個所を訂正してほしい」と。

 誤解があるといけないので、申し添えるが、私は三〇歳のときから四〇歳になるまで、毎年二〜四人のこのタイプの子どもを預かって指導したことがある。私のほうから頼んで教室に来てもらったこともあり、費用は一円も受け取っていない。そういう経験の上で、この文を書いた。確かに新聞紙上では、あちこちを切りつめて発表したので、こまかい点では配慮が足りなかった。それについては、その母親に謝った。

●誰がそう診断したか?

 しかしここで一つの大きな疑問にぶつかる。その母親は、「私の子どもは多動児だ」と言ったが、誰がそのような診断をしたかという疑問である。学校の教師でないことは確かだ。どこかの医療機関が診断したとしても、まだADHD児の診断基準すら確立されていないこの日本で、どうやって診断したというのだろうか。多動性があるからといって、多動児ということにはならない。風邪をひけば熱が出るが、熱があるからといって風邪とは限らない。それと同じ理屈だ。私も親や子どもの前で、多動児という言葉を使ったことは一度もない。

●知らぬフリをして教えるのが教育

 教育にははっきりわからなくてもよいことは山ほどある。またわかっていても、知らぬフリをして教えるということもある。病気の世界では、まず診断名をくだし、つづいてその診断名にもとづいて治療を開始する。しかし教育の世界では、診断名をくだすこと自体、ありえない。治療法もないのに、診断名だけをくだすことは許されないのだ。それにそもそも教育は治療ではない。また治療であってはならない。仮に一つのクラスが多動性児によって混乱したとしても、教育者が考えるべきことは、クラスの立てなおしであって、その子どもの治療ではない。ただ親が、こうした資料をもとに、それとなく自分の子どもがそうではないかと知ることは必要である。そしてそういう知識をもとに、それぞれの専門機関に相談してみることは必要である。ここに書いたことは、そういう目的で使ってほしい。

(参考)
●多動児の診断基準

 多動児(集中力欠如型多動性児、ADHD児)の診断基準は、二〇〇一年の春、厚生労働省の研究班が国立精神神経センター上林靖子氏ら委託して、そのひな型が作成されたばかりで、先にも書いたように、いまだこの日本には、多動児の診断基準はないというのが正しい。つまり正確には、この日本には多動児という子どもは存在しないということになる。一般に多動児というときは、落ちつきなく動き回るという多動性のある子どもをいうことになる。そういう意味では、活発型の自閉症児なども多動児ということになるが、ここでは区別して考える。
(チェック項目)

行動が幼い
注意が続かない
落ちつきがない
混乱する
考えにふける
衝動的
神経質
体がひきつる
成績が悪い
不器用
一点をみつめる

 ちなみに厚生労働省がまとめた診断基準(親と教師向けの「子どもの行動チェックリスト」)は、次のようになっている。

たいへんまたはよくあてはまる……2点、
ややまたは時々あてはまる  ……1点、
当てはまらない       ……0点として、
男子で4〜15歳児のばあい、
12点以上は障害があることを意味する「臨床域」、
9〜11点が「境界域」、
8点以下なら「正常」

●私の診断基準

この診断基準で一番気になるところは、「抑え」について触れられていない点である。多動児が多動児であるのは、抑え、つまり指導による制止がきかない点である。教師による抑えがきけば、多動児は多動児でないということになる。一方、過剰行動性のある子どもは行動が突発的に過剰になるというだけで、抑えがきく。その抑えがきくという点で、多動児と区別される。また活発型の自閉症児について言えば、多動性はあくまでも随伴的な症状でしかない。
私は次のようなチェックリストを考えた。

(チェック項目)

抑えがきかない
言動に秩序感がない
他人に無遠慮、無頓着
雑然とした騒々しさがある
注意力が散漫
行動が突発的で衝動的
視線が定まらない
情報の吸収性がない(注)
鋭いひらめきと愚鈍性
論理的な思考ができない
思考力が弱い

(注)情報を常に自分から他人に向けてのみ発信する。他人の情報を吸収しない。
労 育児疲れ 子どもの世界 中日新聞 Hiroshi Hayashi Hamamatsu Shizuoka/Shizuoka pref. Japan 次ページの目次から選んでく
ださい はやし浩司のホームページ 悩み調査 はやし浩司の経歴 はやし浩司 経歴 人物 子どもの叱り方 ポケモンカルト ポケモ
ン・カルト 子どもの知能 世にも不思議な留学記 武義高・武義高校同窓会 古城会 ドラえもん野比家の子育て論 クレヨンしんちゃん
野原家の子育て論 子育て教室 はやし浩司 浜松 静岡県 はやし浩司 子どもの指導法 子どもの学習指導 家族主義 子どものチ
ェックシート はやし浩司 はやしひろし 林ひろし 林浩司 静岡県浜松市 岐阜県美濃市 美濃 経済委員会給費留学生 金沢大学法
【20】子どもの国語力が決まるとき

●幼児期に、どう指導したらいいの?

 以前……と言っても、もう二〇年近くも前のことだが、私は国語力が基本的に劣っていると思われる子どもたちに集まってもらい、その子どもたちがほかの子どもたちと、どこがどう違うかを調べたことがある。結果、次の三つの特徴があるのがわかった。

@使う言葉がだらしない……ある男の子(小二)は、「ぼくジャン、行くジャン、学校ジャン」というような話し方をしていた。「ジャン」を取ると、「ぼく、行く、学校」となる。たまたま『戦国自衛隊』という映画を見てきた中学生がいたので、「どんな映画だった?」と聞くと、その子どもはこう言った。「先生、スゴイ、スゴイ! バババ……戦車……バンバン。ヘリコプター、バリバリ」と。何度か聞きなおしてみたが、映画の内容は、まったくわからなかった。

A使う言葉の数が少ない……ある女の子(小四)は、家の中でも「ウン、ダメ、ウウン」だけで会話が終わるとか。何を聞いても、「まあまあ」と言う、など。母「学校はどうだったの?」、娘「まあまあ」、母「テストはどうだったの?」、娘「まあまあ」と。

B正しい言葉で話せない……そこでいろいろと正しい言い方で話させようとしてみたが、どの子どもも外国語でも話すかのように、照れてしまった。それはちょうど日本語を習う外国人のようにたどたどしかった。私「山の上に、白い雲がありますと、言ってごらん」、子「山ア……、上にイ〜、白い……へへへへ」と。

 原因はすぐわかった。たまたま子どもを迎えにきていた母親がいたので、その母親にそのことを告げると、その母親はこう言った。「ダメネエ、うちの子ったら、ダメネエ。ホントにモウ、ダメネエ、ダメネエ」と。原因は母親だった!

●国語能力は幼児期に決まる

 子どもの国語能力は、家庭環境で決まる。なかんずく母親の言葉能力によって決まる。毎日、「帽子、帽子、ハンカチ、ハンカチ! バス、バス、ほらバス!」というような話し方をしていて、どうして子どもに国語能力が身につくというのだろうか。こういうケースでは、たとえめんどうでも、「帽子をかぶりましたか。ハンカチを持っていますか。もうすぐバスが来ます」と言ってあげねばならない。……と書くと、決まってこう言う親がいる。「うちの子はだいじょうぶ。毎晩、本を読んであげているから」と。

 言葉というのは、自分で使ってみて、はじめて身につく。毎日、ドイツ語の放送を聞いているからといって、ドイツ語が話せるようにはならない。また年中児ともなると、それこそ立て板に水のように、本をスラスラと読む子どもが現れる。しかしたいていは文字を音にかえているだけ。内容はまったく理解していない。なお文字を覚えたての子どもは、黙読では文を理解できない。一度文字を音にかえ、その音を自分の耳で聞いて、その音で理解する。音読は左脳がつかさどる。一方黙読は文字を「形」として認識するため、一度右脳を経由する。音読と黙読とでは、脳の中でも使う部分が違う。そんなわけである程度文字を読めるようになったら、黙読の練習をするとよい。具体的には「口を閉じて読んでごらん」と、口を閉じさせて本を読ませる。

●幼児教育は大学教育より奥が深い

 今回はたいへん実用的なことを書いたが、幼児教育はそれだけ大切だということをわかってもらいたいために、書いた。相手が幼児だから、幼稚なことを教えるのが幼児教育だと思っている人は多い。私が「幼稚園児を教えています」と言ったときのこと。ある男(五四歳)はこう言った。「そんなの誰にだってできるでしょう」と。しかし、この国語力も含めて、あらゆる「力」の基本と方向性は、幼児期に決まる。そういう意味では、幼児教育は大学教育より重要だし、奥が深い。それを少しはわかってほしかった。

文学部法学科 三井物産社員 ニット部輸出課 大阪支店 教育評論家 幼児教育家 はやし浩司 子育てアドバイザー・育児相談 混
迷の時代の子育て論 Melbourne Australia International House/international house/Hiroshi Hayashi/1970/ はやし浩司 ママ診断 
過保護 過干渉・溺愛 過関心 教育論 子どもの巣立ち論 メルマガ Eマガ はやし浩司 子育て最前線のあなたへ・子育てはじめの一
歩 子育て はじめの一歩・最前線の子育て論 子育て最前線の育児論 はやし浩司 入野町 林浩司 林 浩司 東洋医学基礎 目で
見る漢方・幼児教育評論家 子育てアドバイザー 子どもの世界 子供の世界 育児如同播種・育児相談 子育てアドバイス 教育相談
【21】子どもがやる気をなくすとき 

●学習の四悪

 子どもを勉強嫌いにする四悪に、無理、強制、条件、それに比較がある。子どもの能力を超えた学習を強要するのを、無理。時間や量を決めてそれを子どもに課するのを、強制。「テストで百点を取ったら、自転車を買ってあげる」というのが、条件。そして「お隣のA君は、もうカタカナが書けるのよ。あなたは……」というのを、比較。この四悪が日常化すると、子どもは確実にやる気をなくす。勉強嫌いになる。

●無理・強制・条件・比較

@無理……子どもに与える教材やワークは、子どもの能力より、ワンランクさげるのがコツ。できる、できないよりも、子どもが勉強を楽しんだかどうかを大切にする。イギリスの格言にも、『楽しく学ぶ子は、よく学ぶ』というのがある。前向きに学習する子どもは伸びるし、そうでない子どもは伸びない。しかも子どもというのは一度うしろ向きになると、いくら時間とお金をかけても、一方的にムダになるだけ。親があせればあせるほど、かえって勉強から遠ざかってしまう。そういうのをこの世界では、「空回り」というが、この空回りを感じたら、さらに思いきって内容をワンランクさげる。

A強制……やはりイギリスの格言に、『馬を水場へ連れていくことはできても、馬に水を飲ませることはできない』というのがある。子どもを馬にたとえるのも失礼なことかもしれないが、要するに親にできることにも限度があるということ。最終的に子どもが勉強するかしないかは、子どもの問題。よく親は、「うちの子はやればできるはず」と言うが、やる、やらないも、「力」のうち。「やればできるはず」と思ったら、「やってここまで」と思いなおす。あきらめる。そのあきらめが子どもの心に風穴をあけ、かえって子どもを伸ばす。

B条件……条件は、年齢とともにエスカレートしやすい。小学生のうちは、自転車ですむかもしれないが、高校生になれば、バイク、大学生になれば、自動車になる。あなたにそれだけの財力があれば話は別だが、そうでなければやめたほうがよい。さらに条件が日常化すると、「勉強は自分のためにする」という意識が、薄くなる。かわって、「(親のために)勉強してやる」という意識をもつようになる。実際に「親がうるさいから、大学へ行ってやる」と言った高校生すらいた。そうなる。反対に子どものほうから何か条件を出してくることもあるが、そういうときは、「勉強は自分のためにするもの」と突っぱねる。こうしたき然とした姿勢が、時間はかかるが、結局は子どもを自立させる原動力となる。

C比較……この比較が日常化すると、子どもから「私は私」という意識が消える。いつも他人の目を気にした生き方になってしまう。見えや体裁、それに世間体を気にするようになる。そうなればなったで、結局は自分を見失い、自分の人生そのものをムダにする。

 ……というのは、少しおおげさに聞こえるかもしれないが、日本人ほど、他人の目を気にしながら生きる民族も少ない。長い間、島国という閉鎖的な社会で、しかも封建時代という暗い時代を経験したためにそうなった。そのため幸福観も相対的なもので、「隣の人よりもよい生活だから、私は幸福」「隣の人よりも悪い生活だから、私は不幸」というような考え方をする。たとえば日本人は、「あなたは幸福なほうよ。みんなはもっと苦しいのだから」と言われたりすると、それだけでへんに納得してしまう。しかしこの生き方は、これからの生き方ではない。要するに、無理、強制、条件、比較は、子どもを手っ取り早く勉強させるにはよい方法だが、長い目で見れば、結局は逆効果。かえって子どものやる気をつぶす。
 はやし浩司・はやしひろし 林ひろし 林浩司 林こうじ 浜松市入野町 テレビ寺子屋 最前線の子育て論 子育てストレス 最前線の
子育て はやし浩司 著述 執筆 評論 ファミリス ママ診断 メルボルン大学 はやし浩司 日豪経済委員会 日韓交換学生 三井物産
元社員 子どもの世界 子供の世界 子育ての悩み 育児一般 子供の心 子どもの心 子育て実戦 実践 静岡県在住 はやし浩司 
浜松 静岡県浜松市 子育て 育児相談 育児問題 子どもの心 子供の心 はやし浩司 心理 心理学 幼児教育 BW教室 はやし浩
司 子どもの問題 子供の問題 発達心理 育児問題 はやし浩司子育て情報 子育ての悩み 無料相談 はやし浩司 無料マガジン 
【22】子どもが勉強から逃げるとき
 
●フリ勉、ダラ勉、ムダ勉

 子どもは勉強から逃げるとき、独特の症状を示す。まずフリ勉。いかにも勉強しているというフリをする。頭をかかえ、黙々と問題を読んでいるフリをする。しかしその実、何もしていない。何も考えていない。次にダラ勉。一時間なら一時間、机に向かって座っているものの、ダラダラしているだけ。マンガを読んだり、指で机をかじったり、爪をほじったりする。このばあいも、時間ばかりかかるが、その実、何もしていない。ムダ勉というのもある。やらなくてもよいようなムダな勉強ばかりして、時間をつぶす。折れ線グラフをかくときも、グラフばかりかいて時間をつぶすなど。

●一時間で計算問題を数問!

 こういう状態になったら、親は家庭教育のあり方を、かなり反省しなければならない。こんなこともあった。ある母親から、「夏休みの間だけでも、息子(小二)の勉強をみてほしい」と。遠い親戚にあたる母親だった。そこでその子どもを家に呼ぶと、その子どもはバッグいっぱいのワークブックを持ってきた。見ると、どれも分厚い、文字がびっしりのものばかり。その上、どれも子どもの能力を超えたものばかりだった。母親は難しいワークブックをやらせれば、それだけで勉強がよくできるようになると思っていたらしい。案の定、教えてみると、空を見つめて、ぼんやりとしているだけ。ほとんど何もしない。同じ問題を書いては消し、また書いては消すの繰り返し。一時間もかかって、簡単な計算問題を数問しかしないということもあった。小学低学年の段階で一度こういう症状を示すと、なおすのは容易でない。

●意欲を奪う五つの原因

 子どもから学習意欲を奪うものに、@過負担(長い学習時間、回数の多い塾通い)、A過関心(子どもの側から見て、気が抜けない家庭環境、ピリピリした親の態度)、B過剰期待(「やればできるはず」と子どもを追いたてる、親の高望み)、C過干渉(何でも親が先に決めてしまう)、それにD与えすぎ(子どもが望む前に、あれこれお膳立てしてしまう)がある。

 たくさん勉強させればさせるほど、勉強ができるようになると考えている人は多い。しかしこれは誤解。『食欲がない時に食べれば、健康をそこなうように、意欲をともなわない勉強は、記憶をそこない、また記憶されない』と、あのレオナルド・ダ・ビンチも言っている。あるいはより高度な勉強をさせればさせるほど、勉強ができるようになると考えている人もいる。これについては誤解とまでは言えないが、しかしそのときもそれだけの意欲が子どもにあればよいが、そうでなければやはり逆効果。

 要は集中力の問題。ダラダラと時間をかけるよりも、短時間にパッパッと勉強を終えるほうが、子どもの勉強としては望ましい。実際、勉強ができる子どもというのは、そういう勉強のし方をする。私が今知っている子どもに、K君(小四男児)という子どもがいる。彼は中学一年レベルの数学の問題を、自分の解き方で解いてしまう。そのK君だが、「家ではほとんど勉強しない」(母親)とのこと。「学校の宿題も、朝、学校へ行ってからしているようです」とも。
 ついでながら静岡県の小学五、六年生についてみると、家での学習時間が三〇分から一時間が四三%、一時間から一時間三〇分が三一%だそうだ(静岡県出版文化会発行「ファミリス」県内一〇〇名について調査・二〇〇一年)。

●変わる「勉強」への意識

 もっとも今、「勉強」そのものの内容が大きく変わろうとしている。「問題を解ける子ども」から、「問題を考える子ども」へ。「知っている子ども」から、「何かを生み出す子ども」へ。さらには「言われたことを従順にこなす子ども」から、「個性が光る子ども」へ、と。少なくとも世界の教育はそういう方向に向かって動いている。そして当然のことながら、それに合わせて教育内容も変わってきている。大学の入学試験のあり方も変わってきている。だから昔のままの教育観で子どもに勉強させようとしても、それ自体が今の教育にはそぐわないし、第一、子どもたちがそれを受け入れない。たとえば昔は、勉強がよくできる子どもが尊敬され、それだけでクラスのリーダーになった。しかし今は違う。「勉強して、S君のようないい成績をとってみたら」などと言うと、「ぼくらは、あんなヘンなヤツとは違う」と答えたりする。「A進学高校へ行くと勉強させられるから、A進学高校には行きたくない」と言う子どもも、珍しくない。それがよいのか悪いのかは別にして、今はそういう時代なのだ。

 ……などなど、そういうことも考えながら、子どもの勉強を考えるとよい。

子育て情報 育児情報 はやし浩司 林浩司 林ひろし 浜松 講演会 講演 はやし浩司 林浩司 林 浩司 林こうじ コージ 林浩司 
はやしひろし はやしこうじ 林浩二 浩司 東洋医学 経穴 基礎 はやし浩司 教材研究 教材 育児如同播種 育児評論 子育て論 
子供の学習 学習指導 はやし浩司 野比家の子育て論 ポケモン カルト 野原家の子育て論 はやし浩司 飛鳥新社 100の箴言 
日豪経済委員会 給費 留学生 1970 東京商工会議所 子育ての最前線にいるあなたへ 中日新聞出版 はやし浩司 林浩司
子育てエッセイ 子育てエッセー 子育て随筆 子育て談話 はやし浩司 育児相談 子育て相談 子どもの問題 育児全般 はやし浩司
【23】子どもの方向性を知るとき
 
●図書館でわかる子どもの方向性

 子どもの方向性を知るには、図書館へ連れて行けばよい。そして数時間、図書館の中で自由に遊ばせてみる。そしてそのあと、子どもがどんな本を読んでいるかを観察してみる。サッカーが好きな子どもは、サッカーの本を読む。動物が好きな子どもは、動物の本を読む。そのとき子どもが読んでいる本が、その子どもの方向性である。その方向性にすなおに従えば、子どもは本が好きになる。さからえば、本が嫌いになる。無理をすれば子どもの伸びる「芽」そのものをつぶすことにもなりかねない。ここでいくつかのコツがある。

●無理をしない

 まず子どもに与える本は、その年齢よりも、一〜二年、レベルをさげる。親というのは、どうしても無理をする傾向がある。六歳の子どもには、七歳用の本を与えようとする。七歳の子どもには、八歳用の本を与えようとする。この小さな無理が、子どもから本を遠ざける。そこで「うちの子どもはどうも本が好きではないようだ」と感じたら、思いきってレベルをさげる。本の選択は、子どもに任す。が、そうでない親もいる。本屋で子どもに、「好きな本を一冊買ってあげる」と言っておきながら、子どもが何か本を持ってくると、「こんな本はダメ。もっといい本にしなさい」と。こういう身勝手さが、子どもから本を遠ざける。

●動機づけを大切に

 次に本を与えるときは、まず親が読んでみせる。読むフリでもよい。そして親自身が子どもの前で感動してみせる。「この本はおもしろいわ」とか。これは本に限らない。子どもに何かものを与えるときは、それなりのお膳立てをする。これを動機づけという。本のばあいだと、子どもをひざに抱いて、少しだけでもその本を読んであげるなど。この動機づけがうまくいくと、あとは子どもは自分で伸びる。そうでなければそうでない。この動機づけのよしあしで、その後の子どもの取り組み方は、まったく違ってくる。まずいのは、買ってきた本を袋に入れたまま、子どもにポイと渡すような行為。子どもは読む意欲そのものをなくしてしまう。無理や強制がよくないことは、言うまでもない。

●文字を音にかえているだけ?

 なお年中児ともなると、本をスラスラと読む子どもが現れる。親は「うちの子どもは国語力があるはず」と喜ぶが、たいていは文字を音にかえているだけ。内容はまったく理解していない。親「うさぎさんは、どこへ行ったのかな」、子「……わかんない」、親「うさぎさんは誰に会ったのかな?」、子「……わかんない」と。もしそうであれば子どもが本を読んだら、一ページごとに質問してみるとよい。「うさぎさんは、どこへ行きましたか」「うさぎさんは、誰に会いましたか」と。あるいは本を読み終えたら、その内容について絵をかかせるとよい。本を読み取る力のある子どもは、一枚の絵だけで、全体のストーリーがわかるような絵をかく。そうでない子どもは、ある部分だけにこだわった絵をかく。また本を理解しながら読んでいる子どもは、読むとき、目が静かに落ち着いている。そうでない子どもは、目がフワフワした感じになる。さらに読みの深い子どもは、一ページ読むごとに何か考える様子をみせたり、そのつど挿し絵をじっと見ながら読んだりする。本の読み方としては、そのほうが好ましいことは言うまでもない。

●文字の使命は心を伝えること

 最後に、作文を好きにさせるためには、こまかいルール(文法)はうるさく言わないこと。誤字、脱字についても同じ。要は意味が伝わればよしとする。そういうおおらかさが子どもを文字好きにする。が、日本人はどうしても「型」にこだわりやすい。書き順もそうだが、文法もそうだ。たとえば小学二年の秋に、「なかなか」の使い方を学ぶ(光村図書版)。「『ぼくのとうさん、なかなかやるな』と、同じ使い方をしている『なかなか』はどれか。『なかなかできない』『なかなかおいしい』『なかなかなきやまない』」と。こういうことばかりに神経質になるから、子どもは作文が嫌いになる。小学校の高学年児で、作文が好きと言う子どもは、五人に一人もいない。大嫌いと言う子どもは、一〇人に三人はいる。

(付記)
●私の記事への反論

 「一ページごとに質問してみるとよい」という考えに対して、「子どもに本を読んであげるときには、とちゅうで、あれこれ質問してはいけない。作者の意図をそこなう」「本というのは言葉の流れや、文のリズムを味わうものだ」という意見をもらった。図書館などで、子どもたちに本の読み聞かせをしている人からだった。

 私もそう思う。それはそれだが、しかし実際には、幼児を知らない児童文学者という人も多い。そういう人は、自分の本の中で、幼児が知るはずもないというような言葉を平気で並べる。たとえばある幼児向けの本の中には、次のような言葉があった。「かわべの ほとりで、 ひとりの つりびとが うつら うつらと つりいとを たれたまま、 まどろんでいた」と。この中だけでも、幼児には理解ができそうもないと思われる言葉が、「川辺」「釣り人」「うつら」「釣り糸」「まどろむ」と続く。こうした言葉の説明を説明したり、問いかけたりすることは、決してその本の「よさ」をそこなうものではない。が、それだけではない。意味のわからない言葉から受けるストレスは相当なものだ。ためしにBS放送か何かで、フランス語の放送をしばらく聞いてみるとよい。フランス語がわかれば話は別だが、ふつうの人ならしばらく聞いていると、イライラしてくるはずだ。

 子どもの心理 子育て 悩み 育児悩み 悩み相談 子どもの問題 育児悩み 子どもの心理 子供の心理 発達心理 幼児の心 はや
し浩司 幼児の問題 幼児 相談 随筆家 育児 随筆家 育児エッセー 育児エッセイ 母親の心理 母親の問題 育児全般 はやし浩
司 林浩司 林こうじ はやしこうじ はやしひろし 子育て アドバイス アドバイザー 子供の悩み 子どもの悩み 子育て情報 ADHD 
不登校 学校恐怖症 怠学 はやし浩司 浜松市
はやし浩司 タイプ別育児論 赤ちゃんがえり 赤ちゃん言葉 悪筆 頭のいい子ども 頭をよくする あと片づけ 家出 いじめ 子供の依
【24】子どもが学習机から離れるとき

●机は休むためにある

 学習机は、勉強するためにあるのではない。休むためにある。どんな勉強でも、しばらくすると疲れてくる。問題はその疲れたとき。そのとき子どもがその机の前に座ったまま休むことができれば、よし。そうでなければ子どもは、学習机から離れる。勉強というのは一度中断すると、なかなかもとに戻らない。

 そこであなたの子どもと学習机の相性テスト。子どもの好きそうな食べ物を、そっと学習机の上に置いてみてほしい。そのとき子どもがそのまま机の前に座ってそれを食べれば、よし。もしその食べ物を別のところに移して食べるようであれば、相性はかなり悪いとみる。反対に自分の好きなことを、何でも自分の机に持っていってするようであれば、相性は合っているということになる。相性の悪い机を長く使っていると、勉強嫌いの原因ともなりかねない。

●机は棚のない平机

 学習机というと、前に棚のある棚式の机が主流になっている。しかし棚式の机は長く使っていると圧迫感が生まれる。もう一五年ほども前になるが、小学一年生について調査したことがある。結果、棚式の机のばあい、購入後三か月で約八〇%の子どもが物置にしていることがわかった。最近の机にはいろいろな機能がついているが、子どもを一時的にひきつける効果はあるかもしれないが、あくまでも一時的。そんなわけで机は買うとしても、棚のない平机をすすめる。あるいは低学年児のばあい、机はまだいらない。たいていの子どもは台所のテーブルなどを利用して勉強している。この時期は勉強を意識するのではなく、「勉強は楽しい」という思いを育てる。親子のふれあいを大切にする。子どもに向かっては、「勉強しなさい」と命令するのではなく、「一緒にやろうか?」と話しかけるなど。

●学習机を置くポイント

 学習机にはいくつかのポイントがある。
@机の前には、できるだけ広い空間を用意する。 
A棚や本棚など、圧迫感のあるものは背中側に配置する。
B座った位置からドアが見えるようにする。C光は左側からくるようにする(右利き児のばあい)。
Dイスは広く、たいらなもの。かためのイスで、机と同じ高さのひじかけがあるとよい。
E窓に向けて机を置くというのが一般的だが、あまり見晴らしがよすぎると、気が散って勉強できないということもあるので注意する。

 机の前に広い空間があると、開放感が生まれる。またドアが背中側にあると、心理的に落ちつかないことがわかっている。意外と盲点なのが、イス。深々としたイスはかえって疲れる。ひじかけがあると、作業が格段と楽になる。ひじかけがないと、腕を机の上に置こうとするため、どうしても体が前かがみになり、姿勢が悪くなる。中に全体が前に倒れるようになっているイスがある。確かに勉強するときは能率があがるかもしれないが、このタイプのイスでは体を休めることができない。

 さらに学習机をどこに置くかだが、子どもが学校から帰ってきたら、どこでどのようにして体を休めるかを観察してみるとよい。好きなマンガなどを、どこで読んでいるかをみるのもよい。たいていは台所のイスとか、居間のソファの上だが、もしそうであれば、思い切って、そういうところを勉強場所にしてみるという手もある。子どもは進んで勉強するようになるかもしれない。

●相性を見極める

 ものごとには相性というものがある。子どもの勉強をみるときは、何かにつけ、その相性を大切にする。相性が合えば、子どもは進んで勉強するようになる。相性が合わなければ、子どもは何かにつけ、逃げ腰になる。無理をすれば、子どもの学習意欲そのものをつぶしてしまうこともある。
存と愛着 育児ノイローゼ 一芸論 ウソ 内弁慶 右脳教育 エディプス・コンプレックス おてんばな子おねしょ(夜尿症) おむつ(高層
住宅) 親意識 親の愛 親離れ 音読と黙読 学習机 学力 学歴信仰 学校はやし浩司 タイプ別育児論 恐怖症 家庭教師 過保護 
過剰行動 考える子ども がんこな子ども 緩慢行動 かん黙児 気うつ症の子ども 気負い 帰宅拒否 気難しい子 虐待 キレる子ども
 虚言(ウソ) 恐怖症 子供の金銭感覚 計算力 ゲーム ケチな子ども 行為障害 心を開かない子ども 個性 こづかい 言葉能力、
読解力 子どもの心 子離れ はやし浩司 タイプ別育児論 子供の才能とこだわり 自慰 自意識 自己嫌悪 自殺 自然教育 自尊心 
【25】教育が型にはまるとき

●「ちゃんと見てほしい」

 「こんな丸のつけ方はない」と怒ってきた親がいた。祖母がいた。「ハネやハライが、メチャメチャだ。ちゃんと見てほしい」と。私が子ども(幼児)の書いた文字に、花丸をつけて返したときのことである。あるいはときどき、市販のワークを自分でやって、見せてくれる子どもがいる。そういうときも私は同じように、大きな丸をつけ、子どもに返す。が、それにも抗議。「答がちがっているのに、どうして丸をつけるのか!」と。

●「型」にこだわる日本人

 日本人ほど、「型」にこだわる国民はいない。よい例が茶道であり華道だ。相撲もそうだ。最近でこそうるさく言わなくなったが、利き手もそうだ。「右利きはいいが、左利きはダメ」と。私の二男は生まれながらにして左利きだったが、小学校に入ると、先生にガンガンと注意された。書道の先生ということもあった。そこで私が直接、「左利きを認めてやってほしい」と懇願すると、その先生はこう言った。「冷蔵庫でもドアでも、右利き用にできているから、なおしたほうがよい」と。そのため二男は、左右反対の文字や部分的に反転した文字を書くようになってしまった。書き順どころではない。文字に対して恐怖心までもつようになり、本をまったく読もうとしなくなってしまった。

 一方、オーストラリアでは、スペルがまちがっている程度なら、先生は何も言わない。壁に張られた作品を見ても、まちがいだらけ。そこで私が「なおさないのですか」と聞くと、その先生(小三担当)は、こう話してくれた。「シェークスピアの時代から、正しいスペルなんてものはないのです。発音が違えば、スペルも違う。イギリスのスペルが正しいというわけではない。言葉は、ルール(文法やスペル)ではなく、中身です」と。

●「U」が二画?

 近く小学校でも、英語教育が始まる。その会議が一〇年ほど前、この浜松市であった。その会議を傍聴してきたある出版社の編集長が、帰り道、私の家に寄って、こう話してくれた。「Uは、まず左半分を書いて、次に右半分を書く。つまり二画と決まりました。同じようにMとWは四画と決まりました」と。私はその話を聞いて、驚いた。英語国にもないような書き順が、この日本にあるとは! そう言えば私も中学生のとき、英語の文字は、二五度傾けて書けと教えられたことがある。今から思うとバカげた教育だが、しかしこういうことばかりしているから、日本の教育はおもしろくない。つまらない。たとえば作文にしても、子どもたちは文を書く楽しみを覚える前に、文字そのものを嫌いになってしまう。日本のアニメやコミックは、世界一だと言われているが、その背景に、子どもたちの文字嫌いがあるとしたら、喜んでばかりはおられない。だいたいこのコンピュータの時代に、ハネやハライなど、毛筆時代の亡霊を、こうまでかたくなに守らねばならない理由が、一体どこにあるのか。「型」と「個性」は、正反対の位置にある。子どもを型に押し込めようとすればするほど、子どもの個性はつぶれる。子どもはやる気をなくす。

●左利きと右利き

 正しい文字かどうかということは、次の次。文字を通して、子どもの意思が伝われば、それでよし。それを喜んでみせる。そういう積み重ねがあって、子どもは文を書く楽しみを覚える。オーストラリアでは、すでに一〇年以上も前に小学三年生から。今ではほとんどの幼稚園で、コンピュータの授業をしている。一〇年以上も前に中学でも高校でも生徒たちは、フロッピーディスクで宿題を提出していたが、それが今では、インターネットに置きかわった。先生と生徒が、常時インターネットでつながっている。こういう時代がすでにもう来ているのに、何がトメだ、ハネだ、ハライだ! 

 冒頭に書いたワークにしても、しかり。子どもが使うワークなど、半分がお絵かきになったとしても、よい。だいたいにおいて、あのワークほど、いいかげんなものはない。それについては、また別のところで書くが、そういうものにこだわるほうが、おかしい。左利きにしても、人類の約五%が、左利きといわれている(日本人は三〜四%)。原因は、どちらか一方の大脳が優位にたっているという大脳半球優位説。親からの遺伝という遺伝説。生活習慣によって決まるという生活習慣説などがある。一般的には乳幼児には左利きが多く、三〜四歳までに決まるが、どの説にせよ、左利きが悪いというのは、あくまでも偏見でしかない。冷蔵庫やドアにしても、確かに右利き用にはできているが、しかしそんなのは慣れ。慣れれば何でもない。

●エビでタイを釣る

 子どもの懸命さを少しでも感じたら、それをほめる。たとえヘタな文字でも、子どもが一生懸命書いたら、「ほお、じょうずになったね」とほめる。そういう前向きな姿勢が、子どもを伸ばす。これは幼児教育の大原則。昔からこう言うではないか。「エビでタイを釣る」と。しかし愚かな人はタイを釣る前に、エビを食べてしまう。こまかいこと(=エビ)を言って、子どもの意欲(=タイ)を、そいでしまう。

(付記)
●私の意見に対する反論

 この私の意見に対して、「日本語には日本語の美しさがある。トメ、ハネ、ハライもその一つ。それを子どもに伝えていくのも、教育の役目だ」「小学低学年でそれをしっかりと教えておかないと、なおすことができなくなる」と言う人がいた。しかし私はこういう意見を聞くと、生理的な嫌悪感を覚える。その第一、「トメ、ハネ、ハライが美しい」と誰が決めたのか? それはその道の書道家たちがそう思うだけで、そういう「美」を、勝手に押しつけてもらっては困る。要はバランスの問題だが、文字の役目は、意思を相手に伝えること。「型」ばかりにこだわっていると、文字本来の目的がどこかへ飛んでいってしまう。

私は毎晩、涙をポロポロこぼしながら漢字の書き取りをしていた二男の姿を、今でもよく思い出す。二男にとっては、右手で文字を書くというのは、私たちが足の指に鉛筆をはさんで文字を書くのと同じくらい、つらいことだったのだろう。二男には本当に申し訳ないことをしたと思っている。この原稿には、そういう私の、父親としての気持ちを織り込んだ。

(参考)
●経済協力開発機構(OECD)が調査した「学習到達度調査」(PISA・二〇〇〇年調査)によれば、「毎日、趣味で読書をするか」という問いに対して、日本の生徒(一五歳)のうち、五三%が、「しない」と答えている。この割合は、参加国三二か国中、最多であった。また同じ調査だが、読解力の点数こそ、日本は中位よりやや上の八位であったが、記述式の問題について無回答が目立った。無回答率はカナダは五%、アメリカは四%。しかし日本は二九%! 文部科学省は、「わからないものには手を出さない傾向。意欲のなさの表れともとれる」(毎日新聞)とコメントを寄せている。

叱り方 しつけ 自閉症 受験ノイローゼ 小食 心的外傷後ストレス障害 情緒不安 自立心 集中力 就眠のしつけ 神経質な子ども 
神経症 スキンシップ 巣立ち はやし浩司 タイプ別育児論 すなおな子ども 性教育 先生とのトラブル 善悪 祖父母との同居 大学
教育 体罰 多動児男児の女性化 断絶 チック 長男・二男 直観像素質 溺愛 動機づけ 子供の同性愛 トラブル 仲間はずれ 生
意気な子ども 二番目の子 はやし浩司 タイプ別育児論 伸び悩む子ども 伸びる子ども 発語障害 反抗 反抗期(第一反抗期) 非
行 敏捷(びんしょう)性 ファーバー方式 父性と母性 不登校 ぶりっ子(優等生?) 分離不安 平和教育 勉強が苦手 勉強部屋 ホ
【26】子どもがワークをするとき
 
●西田ひかるさんが高校一年生

 学研に「幼児の学習」「なかよし学習」という雑誌があった。今もある。私はこの雑誌に創刊時からかかわり、その後「知恵遊び」を一〇年間ほど、協力させてもらった。「協力」というのもおおげさだが、巻末の紹介欄ではそうなっていた。この雑誌は両誌で、当時毎月四七万部も発行された。この雑誌を中心に私は以後、無数の市販教材の制作、指導にかかわってきた。バーコードをこするだけで音が出たり答えが出たりする世界初の教材、「TOM」(全一〇巻)や、「まなぶくん・幼児教室」(全四八巻)なども手がけた。一四年ほど前には英語雑誌、「ハローワールド」の創刊企画も一から手がけた。この雑誌も毎月二七万部という発行部数を記録したが、そのときの編集長の大塚薫氏が横浜のアメリカンハイスクールで見つけてきたのが、西田ひかるさんだった。当時まだまったく無名の、高校一年生だった。

●さて本題

 ……実はこういう前置きをしなければならないところに、肩書のない人間の悲しみがある。私はどこの世界でも、またどんな人に会っても、まずそれから話さなければならない。私の意見を聞いてもらうのは、そのあとだ。で、本論。私はこのコラム(中日新聞「子どもの世界」)の中で、「ワークやドリルなど、半分はお絵かきになってもよい」と書いた。別のところでは、「ワークやドリルほどいいかげんなものはない」とも書いた。そのことについて、何人かの人から、「おかしい」「それはまちがっている」という意見をもらった。しかし私はやはり、そう思う。無数の市販教材に携わってきた「私」がそう言うのだから、まちがいない。

●平均点は六〇点

 まず「売れるもの」。それを大前提にして、この種の教材の企画は始まる。主義主張は、次の次。そして私のような教材屋に仕事が回ってくる。そのとき、おおむね次のようなレベルを想定して、プロット(構成)を立てる。その年齢の子ども上位一〇%と下位一〇%は、対象からはずす。残りの八〇%の子どもが、ほぼ無理なくできる問題、と。点数で言えば、平均点が六〇点ぐらいになるような問題を考える。幼児用の教材であれば、文字、数、知恵の三本を柱に案をまとめる。小学生用であれば、教科書を参考にまとめる。しかしこの世界には、著作権というものがない。まさに無法地帯。私の考えた案が、ほんの少しだけ変えられ、他社で別の教材になるということは日常茶飯事。こう書いても信じてもらえないかもしれないが、二五年前に私が「主婦と生活」という雑誌で発表した知育ワークで、その後、東京の私立小学校の入試問題の定番になったのが、いくつかある。

●半分がお絵かきになってもよい

 子どもがワークやドリルをていねいにやってくれれば、それはそれとして喜ばねばならないことかもしれない。しかしそういうワークやドリルが、子どもをしごく道具になっているのを見ると、私としてはつらい。……つらかった。私のばあい、子どもたちに楽しんでもらうということを何よりも大切にした。同じ迷路の問題でも、それを立体的にしてみたり、物語を入れてみたり、あるいは意外性をそこにまぜた。たとえば無数の魚が泳いでいるのだが、よく見ると全体として迷路になっているとか。あの「幼児の学習」や「なかよし学習」にしても、私は毎月三〇〇枚以上の原案をかいていた。だから繰り返す。

 「ワークやドリルなど、半分がお絵かきになってもよい。それよりも大切なことは、子どもが学ぶことを楽しむこと。自分はできるという自信をもつこと」と。
ームスクール はやし浩司 タイプ別育児論 本嫌いの子ども マザーコンプレックス夢想する子ども 燃え尽き 問題児 子供のやる気 
やる気のない子ども 遊離(子どもの仮面) 指しゃぶり 欲求不満 よく泣く子ども 横を見る子ども わがままな子ども ワークブック 忘
れ物が多い子ども 乱舞する子ども 赤ちゃんがえり 赤ちゃん帰り 赤ちゃん返り 家庭内暴力 子供の虚言癖 はやし浩司 タイプ別
育児論はじめての登園 ADHD・アメリカの資料より 学校拒否症(不登校)・アメリカ医学会の報告(以上 はやし浩司のタイプ別育児論
へ)東洋医学 漢方 目で見る漢方診断 東洋医学基礎編 はやし浩司 東洋医学 黄帝内経 素問 霊枢 幼児教育 はやし浩 林浩
【27】親が子どもを叱るとき

●叱るときは恐怖感を与えない

 子どもを叱るとき、最も大切なことは、恐怖感を与えないこと。『威圧で閉じる子どもの耳』と覚えておく。中に親に叱られながら、しおらしくしている子どもがいる。が、反省しているから、そうしているのではない。こわいからそうしているだけ。親が子どもを日常的に叱れば叱るほど、子どもはいわゆる「叱られじょうず」になる。頭をさげて、いかにも反省しているといった様子を見せる。しかしこれはフリ。親が叱るほどには、効果は、ない。叱るときは、次のことを守る。
●叱るときの鉄則

@人がいるところでは、叱らない(子どもの自尊心を守るため)、
A大声で怒鳴らない。そのかわり言うべきことは、繰り返し言う。「子どもの脳は耳から遠い」と覚えておく。話した説教が、脳に届くには、時間がかかる。
B相手が幼児のときは、幼児の目線にまで、おとなの体を低くする(威圧感を与えないため)。視線をはずさない(真剣であることを示すため)。子どもの体を、しっかりと親の両手で固定し、きちんとした言い方で話す。にらむのはよいが、体罰は避ける。とくに頭部への体罰は、タブー。体罰は与えるとしても、「お尻」と決めておく。
C子どもが興奮状態になったら、手をひく。あきらめる。そしてここが重要だが、
D叱ったことについて、子どもが守られるようになったら、「ほら、できるわね」と、ほめてしあげる。ちなみに私が調査したところ、相手が幼児のばあい、約五〇%の母親が何らかの体罰を加えているのがわかった(浜松市にて調査)。

 げんこつ、頭たたき、チビクリ、お尻たたきなど。ほかに「グリグリ(げんこつで頭の両側をグルグリする)」「ヒネリ(げんこつで頭をひねる)」など。台所のすみで正座、仏壇の前で正座というものもあった。「どうして仏壇の前で正座なのか?」と聞いたら、その子ども(中一男子)はこう話してくれた。「お父さんが数年前に死んだから」と。何でもとても恐ろしいことだそうだ。体罰ではないが、「(家からの)追い出し」というのも依然と多い。

●ほめるときは、おおげさに

 次に子どものほめ方。古代ローマの劇作家のシルスも、『忠告は秘かに、賞賛はおおやけに』と書いている。子どもをほめるときは、人前で、大声で、少しおおげさにほめる。そのとき頭をなでる、抱くなどのスキンシップを併用するとよい。そしてあとは繰り返しほめる。

 ただ、一つだけ条件がある。子どもの、やさしさ、努力については、遠慮なくほめる。が、顔やスタイルについては、ほめないほうがよい。幼児期に一度、そちらのほうに関心が向くと、見てくれや、かっこうばかりを気にするようになる。実際、休み時間になると、化粧ばかりしていた女子中学生がいた。また「頭」については、ほめてよいときと、そうでないときがあるので、慎重にする。頭をほめすぎて、子どもがうぬぼれてしまったケースは、いくらでもある。

●励まし方

 叱り方、ほめ方と並んで重要なのが、励まし方。いつもプラスの暗示をかけるようにして、励ますとよい。「あなたはこの前より、すばらしくなった」「去年よりずっとよくなった」など。またすでに悩んだり、苦しんだり、さらにはがんばっている子どもに向かって、「がんばれ!」はタブー。意味がないだけではなく、かえって子どもを袋小路へ追い込んでしまう。「やればできる」式の励まし、「こんなことでは!」式の脅しも、タブー。結果が悪く、子どもが落ち込んでいるようなときはなおさら、「あなたはよくがんばった」式の前向きな姿勢で、子どもを温かく包んであげる。

司 林浩 幼児教育研究 子育て評論 子育て評論家 子どもの心 子どもの心理 子ども相談 子ども相談 はやし浩司 育児論 子育
て論 幼児教育論 幼児教育 子育て問題 育児問題 はやし浩司 林浩司



【28】子どもをよい子にしたいとき
 
●どうすれば、うちの子は、いい子になるの?

 「どうすれば、うちの子どもを、いい子にすることができるのか。それを一口で言ってくれ。私は、そのとおりにするから」と言ってきた、強引な(?)父親がいた。「あんたの本を、何冊も読む時間など、ない」と。私はしばらく間をおいて、こう言った。「使うことです。使って使って、使いまくることです」と。

 そのとおり。子どもは使えば使うほど、よくなる。使うことで、子どもは生活力を身につける。自立心を養う。それだけではない。忍耐力や、さらに根性も、そこから生まれる。この忍耐力や根性が、やがて子どもを伸ばす原動力になる。

●一〇〇%スポイルされている日本の子ども?

 ところでこんなことを言ったアメリカ人の友人がいた。「日本の子どもたちは、一〇〇%、スポイルされている」と。わかりやすく言えば、「ドラ息子、ドラ娘だ」と言うのだ。そこで私が、「君は、日本の子どものどんなところを見て、そう言うのか」と聞くと、彼は、こう教えてくれた。「ときどきホームステイをさせてやるのだが、食事のあと、食器を洗わない。片づけない。シャワーを浴びても、あわを洗い流さない。朝、起きても、ベッドをなおさない」などなど。つまり、「日本の子どもは何もしない」と。反対に夏休みの間、アメリカでホームステイをしてきた高校生が、こう言って驚いていた。「向こうでは、明らかにできそこないと思われるような高校生ですら、家事だけはしっかりと手伝っている」と。ちなみにドラ息子の症状としては、次のようなものがある。

●ドラ息子症候群

@ものの考え方が自己中心的。自分のことはするが他人のことはしない。他人は自分を喜ばせるためにいると考える。ゲームなどで負けたりすると、泣いたり怒ったりする。自分の思いどおりにならないと、不機嫌になる。あるいは自分より先に行くものを許さない。いつも自分が皆の中心にいないと、気がすまない。Aものの考え方が退行的。約束やルールが守れない。目標を定めることができず、目標を定めても、それを達成することができない。あれこれ理由をつけては、目標を放棄してしまう。ほしいものにブレーキをかけることができない。生活習慣そのものがだらしなくなる。その場を楽しめばそれでよいという考え方が強くなり、享楽的かつ消費的な行動が多くなる。Bものの考え方が無責任。他人に対して無礼、無作法になる。依存心が強い割には、自分勝手。わがままな割には、幼児性が残るなどのアンバランスさが目立つ。Cバランス感覚が消える。ものごとを静かに考えて、正しく判断し、その判断に従って行動することができない、など。

●原因は家庭教育に

 こうした症状は、早い子どもで、年中児の中ごろ(四・五歳)前後で表れてくる。しかし一度この時期にこういう症状が出てくると、それ以後、それをなおすのは容易ではない。ドラ息子、ドラ娘というのは、その子どもに問題があるというよりは、家庭のあり方そのものに原因があるからである。また私のようなものがそれを指摘したりすると、家庭のあり方を反省する前に、叱って子どもをなおそうとする。あるいは私に向かって、「内政干渉しないでほしい」とか言って、それをはねのけてしまう。あるいは言い方をまちがえると、家庭騒動の原因をつくってしまう。
●子どもは使えば使うほどよい子に

 日本の親は、子どもを使わない。本当に使わない。「子どもに楽な思いをさせるのが、親の愛だ」と誤解しているようなところがある。だから子どもにも生活感がない。「水はどこからくるか」と聞くと、年長児たちは「水道の蛇口」と答える。「ゴミはどうなるか」と聞くと、「どこかのおじさんが捨ててくれる」と。あるいは「お母さんが病気になると、どんなことで困りますか」と聞くと、「お父さんがいるから、いい」と答えたりする。生活への耐性そのものがなくなることもある。友だちの家からタクシーで、あわてて帰ってきた子ども(小六女児)がいた。話を聞くと、「トイレが汚れていて、そこで用をたすことができなかったからだ」と。そういう子どもにしないためにも、子どもにはどんどん家事を分担させる。子どもが二〜四歳のときが勝負で、それ以後になると、このしつけはできなくなる。

●いやなことをする力、それが忍耐力

 で、その忍耐力。よく「うちの子はサッカーだと、一日中しています。そういう力を勉強に向けてくれたらいいのですが……」と言う親がいる。しかしそういうのは忍耐力とは言わない。好きなことをしているだけ。幼児にとって、忍耐力というのは、「いやなことをする力」のことをいう。たとえば台所の生ゴミを始末できる。寒い日に隣の家へ、回覧板を届けることができる。風呂場の排水口にたまった毛玉を始末できる。そういうことができる力のことを、忍耐力という。こんな子ども(年中女児)がいた。その子どもの家には、病気がちのおばあさんがいた。そのおばあさんのめんどうをみるのが、その女の子の役目だというのだ。その子どものお母さんは、こう話してくれた。「おばあさんが口から食べ物を吐き出すと、娘がタオルで、口をぬぐってくれるのです」と。こういう子どもは、学習面でも伸びる。なぜか。

●学習面でも伸びる

 もともと勉強にはある種の苦痛がともなう。漢字を覚えるにしても、計算ドリルをするにしても、大半の子どもにとっては、じっと座っていること自体が苦痛なのだ。その苦痛を乗り越える力が、ここでいう忍耐力だからである。反対に、その力がないと、(いやだ)→(しない)→(できない)→……の悪循環の中で、子どもは伸び悩む。

 ……こう書くと、決まって、こういう親が出てくる。「何をやらせればいいのですか」と。話を聞くと、「掃除は、掃除機でものの一〇分もあればすんでしまう。買物といっても、食材は、食材屋さんが毎日、届けてくれる。洗濯も今では全自動。料理のときも、キッチンの周囲でうろうろされると、かえってじゃま。テレビでも見ていてくれたほうがいい」と。

●家庭の緊張感に巻き込む

 子どもを使うということは、家庭の緊張感に巻き込むことをいう。親が寝そべってテレビを見ながら、「玄関の掃除をしなさい」は、ない。子どもを使うということは、親がキビキビと動き回り、子どももそれに合わせて、すべきことをすることをいう。たとえば……。

 あなた(親)が重い買い物袋をさげて、家の近くまでやってきた。そしてそれをあなたの子どもが見つけたとする。そのときさっと子どもが走ってきて、あなたを助ければ、それでよし。しかし知らぬ顔で、自分のしたいことをしているようであれば、家庭教育のあり方をかなり反省したほうがよい。やらせることがないのではない。その気になればいくらでもある。食事が終わったら、食器を台所のシンクのところまで持ってこさせる。そこで洗わせる。フキンで拭かせる。さらに食器を食器棚へしまわせる、など。

 子どもを使うということは、ここに書いたように、家庭の緊張感に巻き込むことをいう。たとえば親が、何かのことで電話に出られないようなとき、子どものほうからサッと電話に出る。庭の草むしりをしていたら、やはり子どものほうからサッと手伝いにくる。そういう雰囲気で包むことをいう。何をどれだけさせればよいという問題ではない。要はそういう子どもにすること。それが、「いい子にする条件」ということになる。

●バランスのある生活を大切に

 ついでに……。子どもをドラ息子、ドラ娘にしないためには、次の点に注意する。@生活感のある生活に心がける。ふつうの寝起きをするだけでも、それにはある程度の苦労がともなうことをわからせる。あるいは子どもに「あなたが家事を手伝わなければ、家族のみんなが困るのだ」という意識をもたせる。A質素な生活を旨とし、子ども中心の生活を改める。B忍耐力をつけさせるため、家事の分担をさせる。C生活のルールを守らせる。D不自由であることが、生活の基本であることをわからせる。そしてここが重要だが、Eバランスのある生活に心がける。

 ここでいう「バランスのある生活」というのは、きびしさと甘さが、ほどよく調和した生活をいう。ガミガミと子どもにきびしい反面、結局は子どもの言いなりになってしまうような甘い生活。あるいは極端にきびしい父親と、極端に甘い母親が、それぞれ子どもの接し方でチグハグになっている生活は、子どもにとっては、決して好ましい環境とは言えない。チグハグになればなるほど、子どもはバランス感覚をなくす。ものの考え方がかたよったり、極端になったりする。
子どもがドラ息子やドラ娘になればなったで、将来苦労するのは、結局は子ども自身。それを忘れてはならない。





トップへ
トップへ
戻る
戻る