●先生の悪口はタブー
子どもに「内緒よ」「先生には話してはダメよ」と言うのは、「先生に話しなさい」と言うのと同じ。子どもは先生の前では、絶対に隠しごとができない。英語の格言にも、『子どもは家の中のことを、通りで話す』というのがある。先生は先生で、この種の話には敏感に反応する。だいたいにおいて、親が子どもと接する時間よりも、先生が子どもと接する時間のほうが長い。だから、子どもの前では、学校の批判や先生の悪口は、タブー中のタブー。言えば言ったで、必ずそれは先生に伝わる。それだけではない。以後、子どもは先生の指導に従わなくなる。
●先生とて生身の人間
……というようなことは、以前どこかの本にも書いた。ここではその次を書く。一度、親と教師の信頼関係が崩れると、先生自身は、急速にやる気をなくす。一般の人は学校の先生を、神様か牧師のように思っているかもしれない。が、先生とて生身の人間。やる気をなくしたら、その影響は、必ず子どもに及ぶ。教育というのは、手をかけようと思えば、いくらでも手をかけられる。しかし手を抜こうと思えば、いくらでも抜ける。それこそプリント学習だけですまそうと思えば、それもできる。プリント学習ほど、教える者にとって楽な教育はない。ここが教育のこわいところだが、親にはそれがわからない。一方で先生の悪口を言いながら、「うちの子のめんどうを、しっかりみろ」は、ない。
たとえばこんなことを言う子ども(小二男児)がいた。「三年になっても、今の先生のままだったら、校長先生に言って、先生を変えてもらうって、ママが言っていた」と。私が「どうして?」と聞くと、「だって今の先生は、教え方がヘタクソだもん」と。もしあなたが先生で、子どもがそう話しているのを聞いたら、どう感ずるだろうか。あなたはそれでも、怒りや悔しさを乗り越えて、教育に専念できるだろうか。
●先生との信頼関係が子どもを伸ばす
日本では、勉強を教えるのが教育ということになっている。どこかに「学歴」を意識したものだ。が、大切なのは、人間関係だ。この人間関係こそが、真の教育なのだ。J君は、小学生のとき、ブラスバンド部に入り、そこで指導をしてくれた先生から、大きな影響を受けた。E君は、中学生のとき、ペットボトルで二段式のロケットを作って、市長賞を受賞した。やはりそのとき指導してくれた先生から、大きな影響を受けた。J君は、高校生になったとき、ある電気メーカーの主催する作曲コンクールで全国大会に出場したし、E君は今、宇宙工学をめざして、今、その講座のある大学に通っている。もしJ君やE君が、これらのよい先生にめぐりあわなければ、今の彼らはない。教育というのは、そういうものだ。では、どうするか。
●「よい先生」をクチグセに!
子どもの前では、「あなたの先生はすばらしい」「よい先生だ」だけを繰り返す。子どもが悪口を言っても、「それはあなたたちが悪いからでしょう」とたしなめる。そういう親の姿勢が先生に伝わったとき、先生もやる気を出す。信頼には信頼でこたえようとする。多少の苦労ならいとわなくなる。仮に先生との間で何か問題が起きたとしても、それは子どもとは関係のない世界で、子どもの知らないところで処理する。子どもに相談するのもタブー。損か得かという言い方はあまり好きではないが、しかしそのほうが子どもにとって得なことは、言うまでもない。
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