●一〇%のニヒリズム
教師の世界には一〇%のニヒリズムという言葉がある。つまりどんなに教育に没頭しても、最後の一〇%は、自分のためにとっておくという意味である。でないと、身も心もズタズタにされてしまう。たとえばテレビドラマに『三年B組、金八先生』というのがある。武田鉄也氏が演ずる金八先生は、すばらしい先生だが、現実にはああいう先生はありえない。それはちょうど刑事ドラマの中で、刑事と暴力団がピストルでバンバンと撃ちあうようなものだ。ドラマとしてはおもしろいが、現実にはありえない。
●その底流ではドロドロの欲望
教育といいながら、その底ではまさに、人間と人間が激しくぶつかりあっている。こんなことがあった。私はそのとき、何か別の作業をしていて、その子ども(年中女児)が、私にあいさつをしたのに気づかなかった。三〇歳くらいのとき、過労で、左耳の聴力を完全になくしている。が、その夜、その子どもの父親から、猛烈な抗議の電話がかかってきた。「お前は、うちの娘の心にキズをつけた。何とかしろ!」と。私がその子どものあいさつを無視したというのだ。そこでどうすればよいのかと聞くと、「明日、娘をお前の前に連れていくから、娘の前で頭をさげてあやまれ」と。こんなこともあった。
●「お前を詐欺で訴えてやる!」
たまたま五月の連休が重なって、その子ども(年中女児)の授業が、一時間ぬけたことがある。それについて「補講せよ」と。私が「できません」と言うと、「では、お前を詐欺で訴えてやる。ワシは、こう見えても、顔が広い。お前の仕事なんかつぶすのは、朝飯前だ!」と。浜松市内で歯科医をしている父親からの電話だった。信じられないような話だが、さらにこんなこともあった。
私はある時期、童話の本を読んでそれをカセットテープに録音し、幼稚園児たちに渡していたことがある。結構、骨の折れる作業だった。カラオケセットをうまく使って、擬音や効果音を自分の声の中に混ぜた。音楽も入れた。もちろん無料である。そのときのこと。たまたまその子ども(年長男児)が病気で休んでいたので、私はそのテープを封筒に入れ郵送した。で、その数日後、その子どもの父親から電話がかかってきた。私はてっきり礼の電話だろうと思って受話器を取ると、その父親はいきなりこう言った。「あなたに渡したテープには、ケースがついていたはずだ。それもちゃんと返してほしい」と。ケースをはずしたのは、少しでも郵送料を安くするためだったが、中にはそういう親もいる。だからこの一〇%のニヒリズムは、捨てることができない。
これらはいわば自分を守るための、自分に向かうニヒリズムだが、このニヒリズムには、もう一つの意味がある。他人に向かうニヒリズム、だ。
●痛々しい子ども
一人の男の子(年中児)が、両親に連れられて、ある日私のところにやってきた。会うと、か弱い声で、「ぼくの名前は○○です。どうぞよろしくお願いします」と。親はそれで喜んでいるようだったが、私には痛々しく見えた。四歳の子どもが、そんなあいさつをするものではない。また親は子どもに、そんなあいさつをさせてはならない。しばらく子どもの様子を観察してみると、明らかに親の過干渉と過関心が、子どもの精神を萎縮させているのがわかった。オドオドした感じで、子どもらしい覇気がない。動作も不自然で、ぎこちない。それに緩慢だった。
こういうケースでは、私が指導できることはほとんど、ない。むしろ何も指導しないことのほうが、その子どものためかもしれない。が、父親はこう言った。「この子は、やればできるはずです。ビシビシしぼってほしい」と。母親は母親で、「ひらがなはほとんど読めます。数も一〇〇まで自由に書けます」と。このタイプの親は、幼児教育が何であるか、それすらわかっていない。小学校でする勉強を、先取りして教えるのが幼児教育だと思い込んでいる。「私のところでは、とてもご期待にそえるような指導はできそうにありません」とていねいに断わると、両親は子どもの手を引っ張って、そのまま部屋から出ていった。
●黙って見送るしかなかった……
こういうケースでも、私は無力でしかない。呼びとめて、説教したい衝動にかられたが、それは私のすべきことではない。いや、こういう仕事を三〇年もしていると、予言者のように子どもの将来が、よくわかるときがある。そのときもそうだった。やがてその親子は断絶。子どもは情緒不安から神経症を発症し、さらには何らかの精神障害をかかえるようになる……。
このタイプの親は独善と過信の中で、「子どものことは、私が一番よく知っている」と思い込んでいる。その上、過干渉と過関心。親は「子どもを愛している」とは言うが、その実、愛というものが何であるかさえもわかっていない。自分の欲望を満たすため、つまり自分が望む自分の未来像をつくるため、子どもを利用しているだけ。……つまりそこまでわかっていても、私は黙って見送るしかない。それもまさしくニヒリズムということになる。
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