エッセー3
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はやし浩司
【29】子どもに母性や父性が育つとき

●ぬいぐるみでわかる母性 

 子どもに父性や母性が育っているかどうかは、ぬいぐるみの人形を抱かせてみればわかる。しかもそれが、三〜五歳のときにわかる。父性や母性(父性と母性を区別するのも、おかしなことだが……)が育っている子どもは、ぬいぐるみを見せると、うれしそうな顔をする。さもいとおしいといった表情で、ぬいぐるみを見る。抱き方もうまい。そうでない子どもは、無関心、無感動。抱き方もぎこちない。中にはぬいぐるみを見せたとたん、足でキックしてくる子どももいる。ちなみに小三児の約八〇%の子どもが、ぬいぐるみを持っている。そのうち約半数が「大好き」と答えている。

●男児もぬいぐるみで遊ぶ

 オーストラリアでは、子どもの本といえば、動物の本をいう。写真集が多い。またオーストラリアに限らず、欧米では、子どもの誕生日に、ペットを与えることが多い。つまり子どものときから、動物との関わりを深くもたせる。一義的には、子どもは動物を通して、心のやりとりを学ぶ。しかしそれだけではない。子どもはペットを育てることによって、父性や母性を学ぶ。そんなわけで、機会と余裕があれば、子どもにはペットを飼わせることを勧める。犬やネコが代表的なものだが、心が通いあうペットがよい。が、それが無理なら、ぬいぐるみを与える。やわらかい素材でできた、温もりのあるものがよい。

●悪しき日本の偏見

 日本では、「男の子はぬいぐるみでは遊ばないもの」と考えている人が多い。しかしこれは偏見。こと幼児についていうなら、男女の差別はない。あってはならない。つまり男の子がぬいぐるみで遊ぶからといって、それを「おかしい」と思うほうが、おかしい。男児も幼児のときから、たとえばペットや人形を通して、父性を育てたらよい。ただしここでいう人形というのは、その目的にかなった人形をいう。ウルトラマンとかガンダムとかいうのは、ここでいう人形ではない。

 また日本では、古来より戦闘的な遊びをするのが、「男」ということになっている。が、これも偏見。悪しき出世主義から生まれた偏見と言ってもよい。その一つの例が、五月人形。弓矢をもった武士が、力強い男の象徴になっている。三〇〇年後の子どもたちが、銃をもった軍人や兵隊の人形を飾って遊ぶようなものだ。どこかおかしいが、そのおかしさがわからないほど、日本人はこの出世主義に、こりかたまっている。「男は仕事(出世)、女は家事」という、あの日本独特の男女差別思想も、この出世主義から生まれた。

●ぬいぐるみで育つ母性と父性

 話を戻す。愛情豊かな家庭で育った子どもは、静かな落ちつきがある。おだやかで、ものの考え方が常識的。どこかほっとするような温もりを感ずる。それもぬいぐるみを抱かせてみればわかる。両親の愛情をたっぷりと受けて育った子どもは、ぬいぐるみを見せただけで、スーッと頬を寄せてくる。こういう子どもは、親になっても、虐待パパや虐待ママにはならない。言いかえると、この時期すでに、親としての「心」が決まる。

 ついでに一言。「子育て」は本能ではない。子どもは親に育てられたという経験があってはじめて、自分が親になったとき、子育てができる。もしあなたが、「うちの子は、どうも心配だ」と思っているなら、ぬいぐるみを身近に置いてあげるとよい。ぬいぐるみと遊びながら、子どもは親になるための練習をする。父性や母性も、そこから引き出される。


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【30】日本人の依存性を考えるとき
 
●森進一の『おくふろさん』

 森進一が歌う『おふくろさん』は、よい歌だ。あの歌を聞きながら、涙を流す人も多い。しかし……。日本人は、ちょうど野生の鳥でも手なずけるかのようにして、子どもを育てる。これは日本人独特の子育て法と言ってもよい。あるアメリカの教育家はそれを評して、「日本の親たちは、子どもに依存心をもたせるのに、あまりにも無関心すぎる」と言った。そして結果として、日本では昔から、親にベタベタと甘える子どもを、かわいい子イコール、「よい子」とし、一方、独立心が旺盛な子どもを、「鬼っ子」として嫌う。

●保護と依存の親子関係

 こうした日本人の子育て観の根底にあるのが、親子の上下意識。「親が上で、子どもが下」と。この上下意識は、もともと保護と依存の関係で成り立っている。親が子どもに対して保護意識、つまり親意識をもてばもつほど、子どもは親に依存するようになる。こんな子ども(年中男児)がいた。生活力がまったくないというか、言葉の意味すら通じない子どもである。服の脱ぎ着はもちろんのこと、トイレで用を足しても、お尻をふくことすらできない。パンツをさげたまま、教室に戻ってきたりする。あるいは給食の時間になっても、スプーンを自分の袋から取り出すこともできない。できないというより、じっと待っているだけ。多分、家でそうすれば、家族の誰かが助けてくれるのだろう。そこであれこれ指示をするのだが、それがどこかチグハグになってしまう。こぼしたミルクを服でふいたり、使ったタオルをそのままゴミ箱へ捨ててしまったりするなど。

 それがよいのか悪いのかという議論はさておき、アメリカ、とくにアングロサクソン系の家庭では、子どもが赤ん坊のうちから、親とは寝室を別にする。「親は親、子どもは子ども」という考え方が徹底している。こんなことがあった。一度、あるオランダ人の家庭に招待されたときのこと。そのとき母親は本を読んでいたのだが、五歳になる娘が、その母親に何かを話しかけてきた。母親はひととおり娘の話に耳を傾けたあと、しかしこう言った。「私は今、本を読んでいるのよ。じゃましないでね」と。

●子育ての目標は「よき家庭人」

 子育ての目標をどこに置くかによって育て方も違うが、「子どもをよき家庭人として自立させること」と考えるなら、依存心は、できるだけもたせないほうがよい。そこであなたの子どもはどうだろうか。依存心の強い子どもは、特有の言い方をする。「何とかしてくれ言葉」というのが、それである。たとえばお腹がすいたときも、「食べ物がほしい」とは言わない。「お腹がすいたア〜(だから何とかしてくれ)」と言う。ほかに「のどがかわいたア〜(だから何とかしてくれ)」と言う。もう少し依存心が強くなると、こういう言い方をする。私「この問題をやりなおしなさい」子「ケシで消してからするのですか」私「そうだ」子「きれいに消すのですか」私「そうだ」子「全部消すのですか」私「自分で考えなさい」子「どこを消すのですか」と。実際私が、小学四年生の男児とした会話である。こういう問答が、いつまでも続く。

 さて森進一の歌に戻る。よい年齢になったおとなが、空を見あげながら、「♪おふくろさんよ……」と泣くのは、世界の中でも日本人ぐらいなものではないか。よい歌だが、その背後には、日本人独特の子育て観が見え隠れする。一度、じっくりと歌ってみてほしい。

(参考)
●夫婦別称制度

 日本人の上下意識は、近年、急速に崩れ始めている。とくに夫婦の間の上下意識にそれが顕著に表れている。内閣府は、夫婦別姓問題(選択的夫婦別姓制度)について、次のような世論調査結果を発表した(二〇〇一年)。それによると、同制度導入のための法律改正に賛成するという回答は四二・一%で、反対した人(二九・九%)を上回った。前回調査(九六年)では反対派が多数だったが、賛成派が逆転。さらに職場や各種証明書などで旧姓(通称)を使用する法改正について容認する人も含めれば、肯定派は計六五・一%(前回五五・〇%)にあがったというのだ。

調査によると、旧姓使用を含め法律改正を容認する人は女性が六八・一%と男性(六一・八%)より多く、世代別では、三〇代女性の八六・六%が最高。別姓問題に直面する可能性が高い二〇代、三〇代では、男女とも容認回答が八割前後の高率。「姓が違うと家族の一体感に影響が出るか」の質問では、過半数の五二・〇%が「影響がない」と答え、「一体感が弱まる」(四一・六%)との差は前回調査より広がった。ただ、夫婦別姓が子供に与える影響については、「好ましくない影響がある」が六六・〇%で、「影響はない」の二六・八%を大きく上回った。調査は二〇〇一年五月、全国の二〇歳以上の五〇〇〇人を対象に実施され、回収率は六九・四%だった。なお夫婦別姓制度導入のための法改正に賛成する人に対し、実現したばあいに結婚前の姓を名乗ることを希望するかどうか尋ねたところ、希望者は一八・二%にとどまったという。
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ント はやし浩司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市 金沢大学法文学部卒 はやし浩司 教育評論家 幼児教育評論家 林浩
司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 はやしひろし 林ひろし 静岡県 浜松市 幼
児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 はやし浩司・林浩二(司) 林浩司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐
阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 Hiroshi Hayashi / 1970 IH student/International House / Melbourne Univ.
【31】親子のきずなが切れるとき
 
●親に反抗するのは、子どもの自由?

 「親に反抗するのは、子どもの自由でよい」と考えている日本の高校生は、八五%。「親に反抗してはいけない」と考えている高校生は、一五%。この数字を、アメリカや中国と比較してみると、親に反抗してもよい……アメリカ一六%、中国一五%。親に反抗してはいけない……アメリカ八二%、中国八四%(財団法日本青少年研究所・九八年調査)。日本だけは、親に反抗してもよいと考えている高校生が、ダントツに多く、反抗してはいけないと考えている高校生が、ダントツに少ない。こうした現象をとらえて、「日本の高校生たちの個人主義が、ますます進んでいる」(評論家O氏)と論評する人がいる。しかし本当にそうか。この見方だと、なぜ日本の高校生だけがそうなのか、ということについて、説明がつかなくなってしまう。日本だけがダントツに個人主義が進んでいるということはありえない。 アメリカよりも個人主義が進んでいると考えるのもおかしい。

●受験が破壊する子どもの心

 私が中学生になったときのこと。祖父の前で、「バイシクル、自転車!」と読んでみせると、祖父は、「浩司が、英語を読んだぞ! 英語を読んだぞ!」と喜んでくれた。が、今、そういう感動が消えた。子どもがはじめてテストを持って帰ったりすると、親はこう言う。「何よ、この点数は! 平均点は何点だったの?」と。さらに「幼稚園のときから、高い月謝を払ってあんたを英語教室へ通わせたけど、ムダだったわね」と言う親さえいる。しかしこういう親の一言が、子どもからやる気をなくす。いや、その程度ですめばまだよいほうだ。こういう親の教育観は、親子の信頼感、さらには親子のきずなそのものまで、こなごなに破壊する。冒頭にあげた「八五%」という数字は、まさにその結果であるとみてよい。

●「家族って、何ですかねえ……」

 さらに深刻な話をしよう。現実にあった話だ。R氏は、リストラで仕事をなくした。で、そのとき手にした退職金で、小さな設計事務所を開いた。が、折からの不況で、すぐ仕事は行きづまってしまった。R氏には二人の娘がいた。一人は大学一年生、もう一人は高校三年生だった。R氏はあちこちをかけずり回り、何とか上の娘の学費は工面することができたが、下の娘の学費が難しくなった。そこで下の娘に、「大学への進学をあきらめてほしい」と言ったが、下の娘はそれに応じなかった。「こうなったのは、あんたの責任だから、借金でも何でもして、あんたの義務を果たしてよ!」と。本来ならここで妻がR氏を助けなければならないのだが、その妻まで、「生活ができない」と言って、家を出て、長女のアパートに身を寄せてしまった。そのR氏はこう言う。「家族って、何ですかねえ……」と。

●娘にも言い分はある

 いや、娘にも言い分はある。私が「お父さんもたいへんなんだから、理解してあげなさい」と言うと、下の娘はこう言った。「小さいときから、勉強しろ、勉強しろとさんざん言われつづけてきた。それを今になって、勉強しなくていいって、どういうこと!」と。
 今、日本では親子のきずなが、急速に崩壊し始めている。長引く不況が、それに拍車をかけている。日本独特の「学歴社会」が、その原因のすべてとは言えないが、しかしそれが原因でないとは、もっと言えない。たとえば私たちが何気なく使う、「勉強しなさい」「宿題はやったの」という言葉にしても、いつの間にか親子の間に、大きなミゾをつくる。そこでどうだろう、言い方を変えてみたら……。

たとえば英語国では、日本人が「がんばれ」と言いそうなとき、「テイク・イット・イージィ(気楽にやりなよ)」と言う。「そんなにがんばらなくてもいいのよ」と。よい言葉だ。あなたの子どもがテストの点が悪くて、落ち込んでいるようなとき、一度そう言ってみてほしい。「気楽にやりなよ」と。この一言が、あなたの子どもの心をいやし、親子のきずなを深める。子どももそれでやる気を起こす。   

writer/essayist/law student/Japan/born in 1947/武義高校 林こうじ はやしこうじ 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ
 金沢大学法文学部卒 教育評論家 ハローワールド(雑誌)・よくできました(教材) スモッカの知恵の木 ジャックと英語の木 (CAI) 
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【32】子どもの心が離れるとき
 
●フリーハンドの人生 

 「たった一度しかない人生だから、あなたはあなたの人生を、思う存分生きなさい。前向きに生きなさい。あなたの人生は、あなたのもの。家の心配? ……そんなことは考えなくていい。親孝行? ……そんなことは考えなくていい」と、一度はフリーハンドの形で子どもに子どもの人生を手渡してこそ、親は親としての義務を果たしたことになる。子どもを「家」や、安易な孝行論でしばってはいけない。負担に思わせるのも、期待するのも、いけない。もちろん子どもがそのあと自分で考え、家のことを心配したり、親に孝行をするというのであれば、それは子どもの勝手。子どもの問題。

●本当にすばらしい母親?

 日本人は無意識のうちにも、子どもを育てながら、子どもに、「産んでやった」「育ててやった」と、恩を着せてしまう。子どもは子どもで、「産んでもらった」「育ててもらった」と、恩を着せられてしまう。

 以前、NHKの番組に『母を語る』というのがあった。その中で日本を代表する演歌歌手のI氏が、涙ながらに、切々と母への恩を語っていた(二〇〇〇年夏)。「私は母の女手一つで、育てられました。その母に恩返しをしたい一心で、東京へ出て歌手になりました」と。はじめ私は、I氏の母親はすばらしい人だと思っていた。I氏もそう話していた。しかしそのうちI氏の母親が、本当にすばらしい親なのかどうか、私にはわからなくなってしまった。五〇歳も過ぎたI氏に、そこまで思わせてよいものか。I氏をそこまで追いつめてよいものか。ひょっとしたら、I氏の母親はI氏を育てながら、無意識のうちにも、I氏に恩を着せてしまったのかもしれない。

●子離れできない親、親離れできない子

 日本人は子育てをしながら、子どもに献身的になることを美徳とする。もう少しわかりやすく言うと、子どものために犠牲になる姿を、子どもの前で平気で見せる。そしてごく当然のこととして、子どもにそれを負担に思わせてしまう。その一例が、『かあさんの歌』である。「♪かあさんは、夜なべをして……」という、あの歌である。戦後の歌声運動の中で大ヒットした歌だが、しかしこの歌ほど、お涙ちょうだい、恩着せがましい歌はない。窪田聡という人が作詞した『かあさんの歌』は、三番まであるが、それぞれ三、四行目はかっこ付きになっている。つまりこの部分は、母からの手紙の引用ということになっている。それを並べてみる。

「♪木枯らし吹いちゃ冷たかろうて。せっせと編んだだよ」
「♪おとうは土間で藁打ち仕事。お前もがんばれよ」
「♪根雪もとけりゃもうすぐ春だで。畑が待ってるよ」
 しかしあなたが息子であるにせよ娘であるにせよ、親からこんな手紙をもらったら、あなたはどう感ずるだろうか。あなたは心配になり、羽ばたける羽も、安心して羽ばたけなくなってしまうに違いない。

●「今夜も居間で俳句づくり」

 親が子どもに手紙を書くとしたら、仮にそうではあっても、「とうさんとお煎べいを食べながら、手袋を編んだよ。楽しかったよ」「とうさんは今夜も居間で俳句づくり。新聞にもときどき載るよ」「春になれば、村の旅行会があるからさ。温泉へ行ってくるからね」である。そう書くべきである。つまり「かあさんの歌」には、子離れできない親、親離れできない子どもの心情が、綿々と織り込まれている! ……と考えていたら、こんな子ども(中二男子)がいた。自分のことを言うのに、「D家(け)は……」と、「家」をつけるのである。そこで私が、「そういう言い方はよせ」と言うと、「ぼくはD家の跡取り息子だから」と。私はこの「跡取り」という言葉を、四〇年ぶりに聞いた。今でもそういう言葉を使う人は、いるにはいる。

●うしろ姿の押し売りはしない

 子育ての第一の目標は、子どもを自立させること。それには親自身も自立しなければならない。そのため親は、子どもの前では、気高く生きる。前向きに生きる。そういう姿勢が、子どもに安心感を与え、子どもを伸ばす。親子のきずなも、それで深まる。子どもを育てるために苦労している姿。生活を維持するために苦労している姿。そういうのを日本では「親のうしろ姿」というが、そのうしろ姿を子どもに押し売りしてはいけない。押し売りすればするほど、子どもの心はあなたから離れる。 

 ……と書くと、「君の考え方は、ヘンに欧米かぶれしている。親孝行論は日本人がもつ美徳の一つだ。日本のよさまで君は否定するのか」と言う人がいる。しかし事実は逆だ。こんな調査結果がある。平成六年に総理府がした調査だが、「どんなことをしてでも親を養う」と答えた日本の若者はたったの、二三%(三年後の平成九年には一九%にまで低下)しかいない。自由意識の強いフランスでさえ五九%。イギリスで四六%。あのアメリカでは、何と六三%である(※)。欧米の人ほど、親子関係が希薄というのは、誤解である。今、日本は、大きな転換期にきているとみるべきではないのか。

●親も前向きに生きる

 繰り返すが、子どもの人生は子どものものであって、誰のものでもない。もちろん親のものでもない。一見ドライな言い方に聞こえるかもしれないが、それは結局は自分のためでもある。私たちは親という立場にはあっても、自分の人生を前向きに生きる。生きなければならない。親のために犠牲になるのも、子どものために犠牲になるのも、それは美徳ではない。あなたの親もそれを望まないだろう。いや、昔の日本人は子どもにそれを求めた。が、これからの考え方ではない。あくまでもフリーハンド、である。ある母親は息子にこう言った。「私は私で、懸命に生きる。あなたはあなたで、懸命に生きなさい」と。子育ての基本は、ここにある。

※……ほかに、「どんなことをしてでも、親を養う」と答えた若者の割合(総理府調査・平成六年)は、次のようになっている。
 フィリッピン ……八一%(一一か国中、最高)
 韓国     ……六七%
 タイ     ……五九%
 ドイツ    ……三八%
 スウェーデン ……三七%
 日本の若者のうち、六六%は、「生活力に応じて(親を)養う」と答えている。これを裏から読むと、「生活力がなければ、養わない」ということになるのだが……。 

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【33】子育ての方向性を考えるとき

●子育て四次元論 

子育てには四つの方向性がある。

@未来に向かう……子どもに子ども(あなたからみれば孫)の育て方を教えるのが、子育て。「あなたが親になったら、こういうふうに子どもを育てるのですよ」「こういうふうに子どもを叱るのですよ」と。もっと言えば、子育ての見本を見せるのが子育て。「親子というのはこういうものですよ」「夫婦というのは、こういうものですよ」「幸せな家庭というのはこういうものですよ」と。あなたの子どもは親になったとき、あなたがした子育てを繰り返す。それを想像しながら、子育てをする。

A過去に向かう……あなたは今、自分が受けた子育てを繰り返しているにすぎない。そこであなたの過去をさぐってみる。あなたは心豊かで、愛情深い家庭環境で育っただろうか。もしそうならそれでよし。が、そうでなければ、あなたの子育ては、どこかがゆがんでいるとみる。その「ゆがみ」に気づくこと。あなたはひょっとしたら、そのゆがみに気づかないまま、今の子育てをしているかもしれない。そしてさらにそのゆがみを、あなたから、今度はあなたの子どもへ伝えているかもしれない。……と、言っても難しいことではない。この問題だけは、気づくだけでよい。しばらく時間はかかるが、それでなおる。

B外に向かう……自分の子育てを「外」から見る。自分の子育てを、他人の子育てと比較する。兄弟や友人、さらには近所の人たちの子育てと比較する。もしできれば、世界の子育てと比較してみるのもよい。子育てでこわいのは、独善と独断。「子どものことは私が一番よく知っている」「私が子どもにすることには、まちがいはない」と豪語する親ほど、子育てで失敗しやすい。要は風通しをよくするということ。そのために視野を高くもつ。

C内に向かう……子育てはただの子育てではない。よく「育自」という言葉を使って、「子育てとは自分を育てることだ」と言う人がいる。まちがってはいないが、しかし子育ては、そんな甘いものではない。親は子どもを育てながら、幾多の山を越え、谷を越え、いやおうなしに育てられる。親が子どもを育てるのではない。子どもが親を育てる。子どもが親に、人間がどういうものかを教える。

 ある母親は長男を交通事故でなくした。それから数年後、道で会うと、その母親は神々しいほどまでの人になっていた。こうした不幸は決してあってはならないものだが、しかしその母親は、長男をなくしたという苦しみや悲しみを乗り越えることによって、自分を育てることができた。「お元気ですか?」と声をかけると、うれしそうにニッコリと笑ったが、私はそれ以上、話しかけることができなかった。近寄りがたくすら感じた。

 以上、子育てに、未来、過去、外、内の四つの方向性があることを、私は「子育て四次元論」と呼んでいる。

(付記)
●八一〇年後には、すべてあなたの子孫 

 今あなたは子育てをしながら、ひょっとしたら、「うちの子さえよければ」と考えているかもしれない。「他人の子どもはともかくも、とりあえずうちの子だけでも、うまくいけばそれでいい」と。しかしあなたが自分の子どもを育てながら、その子どもの中に孫、さらにその孫の中にそのまた子どもを見ることができるようになると、この考えはまちがっていることを知る。こんな計算をしてみた。

 仮に一組の夫婦(二人)が、二人の子どもを産み、それぞれの子どもが結婚して、また二人ずつの子どもを産んだとする。それを二七代繰り返すと、その数は一億三〇〇〇万人を超える。ほぼ今の日本の人口と同じになる。一世代を三〇年とすると、三〇年掛ける二七で、八一〇年。つまり八一〇年後には、日本中のすべての人があなたの子孫ということになる。

●視野を未来に

 あなたは今、自分の子どものことを心配する。しかし孫が生まれれば、あなたはその孫のことを心配するだろう。もしあなたに永遠の命があるなら、あなたはそのまた子どものことを心配するだろう。……そういうふうに考え始めると、今、あなたが「自分の子さえよければ」という考えが、実に小さなものだと知るはずだ。そしてその時点で、あなたは、自分の子どものことは当然としても、同時にこの社会全体、日本全体、世界全体の問題を考えることも重要だと気づくはずだ。

●私のジレンマ

 実のところ、私もこの問題では悩んでいた。教育論を論じながら、いつも心のどこかで(自分の子ども)と、(他人の子ども)を区別していた。自分の子どもに言う言葉と、他人の子どもに言う言葉が、どこか違っていた。それは実に心苦しいジレンマでもあった。人間誰しも、内ヅラと表ヅラ、あるいは本音と立て前を使い分けて生きるのは、たいへんなことだ。だからある日から、私はそれをやめた。やめて、自分の子どもにも、他人の子どもにもあるがままに接するようにした。しかしそれが本当にできるようになったのは、自分の子どもの中に孫、さらにはそのまた孫を見ることができるようになってからである。子どもに子ども(あなたから見れば孫)の育て方を教えるということには、そういう意味も含まれる。

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【34】子どもが非行に抵抗するとき
 
●あやしげな男だった

 あやしげな男だった。最初は印鑑を売りたいと言っていたが、話をきいていると、「疲れがとれる、いい薬がありますよ」と。私はピンときたので、その男には、そのまま帰ってもらった。
 西洋医学では「結核菌により、結核になった」と考える。だから「結核菌を攻撃する」という治療原則を打ちたてる。これに対して東洋医学では、「結核になったのは、体が結核菌に敗れたからだ」と考える。だから「体質を強化する」という治療原則を打ちたてる。人体に足りないものを補ったり、体質改善を試みたりする。これは病気の話だが、「悪」についても、同じように考えることができる。私がたまたまその男の話に乗らなかったのは、私にはそれをはねのけるだけの抵抗力があったからにほかならない。

●非行は東洋医学的な発想で 

 子どもの非行についても、また同じ。非行そのものと戦う方法もあるが、子どもの中に抵抗力を養うという方法もある。たとえばその年齢になると、子どもたちはどこからとなく、タバコを覚えてくる。最初はささいな好奇心から始まるが、問題はこのときだ。たいていの親は叱ったりする。で、さらにそのあと、誘惑に負けて、そのまま喫煙を続ける子どももいれば、その誘惑をはねのける子どももいる。東洋医学的な発想からすれば、「喫煙という非行に走るか走らないかは、抵抗力の問題」ということになる。そういう意味では予防的ということになるが、実は東洋医学の本質はここにある。東洋医学はもともとは、「病気になってから頼る医学」というよりは、「病気になる前に頼る医学」という色彩が強い。あるいは「より病気を悪くしない医学」と考えてもよい。ではどうするか。

●子育ての基本は自由

 子育ての基本は、自由。自由とは、もともと「自らに由る」という意味。つまり子どもには、自分で考えさせ、自分で行動させ、そして自分で責任を取らせる。しかもその時期は早ければ早いほどよい。乳幼児期からでも、早すぎるということはない。自分で考えさせる時間を大切にし、頭からガミガミと押しつける過干渉、子どもの側からみて、息が抜けない過関心、「私は親だ」式の権威主義は避ける。暴力や威圧がよくないことは言うまでもない。「あなたはどう思う?」「どうしたらいいの?」「どう始末したらいいの?」と、いつも問いかけながら、要は子どものリズムに合わせて「待つ」。こういう姿勢が、子どもを常識豊かな子どもにする。抵抗力のある子どもにする。
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【35】親子の断絶が始まるとき
 
●最初は小さな亀裂

最初は、それは小さな亀裂で始まる。しかしそれに気づく親は少ない。「うちの子に限って……」「まだうちの子は小さいから……」と思っているうちに、互いの間の不協和音はやがて大きくなる。そしてそれが、断絶へと進む……。

 今、「父親を尊敬していない」と考えている中高校生は五五%もいる。「父親のようになりたくない」と思っている中高校生は七九%もいる(『青少年白書』平成一〇年)(※)。が、この程度ならまだ救われる。親子といいながら会話もない。廊下ですれ違っても、目と目をそむけあう。まさに一触即発。親が何かを話しかけただけで、「ウッセー!」と、子どもはやり返す。そこで親は親で、「親に向かって、何だ!」となる。あとはいつもの大喧嘩!

……と、書くと、たいていの親はこう言う。「うちはだいじょうぶ」と。「私は子どもに感謝されているはず」と言う親もいる。しかし本当にそうか。そこでこんなテスト。

●休まるのは風呂の中

あなたの子どもが、学校から帰ってきたら、どこで体を休めているか、それを観察してみてほしい。そのときあなたの子どもが、あなたのいるところで、あなたのことを気にしないで、体を休めているようであれば、それでよし。あなたと子どもの関係は良好とみてよい。しかし好んであなたの姿の見えないところで体を休めたり、あなたの姿を見ると、どこかへ逃げて行くようであれば、要注意。かなり反省したほうがよい。ちなみに中学生の多くが、心が休まる場所としてあげたのが、@風呂の中、Aトイレの中、それにBふとんの中だそうだ(学外研・九八年報告)。

●断絶の三要素

 親子を断絶させるものに、三つある。@権威主義、A相互不信、それにBリズムの乱れ。

@権威主義……「私は親だ」というのが権威主義。「私は親だ」「子どもは親に従うべき」と考える親ほど、あぶない。権威主義的であればあるほど、親は子どもの心に耳を傾けない。「子どものことは私が一番よく知っている」「私がすることにはまちがいはない」という過信のもと、自分勝手で自分に都合のよい子育てだけをする。子どもについても、自分に都合のよいところしか認めようとしない。あるいは自分の価値観を押しつける。一方、子どもは子どもで親の前では、仮面をかぶる。よい子ぶる。が、その分だけ、やがて心は離れる。

A相互不信……「うちの子はすばらしい」という自信が、子どもを伸ばす。しかし親が「心配だ」「不安だ」と思っていると、それはそのまま子どもの心となる。人間の心は、鏡のようなものだ。イギリスの格言にも、『相手は、あなたが思っているように、あなたのことを思う』というのがある。つまりあなたが子どものことを「すばらしい子」と思っていると、あなたの子どもも、あなたを「すばらしい親」と思うようになる。そういう相互作用が、親子の間を密にする。が、そうでなければ、そうでなくなる。

Bリズムの乱れ……三つ目にリズム。あなたが子ども(幼児)と通りをあるいている姿を、思い浮かべてみてほしい。(今、子どもが大きくなっていれば、幼児のころの子どもと歩いている姿を思い浮かべてみてほしい。)そのとき、@あなたが、子どもの横か、うしろに立ってゆっくりと歩いていれば、よし。しかしA子どもの前に立って、子どもの手をぐいぐいと引きながら歩いているようであれば、要注意。今は、小さな亀裂かもしれないが、やがて断絶……ということにもなりかねない。

このタイプの親ほど、親意識が強い。「うちの子どものことは、私が一番よく知っている」と豪語する。へたに子どもが口答えでもしようものなら、「何だ、親に向かって!」と、それを叱る。そしておけいこごとでも何でも、親が勝手に決める。やめるときも、そうだ。子どもは子どもで、親の前では従順に従う。そういう子どもを見ながら、「うちの子は、できのよい子」と錯覚する。が、仮面は仮面。長くは続かない。あなたは、やがて子どもと、こんな会話をするようになる。親「あんたは誰のおかげでピアノがひけるようになったか、それがわかっているの! お母さんが高い月謝を払って、毎週ピアノ教室へ連れていってあげたからよ!」、子「いつ誰が、そんなこと、お前に頼んだア!」と。

●リズム論

子育てはリズム。親子でそのリズムが合っていれば、それでよし。しかし親が四拍子で、子どもが三拍子では、リズムは合わない。いくら名曲でも、二つの曲を同時に演奏すれば、それは騒音でしかない。

このリズムのこわいところは、子どもが乳幼児のときに始まり、おとなになるまで続くということ。そのとちゅうで変わるということは、まず、ない。たとえば四時間おきにミルクを与えることになっていたとする。そのとき、四時間になったら、子どもがほしがる前に、哺乳ビンを子どもの口に押しつける親もいれば、反対に四時間を過ぎても、子どもが泣くまでミルクを与えない親もいる。たとえば近所の子どもたちが英語教室へ通い始めたとする。そのとき、子どもが望む前に英語教室への入会を決めてしまう親もいれば、反対に、子どもが「行きたい」と行っても、なかなか行かせない親もいる。こうしたリズムは一度できると、それはずっと続く。子どもがおとなになってからも、だ。

ある女性(三二歳)は、こう言った。「今でも、実家の親を前にすると、緊張します」と。また別の男性(四〇歳)も、父親と同居しているが、親子の会話はほとんど、ない。どこかでそのリズムを変えなければならないが、リズムは、その人の人生観と深くからんでいるため、変えるのは容易ではない。

●子どものうしろを歩く

 権威主義は百害あって一利なし。頭ごなしの命令は、タブー。子どもを信じ、今日からでも遅くないから、子どものリズムにあわせて、子どものうしろを歩く。横でもよい。決して前を歩かない。アメリカでは親子でも、「お前はパパに何をしてほしい?」「パパはぼくに何をしてほしい?」と聞きあっている。そういう謙虚さが、子どもの心を開く。親子の断絶を防ぐ。

※……平成一〇年度の『青少年白書』によれば、中高校生を対象にした調査で、「父親を尊敬していない」の問に、「はい」と答えたのは五四・九%、「母親を尊敬していない」の問に、「はい」と答えたのは、五一・五%。また「父親のようになりたくない」は、七八・八%、「母親のようになりたくない」は、七一・五%であった。この調査で注意しなければならないことは、「父親を尊敬していない」と答えた五五%の子どもの中には、「父親を軽蔑している」という子どもも含まれているということ。また、では残りの約四五%の子どもが、「父親を尊敬している」ということにもならない。この中には、「父親を何とも思っていない」という子どもも含まれている。白書の性質上、まさか「父親を軽蔑していますか」という質問項目をつくれなかったのだろう。それでこうした、どこか遠回しな質問項目になったものと思われる。

(参考)
●親子の断絶診断テスト 

 最初は小さな亀裂。それがやがて断絶となる……。油断は禁物。そこであなたの子育てを診断。子どもは無意識のうちにも、心の中の状態を、行動で示す。それを手がかりに、子どもの心の中を知るのが、このテスト。



評価Q5Q4Q3Q2Q1
15〜12点…目下、断絶状態
11〜 9点…危険な状態
8〜 6点…平均的
5〜 0点…良好な関係

休みの旅行の計画を話してみる。「家族でどこかへ行こうか」というような話でよい。
そのときあなたの子どもは…。

★ふつうの会話の一つとして、楽しそうに話に乗ってくる(0)。
★しぶしぶ話にのってくるといった雰囲気(1)。
★「行きたくない」と、たいてい拒否される(2)。
★家族旅行など、問題外といった雰囲気だ(3)。何か荷物運びのような仕事を、あなたの子どもに頼んでみる。そのときあなたの心は…。
★いつも気楽にやってくれるので、平気で頼むことができる(0)。
★心のどこかに、やってくれるかなという不安がある(1)。
★親のほうが遠慮し、恐る恐る……といった感じになる(2)。
★拒否されるのがわかっているから、とても頼めない(3)。「最近、学校で、何か変わったことがある?」と聞いてみる。そのときあなたの子どもは……。
★学校で起きた事件や、その内容を詳しく話してくれる(0)。
★少しは話すが、めんどう臭そうな表情をしたり、うるさがる(1)。
★いやがらないが、ほとんど話してくれない(2)。
★即座に、回答を拒否し、無視したり、「うるさい!」とはねのける(3)。学校から帰ってきたとき、あなたの子どもはどこで体を休めるか。
★親の姿の見えるところで、親を気にしないで体を休めているる(0)。
★あまり親を気にしないで休めているようだ(1)。
★親のいるところをいやがるようだ(2)。
★親のいないところを求める。親の姿が見えると、その場を逃げる(3)。あなたは子どものことについて…。
★子どもの仲のよい友だちの名前(氏名)を、四人以上知っている(0点)。
★三人くらいまでなら知っている(1点)。
★一、二人くらいなら何となく知っている(2点)。
★ほとんど知らない(3点)。


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【36】子どもの心がつかめなくなったとき

●スキンシップは魔法の力 

 スキンシップには、人知を超えた不思議な力がある。魔法の力といってもよい。もう二〇年ほど前のことだが、こんな講演を聞いたことがある。アメリカのある自閉症児専門施設の先生の講演だが、そのときその講師の先生は、こう言っていた。「うちの施設では、とにかく『抱く』という方法で、すばらしい治療成績をあげています」と。その施設の名前も先生の名前も忘れた。が、その後、私はいろいろな場面で、「なるほど」と思ったことが、たびたびある。言いかえると、スキンシップを受けつけない子どもは、どこかに「心の問題」があるとみてよい。

 たとえばかん黙児や自閉症児など、情緒障害児と呼ばれる子どもは、相手に心を許さない。許さない分だけ、抱かれない。無理に抱いても、体をこわばらせてしまう。抱く側は、何かしら丸太を抱いているような気分になる。これに対して心を許している子どもは、抱く側にしっくりと身を寄せる。さらに肉体が融和してくると、呼吸のリズムまで同じになる。心臓の脈動まで同じになることがある。で、この話をある席で話したら、そのあと一人の男性がこう言った。「子どもも女房も同じですな」と。つまり心が通いあっているときは、女房も抱きごこちがよいが、そうでないときは悪い、と。不謹慎な話だが、しかし妙に言い当てている。

●大切な「甘える」という行為

 このスキンシップと同じレベルで考えてよいのが、「甘える」という行為である。一般論として、濃密な親子関係の中で、親の愛情をたっぷりと受けた子どもほど、甘え方が自然である。「自然」という言い方も変だが、要するに、子どもらしい柔和な表情で、人に甘える。甘えることができる。心を開いているから、やさしくしてあげると、そのやさしさがそのまま子どもの心の中に染み込んでいくのがわかる。

 これに対して幼いときから親の手を離れ、施設で育てられたような子ども(施設児)や、育児拒否、家庭崩壊、暴力や虐待を経験した子どもは、他人に心を許さない。許さない分だけ、人に甘えない。一見、自立心が旺盛に見えるが、心は冷たい。他人が悲しんだり、苦しんでいるのを見ても、反応が鈍い。感受性そのものが乏しくなる。ものの考え方が、全体にひねくれる。私「今日はいい天気だね」、子「いい天気ではない」、私「どうして?」、子「あそこに雲がある」、私「雲があっても、いい天気だよ」、子「雲があるから、いい天気ではない」と。

●先手を打って自分を守る

 このタイプの子どもは、「信じられるのは自分だけ」というような考え方をする。誰かに親切にされても、それを受け入れる前に、それをはねのけてしまう。ものの考え方がいじけ、すなおさが消える。「あの人が私に親切なのは、私が持っている本がほしいからよ」と。自分からその人を遠ざけてしまうこともある。あるいは自分に関心のある人に対してわざと意地悪をする。心の防御作用と言えるもので、その人に裏切られて自分の心がキズつくのを恐れるため、先手を打って、自分の心を防衛しようとする。そのためどうしても自分のカラにこもりやすい。異常な自尊心や嫉妬心、虚栄心をもちやすい。あるいは何らかのきっかけで、ふつうでないケチになることもある。こだわりが強くなり、お金や物に執着したりする。完ぺき主義から、拒食症になった女の子(中三)もいた、などなど。

 もしあなたの子どもが、あなたという親に甘えることを知らないなら、あなたの子育てのし方のどこかに、大きな問題があるとみてよい。今は目立たないかもしれないが、やがて深刻な問題になる。その危険性は高い。

●行きづまりを感じたら、抱く

 ……と、皆さんを不安にさせるようなことを書いてしまったが、子どもの心の問題で、何か行きづまりを感じたら、子どもは抱いてみる。ぐずったり、泣いたり、だだをこねたりするようなときである。「何かおかしい」とか、「わけがわからない」と感じたときも、やさしく抱いてみる。しばらくは抵抗する様子を見せるかもしれないが、やがて収まる。と、同時に、子どもの情緒(心)も安定する。

(参考)
●抱かれない子どもが急増!

こんなショッキングな報告もある(二〇〇〇年)。抱こうとしても抱かれない子どもが、四分の一もいるというのだ。

「全国各地の保育士が、預かった〇歳児を抱っこする際、以前はほとんど感じなかった『拒否、抵抗する』などの違和感のある赤ちゃんが、四分の一に及ぶことが、『臨床育児・保育研究会』(代表・汐見稔幸氏)の実態調査で判明した」(中日新聞)と。

報告によれば、抱っこした赤ちゃんの「様態」について、「手や足を先生の体に回さない」が三三%いたのをはじめ、「拒否、抵抗する」「体を動かし、落ちつかない」などの反応が二割前後見られ、調査した六項目の平均で二五%に達したという。また保育士らの実感として、「体が固い」「抱いてもフィットしない」などの違和感も、平均で二〇%の赤ちゃんから報告されたという。さらにこうした傾向の強い赤ちゃんをもつ母親から聞き取り調査をしたところ、「育児から解放されたい」「抱っこがつらい」「どうして泣くのか不安」などの意識が強いことがわかったという。また抱かれない子どもを調べたところ、その母親が、この数年、流行している「抱っこバンド」を使っているケースが、東京都内ではとくに目立ったという。

 報告した同研究会の松永静子氏(東京中野区)は、「仕事を通じ、(抱かれない子どもが)二〜三割はいると実感してきたが、(抱かれない子どもがふえたのは)、新生児のスキンシップ不足や、首も座らない赤ちゃんに抱っこバンドを使うことに原因があるのでは」と話している。

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【37】子どもがアルバムに自分の未来を見るとき

●成長する喜びを知る 

 おとなは過去をなつかしむためにアルバムを見る。しかし子どもは、アルバムを見ながら、成長していく喜びを知る。それだけではない。子どもはアルバムを通して、過去と、そして未来を学ぶ。ある子ども(年中男児)は、父親の子ども時代の写真を見て、「これはパパではない。お兄ちゃんだ」と言い張った。子どもにしてみれば、父親は父親であり、生まれながらにして父親なのだ。一方、自分の赤ん坊時代の写真を見て、「これはぼくではない」と言い張った子ども(年長男児)もいた。ちなみに年長児で、自分が哺乳ビンを使っていたことを覚えている子どもは、まずいない。哺乳ビンを見せて、「こういうのを使ったことがある人はいますか?」と聞いても、たいてい「知らない」とか、「ぼくは使わなかった」と答える。記憶が記憶として残り始めるのは、満四・五歳前後からとみてよい(※)。このころを境にして、子どもは、急速に過去と未来の概念がわかるようになる。それまでは、すべて「昨日」であり、「明日」である。「昨日の前の日が、おととい」「明日の次の日が、あさって」という概念は、年長児にならないとわからない。が、一度それがわかるようになると、あとは飛躍的に「時間の世界」を広める。その概念を理解するのに役立つのが、アルバムということになる。話はそれたが、このアルバムには、不思議な力がある。

●アルバムの不思議な力

 ある子ども(小五男児)は、学校でいやなことがあったりすると、こっそりとアルバムを見ていた。また別の子ども(小三男児)は、寝る前にいつも、絵本がわりにアルバムを見ていた。つまりアルバムには、心をいやす作用がある。それもそのはずだ。悲しいときやつらいときを、写真にとって残す人は、まずいない。アルバムは、楽しい思い出がつまった、まさに宝の本。が、それだけではない。冒頭に書いたように、子どもはアルバムを見ながら、そこに自分の未来を見る。さらに父親や母親の子ども時代を知るようになると、そこに自分自身をのせて見るようになる。それは子どもにとっては恐ろしく衝撃的なことだ。いや、実はそう感じたのは私自身だが、私はあのとき感じたショックを、いまだに忘れることができない。母の少女時代の写真を見たときのことだ。「これがぼくの、母ちゃんか!」と。あれは私が、小学三年生ぐらいのときのことだったと思う。

●アルバムをそばに置く

 学生時代の恩師の家を訪問したときこと。広い居間の中心に、そのアルバムが置いてあった。小さな移動式の書庫のようになっていて、そこには一〇〇冊近いアルバムが並んでいた。それを見て、私も、息子たちがいつも手の届くところにアルバムを置いてみた。最初は、恩師のまねをしただけだったが、やがて気がつくと、私の息子たちがそのつど、アルバムを見入っているのを知った。ときどきだが、何かを思い出して、ひとりでフッフッと笑っていることもあった。そしてそのあと、つまりアルバムを見終わったあと、息子たちが、実にすがすがしい表情をしているのに、私は気がついた。そんなわけで、もし機会があれば、子どものそばにアルバムを置いてみるとよい。あなたもアルバムのもつ不思議な力を発見するはずである。

※……「乳幼児にも記憶がある」と題して、こんな興味ある報告がなされている(ニューズウィーク誌二〇〇〇年一二月)。

 「以前は、乳幼児期の記憶が消滅するのは、記憶が植えつけられていないためと考えられていた。だが、今では、記憶はされているが、取り出せなくなっただけと考えられている」(ワシントン大学、A・メルツォフ、発達心理学者)と。

 これまでは記憶は脳の中の海馬という組織に大きく関係し、乳幼児はその海馬が未発達なため記憶は残らないとされてきた。現在でも、比較的短い間の記憶は海馬が担当し、長期にわたる記憶は、大脳連合野に蓄えられると考えられている(新井康允氏ほか)。しかしメルツォフらの研究によれば、海馬でも記憶されるが、その記憶は外に取り出せないだけということになる。

 現象的にはメルツォフの説には、妥当性がある。たとえば幼児期に親に連れられて行った場所に、再び立ったようなとき、「どこかで見たような景色だ」と思うようなことはよくある。これは記憶として取り出すことはできないが、心のどこかが覚えているために起きる現象と考えるとわかりやすい。


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【38】親の口グセが子どもを伸ばすとき

●相変わらずワルだったが……  

 子どもというのは、自分を信じてくれる人の前では、よい面を見せようとする。そういう性質を利用して、子どもを伸ばす。こんなことがあった。

 昔、私が勤めていた幼稚園にどうしようもないワルの子ども(年中男児)がいた。友だちを泣かす、けがをさせるは、日常茶飯事。それを注意する先生にも、キックしたり、カバンを投げつけたりしていた。どの先生も手を焼いていた。が、ある日、ふと見ると、その子どもが友だちにクレヨンを貸しているのが目にとまった。私はすかさずその子どもをほめた。「君は、やさしい子だね」と。数日後もまた目が合ったので、私はまたほめた。「君は、やさしい子だね」と。それからもその子どもはワルはワルのままだったが、しかしどういうわけか、私の姿を見ると、パッとそのワルをやめた。そしてニコニコと笑いながら、「センセー」と手を振ったりした。

●子どもの心はカガミ

 しかしウソはいけない。子どもとて心はおとな。信ずるときには本気で信ずる。「あなたはよい子だ」という「思い」が、まっすぐ伝わったとき、その子どももまた、まっすぐ伸び始める。

 正直に告白する。私が幼稚園で教え始めたころ、年に何人かの子どもは、私をこわがって幼稚園へ来なくなってしまった。そういう子どもというのは、初対面のとき、私が「いやな子ども」と思った子どもだった。つまりそういう思いが、いつの間にか子どもに伝わってしまっていた。人間関係というのは、そういうものだ。イギリスの格言にも、『相手は、あなたが相手を思うように、あなたを思う』というのがある。つまりあなたが相手をよい人だと思っていると、相手も、あなたをよい人だと思うようになる。いやな人だと思っていると、相手も、あなたをいやな人だと思うようになる。一週間や二週間なら、何とかごまかしてつきあうということもできるが、一か月、二か月となると、そうはいかない。いわんや半年、一年をや。思いというのは、長い時間をかけて、必ず相手に伝わってしまう。では、どうするか。

 相手が子どもなら、こちらが先に折れるしかない。私のばあいは、「どうせこれから一年もつきあうのだから、楽しくやろう」ということで、折れるようにした。それは自分の職場を楽しくするためにも、必要だった。もっともそれが自然な形でできるようになったのは、三〇歳も過ぎてからだったが、それからは子どもたちの表情が、年々、みちがえるほど明るくなっていったのを覚えている。そこで家庭では、こんなことを注意したらよい。

●前向きな暗示が心を変える

 まず「あなたはよい子」「あなたはどんどんよくなる」「あなたはすばらしい人になる」を口グセにする。子どもが幼児であればあるほど、そう言う。もしあなたが「うちの子は、だめな子」と思っているなら、なおさらそうする。最初はウソでもよい。そうしてまず自分の心を作りかえる。人間関係というのは、不思議なものだ。日ごろの口グセどおりの関係になる。互いの心がそういう方向に向いていくからだ。が、それだけではない。相手は相手で、あなたの期待に答えようとする。相手が子どものときはなおさらで、そういう思いが、子どもを伸ばす。こんなことがあった。

 その家には四人の男ばかりの兄弟がいたのだが、下の子が上の子の「おさがり」のズボンや服をもらうたびに、下の子がそれを喜んで、「見て、見て!」と、私たちに見せにくるのだ。ふつう下の子は上の子のおさがりをいやがるものだとばかり思っていた私には、意外だった。そこで調べてみると、その秘訣は母親の言葉にあることがわかった。母親は下の子に兄のおさがりを着せるたびに、こう言っていた。「ほら、あんたもお兄ちゃんのものがはけるようになったわね。すごいわね!」と。母親はそれを心底、喜んでみせていた。そこでテスト。

 あなたの子どもは、何か新しいことができるようになるたびに、あるいは何かよいニュースがあるたびに、「見て、見て!」「聞いて、聞いて!」と、あなたに報告にくるだろうか。もしそうなら、それでよし。そうでないなら、親子のあり方を少し反省してみたほうがよい。

存と愛着 育児ノイローゼ 一芸論 ウソ 内弁慶 右脳教育 エディプス・コンプレックス おてんばな子おねしょ(夜尿症) おむつ(高層
住宅) 親意識 親の愛 親離れ 音読と黙読 学習机 学力 学歴信仰 学校はやし浩司 タイプ別育児論 恐怖症 家庭教師 過保護 
過剰行動 考える子ども がんこな子ども 緩慢行動 かん黙児 気うつ症の子ども 気負い 帰宅拒否 気難しい子 虐待 キレる子ども
 虚言(ウソ) 恐怖症 子供の金銭感覚 計算力 ゲーム ケチな子ども 行為障害 心を開かない子ども 個性 こづかい 言葉能力、
読解力 子どもの心 子離れ はやし浩司 タイプ別育児論 子供の才能とこだわり 自慰 自意識 自己嫌悪 自殺 自然教育 自尊心 
【39】親が過去を再現するとき

●親は子育てをしながら過去を再現する 

 親は、子どもを育てながら、自分の過去を再現する。そのよい例が、受験時代。それまではそうでなくても、子どもが、受験期にさしかかると、たいていの親は言いようのない不安に襲われる。受験勉強で苦しんだ親ほどそうだが、原因は、「受験勉強」ではない。受験にまつわる、「将来への不安」「選別されるという恐怖」が、その根底にある。それらが、たとえば子どもが受験期にさしかかったとき、親の心の中で再現される。つい先日も、中学一年生をもつ父母が、二人、私の自宅にやってきた。そしてこう言った。「一学期の期末試験で、数学が二一点だった。英語は二五点だった。クラスでも四〇人中、二〇番前後だと思う。こんなことでは、とてもS高校へは入れない。何とかしてほしい」と。二人とも、表面的には穏やかな笑みを浮かべていたが、口元は緊張で小刻みに震えていた。

●「自由」の二つの意味

 この静岡県では、高校入試が人間選別の重要な関門になっている。その中でもS高校は、最難関の進学高校ということになっている。私はその父母がS高校という名前を出したのに驚いた。「私は受験指導はしません……」と言いながら、心の奥で、「この父母が自分に気がつくのは、一体、いつのことだろう」と思った。

 ところで「自由」には、二つの意味がある。行動の自由と魂の自由である。行動の自由はともかくも、問題は魂の自由である。実はこの私も受験期の悪夢に、長い間、悩まされた。たいていはこんな夢だ。……どこかの試験会場に出向く。が、自分の教室がわからない。やっと教室に入ったと思ったら、もう時間がほとんどない。問題を見ても、できないものばかり。鉛筆が動かない。頭が働かない。時間だけが刻々と過ぎていく……。

●親と子の意識のズレ

親が不安になるのは、親の勝手だが、中にはその不安を子どもにぶつけてしまう親がいる。「こんなことでどうするの!」と。そういう親に向かって、「今はそういう時代ではない」と言ってもムダ。脳のCPU(中央処理装置)そのものが、ズレている。親は親で、「すべては子どものため」と、確信している。こうしたズレは、内閣府の調査でもわかる。内閣府の調査(二〇〇一年)によれば、中学生で、いやなことがあったとき、「家族に話す」と答えた子どもは、三九・一%しかいなかった。これに対して、「(子どもはいやなことがあったとき)家族に話すはず」と答えた親が、七八・四%。子どもの意識と親の意識が、ここで逆転しているのがわかる。つまり「親が思うほど、子どもは親をアテにしていない」(毎日新聞)ということ。が、それではすまない。

「勉強」という言葉が、人間関係そのものを破壊することもある。同じ調査だが、「先生に話す」はもっと少なく、たったの六・八%! 本来なら子どものそばにいて、よき相談相手でなければならない先生が、たったの六・八%とは! 先生が「テストだ、成績だ、進学だ」と追えば追うほど、子どもの心は離れていく。親子関係も、同じ。親が「勉強しろ、勉強しろ」と追えば追うほど、子どもの心は離れていく……。

 さて、私がその悪夢から解放されたのは、夢の中で、その悪夢と戦うようになってからだ。試験会場で、「こんなのできなくてもいいや」と居なおるようになった。あるいは皆と、違った方向に歩くようになった。どこかのコマーシャルソングではないが、「♪のんびり行こうよ、オレたちは。あせってみたとて、同じこと」と。夢の中でも歌えるようになった。……とたん、少しおおげさな言い方だが、私の魂は解放された!

●一度、自分を冷静に見つめてみる

 たいていの親は、自分の過去を再現しながら、「再現している」という事実に気づかない。気づかないまま、その過去に振り回される。子どもに勉強を強いる。先の父母もそうだ。それまでの二人を私はよく知っているが、実におだやかな人たちだった。が、子どもが中学生になったとたん、雰囲気が変わった。そこで……。あなた自身はどうだろうか。あなた自身は自分の過去を再現するようなことをしていないだろうか。今、受験生をもっているなら、あなた自身に静かに問いかけてみてほしい。あなたは今、冷静か、と。そしてそうでないなら、あなたは一度、自分の過去を振り返ってみるとよい。これはあなたのためでもあるし、あなたの子どものためでもある。あなたと子どもの親子関係を破壊しないためでもある。受験時代に、いやな思いをした人ほど、一度自分を、冷静に見つめてみるとよい。


叱り方 しつけ 自閉症 受験ノイローゼ 小食 心的外傷後ストレス障害 情緒不安 自立心 集中力 就眠のしつけ 神経質な子ども 
神経症 スキンシップ 巣立ち はやし浩司 タイプ別育児論 すなおな子ども 性教育 先生とのトラブル 善悪 祖父母との同居 大学
教育 体罰 多動児男児の女性化 断絶 チック 長男・二男 直観像素質 溺愛 動機づけ 子供の同性愛 トラブル 仲間はずれ 生
意気な子ども 二番目の子 はやし浩司 タイプ別育児論 伸び悩む子ども 伸びる子ども 発語障害 反抗 反抗期(第一反抗期) 非
行 敏捷(びんしょう)性 ファーバー方式 父性と母性 不登校 ぶりっ子(優等生?) 分離不安 平和教育 勉強が苦手 勉強部屋 ホ
【40】子どもがゲームづけになるとき

●ゲームづけの子どもたち 

 小学生の低学年は、「遊戯王」。高学年から中学生は、「マジック・ザ・ギャザリング(通称、マジギャザ)」。遊戯王について言えば、小学三年生で、約二五%以上の男児がハマっている(二〇〇〇年一一月、小三児五三名中一三名、浜松市内)。ある日、一人の子ども(小三男児)が、こう教えてくれた。「ブルーアイズを三枚集めて、融合させる。融合させるためには、融合カードを使う。そうすればアルティメットドラゴンをフィールドに出せる。それに巨大化をつけると、攻撃力が九〇〇〇になる」と。子どもの言ったことをそのままここに書いたが、さっぱり意味がわからない。基本的にはカードどうしを戦わせるゲームだと思えばよい。戦いは、勝ったほうが相手のカードを取る「カケ勝負」と、取らない「カケなし勝負」とがある。カードは、一パック五枚入りで、一五〇円から三三〇円程度で販売されている。「アルティメット入りのパックは、値段が高い」そうだ。

●ポケモンからマジギャザまで

 あのポケモン世代が、小学校の高学年から中学一、二年になった。そこで当時ハマった子どもたち何人かに、「その後」を聞くと、いろいろ話してくれた。M君(中二)いわく、「今はマジギャザだ。少し前までは、遊戯王だったけどね」と。カード(一五枚で五〇〇円。デパートやおもちゃ屋で販売。遊戯王は、五枚で二〇〇円)は、一〇〇〇枚近く集めたそうだ。マジギャザというのは、基本的にはポケモンカードと同じような遊び方をするゲームのことだと思えばよい。ただ内容は高度になっている。私も一時間ほど教えてもらったが、正直言ってよくわからない。要するに、ポケモンカードから遊戯王、さらにその遊戯王からマジギャザへと、子どもたちの遊びが移っているということ。カードを戦わせながら遊ぶという点では、共通している。

●現実感を喪失する子どもたち

 話はそれるが、以前、「たまごっち」というゲームが全盛期のころのこと。あのわけのわからない生き物が死んだだけで大泣きする子どもはいくらでもいた。東京には、死んだたまごっちを供養する寺まで現れた。ウソや冗談でしているのではない。本気だ。中には北海道からやってきて、涙をこぼしながら供養している二〇歳代の女性までいた(NHK「電脳の果て」九七年一二月二八日放送)。そういうゲームにハマっている子どもに向かって、「これは生き物ではない。ただの電気の信号だ」と話しても、彼らには理解できない。が、たかがゲームと笑ってはいけない。その少しあと、ミイラ化した死体を、「生きている」とがんばったカルト教団が現れた。この教団の教祖はその後逮捕され、今も裁判は継続中だが、もともと生きていない「電子の生物」を死んだと思い込む子どもと、「ミイラ化した死体」を生きていると思い込むその教団の信者は、方向性こそ逆だが、その思考回路は同じとみる。あるいはどこがどう違うというのか。ゲームには、そういう危険な面も隠されている。

●思考回路はそのまま

 で、浜松市内の中学一年生について調べたところ、男子の約半数がマジギャザと遊戯王に、多かれ少なかれハマっているのがわかった。一人が平均約一〇〇〇枚のカードを持っている。中には一万枚も持っている子どももいる。マジギャザはもともとアメリカで生まれたゲームで、そのためアメリカバージョン、フランスバージョン、さらに中国バージョンもある。カード数が多いのは、そのため。「フランス語版は質がよくて、プレミヤのついたカードは、四万円。印刷ミスのも、四万円の価値がある」と。さらにこのカードをつかって、別のカケをしたり、大会で賞品集めをすることもあるという。「大会で勝つと、新しいカードをたくさんもらえる」とのこと。「優勝するのは、たいてい二〇歳以上のおとなばかりだよ」とも。

 わかりやすく言えばポケモン世代が、思考回路だけはそのままで、体だけが大きくなったということ。いや、「思考回路」と言えばまだ聞こえはよいが、その中身は中毒。カード中毒。この中毒性がこわい。だから一万枚もカードを集めたりする。一枚のカードに四万円も払ったりする!

●子どもをダシに金儲け

 子どもをダシにした金儲けは、この不況下でも、大盛況。カードの販売だけで、年間一〇〇億円から二〇〇億円の市場になっているという(経済誌)。しかしこれはあくまでも表の数字。闇から闇へと動いているお金はその数倍はあるとみてよい。たとえば今、「融合カード」は、発売中止になっている(注)。子どもたちがそのカードを手に入れるためには、交換するか、友だちから買うしかない。希少価値がある分だけ、値段も高い。しかも、だ。子どもたちは自分の意思というよりは、おとなたちの醜い商魂に操られるまま、そうしている。しかしこんなことが子どもの世界で、許されてよいのか。野放しになってよいのか。

(注)この原稿を書いた二〇〇一年はじめには発売中止になっていたが、二〇〇一年の終わりには再び発売されているとのこと。

ームスクール はやし浩司 タイプ別育児論 本嫌いの子ども マザーコンプレックス夢想する子ども 燃え尽き 問題児 子供のやる気 
やる気のない子ども 遊離(子どもの仮面) 指しゃぶり 欲求不満 よく泣く子ども 横を見る子ども わがままな子ども ワークブック 忘
れ物が多い子ども 乱舞する子ども 赤ちゃんがえり 赤ちゃん帰り 赤ちゃん返り 家庭内暴力 子供の虚言癖 はやし浩司 タイプ別
育児論はじめての登園 ADHD・アメリカの資料より 学校拒否症(不登校)・アメリカ医学会の報告(以上 はやし浩司のタイプ別育児論
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【41】親が幼稚園を選ぶとき
 
●「どこの幼稚園がいいですか?」

 「どこの幼稚園がいいですか」という問い合わせが、ときどきある。私のばあい、立場上、具体的に幼稚園の名前を出すということはできない。しかしよい幼稚園を選ぶポイントはある。その一。まず園長を見る。園長が運動服でも着て、園児の中で汗をかいている幼稚園はすばらしい。理由がある。教育というのは、手をかけようと思えば、どこまでも手がかけられる。反面、手を抜こうと思えば、いくらでも抜ける。しかし園長が率先して現場へ飛び込んでくるような幼稚園では、現場の先生は手を抜くことができない。

●子どものにおいのする幼稚園を

 次に、幼稚園は子どもの視点で見る。たとえばピカピカにみがかれた、汚れ一つない幼稚園は、親には受けがよい。しかしそれは子どもの世界ではない。よい幼稚園というのは、園舎のあちこちに子どもの臭いがする。落書きがあったり、いたずらをしたあとが残っていたりする。そういう臭いがする幼稚園は、よい幼稚園ということになる。そして三つ目のポイントは、哲学があるかどうかということ。富士宮市にR幼稚園というのがある。その幼稚園では、独自に玄米食の給食をしている。給食の時間になると、子どもたちが「♪カメカメカメよ、カメさんよ」と歌を歌いながら、玄米を懸命にかみながら食べている。大阪市のI幼稚園の園長は、ものを大切にするという意図から、いつもヨレヨレのスーツを着ている。浜松市のK幼稚園では、無数の動物を飼っている。私が見に行ったときも、アヒルの子どもが生まれて、子どもたちはワイワイと喜んでいた。そういう幼稚園は、すばらしい。

●幼稚園は先生を見て選ぶ

 が、何といっても大切なのは、現場の先生だ。先生が生き生きと活動している幼稚園は、すばらしい。よい幼稚園には活気がある。先生もハツラツとしている。明るい声が飛び交っている。静岡市の郊外にR幼稚園という幼稚園がある。その職員室でお茶を飲んでいたときのこと。若い先生たちが、大きな声で、「今日の資料できていますかア!」「ハ〜イ、できてるわよ!」と、皆が声をかけあっていた。そういう幼稚園は、すばらしい。「先生」というには、「先に生き生きとするから先生」、……というのは、こじつけだが、しかし先生と言うのは、そうでなくてはいけない。その活気の中に、子どもたちが巻き込まれていく。あるいは先生が庭にいたりすると、子どもたちが、先生のまわりに集まってくる。先生に飛びついたりして、楽しそうにはしゃいでいる。そういう幼稚園はすばらしい。子どもと先生の関係を、外から観察してみるとそれがわかる。もちろんあまり推薦できない幼稚園もある。経営第一主義の幼稚園だ。それを感じたら、子どもをやらないほうがよい。こういう幼稚園はやることだけはどこか派手だが、一本スジが通っていない。それについてはここにはこの程度しか書けないが、要するにここに書いたすばらしい幼稚園の、反対の幼稚園だと思えばよい。

●メリハリのある授業がよい授業

 また先生のよしあしは、メリハリのある授業ができるかどうかでみる。発言のときになると、子どもたちが自由かったつに意見を言い、作業のときになると、シーンと静まりかえる。しっかりとした口調で、テキパキと指導を進める。そういう授業のできる先生はすばらしい。が、一番のポイントは、子ども好きの先生かどうかということ。教えることを楽しんでいるかどうかでみる。子どもが何かを失敗したときの様子をみれば、それがわかる。先生が子どもを叱るときでも、子ども好きの先生だと、どこかなごやかな雰囲気になる。そうでない先生は、ピリピリとした雰囲気になる。

 ……とまあ、偉そうなことを書いてしまったが、許してほしい。園長や現場の先生なら、私のような人間にこういうことを言われると、頭にカチンとくるものだ。「教育は権威だ」「運動着など着られるか」と言う園長もいるにはいる。そういう気持ちはよくわかる。一応ここでは、私は常識的なことを書いた。あくまでも一つの参考意見として……。

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【42】子どもがよい先生を見分けるとき

●よい先生VS悪い先生

 私のような、もともと性格のゆがんだ男が、かろうじて「まとも?」でいられるのは、「教える」という立場にあるからだ。子ども、なかんずく幼児に接していると、その純粋さに毎日のように心を洗われる。何かトラブルがあって、気分が滅入っているときでも、子どもたちと接したとたん、それが吹っ飛んでしまう。よく「仕事のストレス」を問題にする人がいる。しかし私のばあい、職場そのものが、ストレス解消の場となっている。

●「子ども的」ということ

 その子どもたちと接していると、ものの考え方が、どうしても子ども的になる。しかし誤解しないでほしい。「子ども的」というのは、幼稚という意味ではない。子どもは確かに知識は乏しく未経験だが、決して幼稚ではない。むしろ人間は、おとなになるにつれて、多くの雑音の中で、自分を見失っていく。醜くなる人だっている。「子ども的である」ということは、何ら恥ずべきことではない。とくに私のばあい、若いときから、いろいろな世界をのぞいてきた。教育の世界や出版界はもちろんのこと、翻訳や通訳の世界も経験した。いくつかの会社の貿易業務に携わったこともあるし、医学の世界をかいま見たこともある。しかしこれだけは言える。園や学校の先生には、心のゆがんだ人は、まずいないということ。少なくとも、ほかの世界よりは、はるかに少ない。

●目線が子どもと同じ高さ?

 そこで「よい先生」論である。いろいろな先生に会ってきたが、目線が子どもと同じ高さにいる先生もいる。が、中には上から子どもを見おろしている先生もいる。このタイプの先生は妙に権威主義的で、いばっている。そういう先生は、そういう先生なりに、「教育」を考えてそうしているのだろうが、しかしすばらしい世界を、ムダにしている。それはちょうど美しい花を見て、それを美しいと感動する前に、花の品種改良を考えるようなものだ。昔、こんな先生がいた。ことあるごとに、「親のしつけがなっていない」「あの子は問題児」とこぼす先生である。決して悪い先生ではないが、しかしこういう先生に出会うと、子どもから明るさが消える。

●子どもと先生の相性

 そこで子どもと先生の相性があっているかどうかを見分ける、簡単な方法……。子どもに紙とクレヨンを渡して、「園の先生と遊んでいるところをかいてね」と指示する。そのとき子どもがあれこれ先生の話をしながら、楽しそうに絵をかけばよし。そうでなく、子どもが暗い表情になったり、絵をかきたがらないようであれば、子どもと先生の相性は、よくないとみる。もしそうであれば、この時期はできるだけ早い機会に、園長なら園長に相談して、子どもと先生の関係を調整したほうがよい。

(参考)
●教師の外部評価制

 教師の指導力を、地域住民がチェックするという「外部評価制」が、二〇〇二年度より東京都品川区で実施されることになった。評価結果は項目ごとに四段階で示され、年度末に公表し、学校選びの目安にしようというもの。一つの自治体が小中学校に外部評価を導入するのはたいへん珍しい。学校そのものを外部のきびしい目にさらすことで、学校改革を促す試みとして、今注目されている。

 品川区には現在、公立小中学校は五八校あるが、各学校ごとに保護者と地域の住人数一〇人に「評価モニター」を委託し、月に一度以上学校を訪れてもらい、一年間かけて学校の様子を評価してもらおうというもの。具体的には、@教員の指導が行き届いているか、Aいじめなどで子どもが不当な扱いを受けていないか、B学校の方針は妥当かなど、約二〇項目についてA〜Dの四段階で評価する。結果は品川区のホームページで公表し、区が新入生に配る学校案内にも掲載されるという。また評価の低かった項目については、各学校に改善計画を提出させ、評価結果とあわせて公表するという。

●私の経験から……

 「古い体質をなかなか変えようとしない学校教育を改善するには効果的」(若月秀夫教育長)ということだが、私ももう二〇年近く前に、浜松市内の小学校について、学校に対する評価を調査したことがある。しかしその結果、@評価は、複数の学校を相互に比較してはじめて可能。A客観的評価は、たいへん難しいの二点で、「この種の調査は、あまり意味がない」という結論を出したことがある。その学校しか知らない父母や子どもに、「あなたの学校をどう思いますか」と質問しても、その質問自体にあまり意味がないということ。そこで県外からの転校生や、兄弟で別々の学校に通っている子どもやその父母に聞き取り調査をしてみたが、今度はサンプル数そのものが少なくて、「結果」と言えるほどまでに集計できなかった。さらに親の評価はたいへん主観的なもので、「友だち先生」をよい先生とする親もいれば、悪いとする親もいる。また同じ先生でも、比較的勉強がよくできる子どもの親はよい先生と評価し、勉強ができない子どもの親は悪い先生と評価するということもわかった。品川区のお手並みを拝見したい。





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