エッセー6
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はやし浩司
【71】教師が一〇%のニヒリズムをもつとき
 
●一〇%のニヒリズム

 教師の世界には一〇%のニヒリズムという言葉がある。つまりどんなに教育に没頭しても、最後の一〇%は、自分のためにとっておくという意味である。でないと、身も心もズタズタにされてしまう。たとえばテレビドラマに『三年B組、金八先生』というのがある。武田鉄也氏が演ずる金八先生は、すばらしい先生だが、現実にはああいう先生はありえない。それはちょうど刑事ドラマの中で、刑事と暴力団がピストルでバンバンと撃ちあうようなものだ。ドラマとしてはおもしろいが、現実にはありえない。

●その底流ではドロドロの欲望

 教育といいながら、その底ではまさに、人間と人間が激しくぶつかりあっている。こんなことがあった。私はそのとき、何か別の作業をしていて、その子ども(年中女児)が、私にあいさつをしたのに気づかなかった。三〇歳くらいのとき、過労で、左耳の聴力を完全になくしている。が、その夜、その子どもの父親から、猛烈な抗議の電話がかかってきた。「お前は、うちの娘の心にキズをつけた。何とかしろ!」と。私がその子どものあいさつを無視したというのだ。そこでどうすればよいのかと聞くと、「明日、娘をお前の前に連れていくから、娘の前で頭をさげてあやまれ」と。こんなこともあった。

●「お前を詐欺で訴えてやる!」

 たまたま五月の連休が重なって、その子ども(年中女児)の授業が、一時間ぬけたことがある。それについて「補講せよ」と。私が「できません」と言うと、「では、お前を詐欺で訴えてやる。ワシは、こう見えても、顔が広い。お前の仕事なんかつぶすのは、朝飯前だ!」と。浜松市内で歯科医をしている父親からの電話だった。信じられないような話だが、さらにこんなこともあった。

 私はある時期、童話の本を読んでそれをカセットテープに録音し、幼稚園児たちに渡していたことがある。結構、骨の折れる作業だった。カラオケセットをうまく使って、擬音や効果音を自分の声の中に混ぜた。音楽も入れた。もちろん無料である。そのときのこと。たまたまその子ども(年長男児)が病気で休んでいたので、私はそのテープを封筒に入れ郵送した。で、その数日後、その子どもの父親から電話がかかってきた。私はてっきり礼の電話だろうと思って受話器を取ると、その父親はいきなりこう言った。「あなたに渡したテープには、ケースがついていたはずだ。それもちゃんと返してほしい」と。ケースをはずしたのは、少しでも郵送料を安くするためだったが、中にはそういう親もいる。だからこの一〇%のニヒリズムは、捨てることができない。

 これらはいわば自分を守るための、自分に向かうニヒリズムだが、このニヒリズムには、もう一つの意味がある。他人に向かうニヒリズム、だ。

●痛々しい子ども

 一人の男の子(年中児)が、両親に連れられて、ある日私のところにやってきた。会うと、か弱い声で、「ぼくの名前は○○です。どうぞよろしくお願いします」と。親はそれで喜んでいるようだったが、私には痛々しく見えた。四歳の子どもが、そんなあいさつをするものではない。また親は子どもに、そんなあいさつをさせてはならない。しばらく子どもの様子を観察してみると、明らかに親の過干渉と過関心が、子どもの精神を萎縮させているのがわかった。オドオドした感じで、子どもらしい覇気がない。動作も不自然で、ぎこちない。それに緩慢だった。

 こういうケースでは、私が指導できることはほとんど、ない。むしろ何も指導しないことのほうが、その子どものためかもしれない。が、父親はこう言った。「この子は、やればできるはずです。ビシビシしぼってほしい」と。母親は母親で、「ひらがなはほとんど読めます。数も一〇〇まで自由に書けます」と。このタイプの親は、幼児教育が何であるか、それすらわかっていない。小学校でする勉強を、先取りして教えるのが幼児教育だと思い込んでいる。「私のところでは、とてもご期待にそえるような指導はできそうにありません」とていねいに断わると、両親は子どもの手を引っ張って、そのまま部屋から出ていった。

●黙って見送るしかなかった……

 こういうケースでも、私は無力でしかない。呼びとめて、説教したい衝動にかられたが、それは私のすべきことではない。いや、こういう仕事を三〇年もしていると、予言者のように子どもの将来が、よくわかるときがある。そのときもそうだった。やがてその親子は断絶。子どもは情緒不安から神経症を発症し、さらには何らかの精神障害をかかえるようになる……。

 このタイプの親は独善と過信の中で、「子どものことは、私が一番よく知っている」と思い込んでいる。その上、過干渉と過関心。親は「子どもを愛している」とは言うが、その実、愛というものが何であるかさえもわかっていない。自分の欲望を満たすため、つまり自分が望む自分の未来像をつくるため、子どもを利用しているだけ。……つまりそこまでわかっていても、私は黙って見送るしかない。それもまさしくニヒリズムということになる。
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【72】親が子どもを許して忘れるとき

●苦労のない子育てはない

 子育てには苦労はつきもの。苦労を恐れてはいけない。その苦労が親を育てる。親が子どもを育てるのではない。子どもが親を育てる。よく「育自」という言葉を使って、「子育てとは自分を育てること」と言う人がいる。まちがってはいないが、しかし子育てはそんな甘いものではない。親は子育てをしながら、それこそ幾多の山や谷を越え、「子どもを産んだ親」から、「真の親」へと、いやおうなしに育てられる。たとえばはじめて幼稚園へ子どもを連れてくるような親は、確かに若くてきれいだが、どこかツンツンとしている。どこか軽い(失礼!)。バスの運転手さんや炊事室のおばさんにだと、あいさつすらしない。しかしそんな親でも、子どもが幼稚園を卒園するころには、ちょうど稲穂が実って頭をさげるように、姿勢が低くなる。人間味ができてくる。

●子どもは下からみる

 賢明な人は、ふつうの価値を、それをなくす前に気づく。そうでない人は、それをなくしてから気づく。健康しかり、生活しかり、そして子どものよさも、またしかり。

 私には三人の息子がいるが、そのうちの二人を、あやうく海でなくすところだった。とくに二男は、助かったのはまさに奇跡中の奇跡。あの浜名湖という広い海のまん中で、しかもほとんど人のいない海のまん中で、一人だけ魚を釣っている人がいた。あとで話を聞くと、国体の元水泳選手だったという。私たちはそのとき、湖上に舟を浮かべて、昼寝をしていた。子どもたちは近くの浅瀬で遊んでいるものとばかり思っていた。が、三歳になったばかりの三男が、「お兄ちゃんがいない!」と叫んだとき、見ると上の二人の息子たちが流れにのまれるところだった。私は海に飛び込み、何とか長男は助けたが、二男はもう海の中に沈むところだった。私は舟にもどり、懸命にいかりをたぐろうとしたが、ロープが長くのびてしまっていて、それもできなかった。そのときだった。「もうダメだア」と思って振り返ると、その元水泳選手という人が、海から二男を助け出すところだった。

●「こいつは生きているだけでいい」

 以後、二男については、問題が起きるたびに、「こいつは生きているだけでいい」と思いなおすことで、私はその問題を乗り越えることができた。花粉症がひどくて、不登校を繰り返したときも、受験勉強そっちのけで作曲ばかりしていたときも、それぞれ、「生きているだけでいい」と思いなおすことで、乗り越えることができた。私の母はいつも、こう言っていた。『上見てキリなし。下見てキリなし』と。人というのは、上ばかりみていると、いつまでたっても安穏とした生活はやってこないということだが、子育てで行きづまったら、「下」から見る。「下」を見ろというのではない。下から見る。「生きている」という原点から子どもを見る。そうするとあらゆる問題が解決するから不思議である。

●子育ては許して忘れる 

 子育てはまさに「許して忘れる」の連続。昔、学生時代、私が人間関係のことで悩んでいると、オーストラリアの友人がいつもこう言った。「ヒロシ、許して忘れろ」(※)と。英語では「Forgive and Forget」という。この「フォ・ギブ(許す)」という単語は、「与えるため」とも訳せる。同じように「フォ・ゲッツ(忘れる)」は、「得るため」とも訳せる。しかし何を与えるために許し、何を得るために忘れるのか。私は心のどこかで、この言葉の意味をずっと考えていたように思う。が、ある日。その意味がわかった。

 私が自分の息子のことで思い悩んでいるときのこと。そのときだ。この言葉が頭を横切った。「どうしようもないではないか。どう転んだところで、お前の子どもはお前の子どもではないか。許して忘れてしまえ」と。つまり「許して忘れる」ということは、「子どもに愛を与えるために許し、子どもから愛を得るために忘れろ」ということになる。そしてその深さ、つまりどこまで子どもを許し、忘れるかで、親の愛の深さが決まる。もちろん許して忘れるということは、子どもに好き勝手なことをさせろということではない。子どもの言いなりになるということでもない。許して忘れるということは、子どもを受け入れ、子どもをあるがままに認めるということ。子どもの苦しみや悲しみを自分のものとして受け入れ、仮に問題があったとしても、その問題を自分のものとして認めるということをいう。

 難しい話はさておき、もし子育てをしていて、行きづまりを感じたら、子どもは「生きている」という原点から見る。が、それでも袋小路に入ってしまったら、この言葉を思い出してみてほしい。許して忘れる。それだけであなたの心は、ずっと軽くなるはずである。

※……聖書の中の言葉だというが、私は確認していない。

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ント はやし浩司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市 金沢大学法文学部卒 はやし浩司 教育評論家 幼児教育評論家 林浩
司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 はやしひろし 林ひろし 静岡県 浜松市 幼
児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 はやし浩司・林浩二(司) 林浩司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐
阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 Hiroshi Hayashi / 1970 IH student/International House / Melbourne Univ.
【73】真の自由を子どもに教えられるとき 

●真の自由を手に入れる方法はあるのか?
 
 私のような生き方をしているものにとっては、死は、恐怖以外の何ものでもない。「私は自由だ」といくら叫んでも、そこには限界がある。死は、私からあらゆる自由を奪う。が、もしその恐怖から逃れることができたら、私は真の自由を手にすることになる。しかしそれは可能なのか……? その方法はあるのか……? 一つのヒントだが、もし私から「私」をなくしてしまえば、ひょっとしたら私は、死の恐怖から、自分を解放することができるかもしれない。自分の子育ての中で、私はこんな経験をした。

●無条件の愛

 息子の一人が、アメリカ人の女性と結婚することになったときのこと。息子とこんな会話をした。息子「アメリカで就職したい」、私「いいだろ」、息子「結婚式はアメリカでしたい。アメリカのその地方では、花嫁の居住地で式をあげる習わしになっている。結婚式には来てくれるか」、私「いいだろ」、息子「洗礼を受けてクリスチャンになる」、私「いいだろ」と。その一つずつの段階で、私は「私の息子」というときの「私の」という意識を、グイグイと押し殺さなければならなかった。苦しかった。つらかった。しかし次の会話のときは、さすがに私も声が震えた。息子「アメリカ国籍を取る」、私「……日本人をやめる、ということか……」、息子「そう……」、私「……いいだろ」と。

 私は息子に妥協したのではない。息子をあきらめたのでもない。息子を信じ、愛するがゆえに、一人の人間として息子を許し、受け入れた。英語には『無条件の愛』という言葉がある。私が感じたのは、まさにその愛だった。しかしその愛を実感したとき、同時に私は、自分の心が抜けるほど軽くなったのを知った。

●息子に教えられたこと

 「私」を取り去るということは、自分を捨てることではない。生きることをやめることでもない。「私」を取り去るということは、つまり身のまわりのありとあらゆる人やものを、許し、愛し、受け入れるということ。「私」があるから、死がこわい。が、「私」がなければ、死をこわがる理由などない。一文なしの人は、どろぼうを恐れない。それと同じ理屈だ。死がやってきたとき、「ああ、おいでになりましたか。では一緒に参りましょう」と言うことができる。そしてそれができれば、私は死を克服したことになる。真の自由を手に入れたことになる。その境地に達することができるようになるかどうかは、今のところ自信はない。ないが、しかし一つの目標にはなる。息子がそれを、私に教えてくれた。


writer/essayist/law student/Japan/born in 1947/武義高校 林こうじ はやしこうじ 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ
 金沢大学法文学部卒 教育評論家 ハローワールド(雑誌)・よくできました(教材) スモッカの知恵の木 ジャックと英語の木 (CAI) 
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【74】子どもが環境に影響されるとき
 
●オムツがはずせない子ども

 今、子どもたちの間で珍現象が起きている。四歳を過ぎても、オムツがはずせない。幼稚園や保育園で、排尿、排便ができず、紙オムツをあててあげると、排尿、排便ができる。六歳になっても、大便のあとお尻がふけない。あるいは幼稚園や保育園では、大便をがまんしてしまう。反対に、その意識がないまま、あたりかまわず排尿してしまう。原因は、紙オムツ。最近の紙オムツは、性能がよすぎる(?)ため、使用しても不快感がない。子どもというのは、排尿後の不快感を体で覚えて、排尿、排便の習慣を身につける。たとえば昔の布オムツは、一度排尿すると、お尻が濡れていやなものだった。この「いやだ」という感覚が、子どもの排尿、排便感覚を育てる。

 このことをある雑誌で発表しようとしたら、その部分だけ削られてしまった(M誌・九八年)。「根拠があいまい」というのが表向きの理由だったが、実は同じ雑誌に広告を載せているスポンサーに遠慮したためだ。根拠があるもないもない。こんなことは幼稚園や保育園では常識で、それを疑う人はいない。紙オムツをあててあげると排尿できるというのが、その証拠である。
●流産率は三九%!

 ……というような問題は、現場にはゴロゴロしている。疑わしいが、はっきりとは言えないというようなことである。その一つが住環境。高層住宅に住んでいる子どもは、情緒が不安定になりやすい……? 実際、高層住宅が人間の心理に与える影響は無視できない。こんな調査結果がある。たとえば妊婦の流産率は、六階以上では、二四%、一〇階以上では、三九%(一〜五階は五〜七%)。流・死産率でも六階以上では、二一%(全体八%)(東海大学医学部逢坂文夫氏)。マンションなど集合住宅に住む妊婦で、マタニティブルー(うつ病)になる妊婦は、一戸建ての居住者の四倍(国立精神神経センター北村俊則氏)など。母親ですら、これだけの影響を受ける。いわんや子どもをや。が、さらに深刻な話もある。

●紫外線対策を早急に

 今どき野外活動か何かで、まっ赤に日焼けするなどということは、自殺的行為と言ってもよい。私の周辺でも、何らかの対策を講じている学校は、一校もない。無頓着といえば、無頓着。無頓着すぎる。オゾン層のオゾンが一%減少すると、有害な紫外線が二%増加し、皮膚がんの発生率は四〜六%も増加するという(岐阜県保健環境研究所)。実際、オーストラリアでは、一九九二年までの七年間だけをみても、皮膚がんによる死亡件数が、毎年一〇%ずつふえている。日光性角皮症や白内障も急増している。そこでオーストラリアでは、その季節になると、紫外線情報を流し、子どもたちに紫外線防止用の帽子とサングラスの着用を義務づけている。が、この日本では野放し。オーストラリアの友人は、こう言った。「何も対策を講じていない? 信じられない」と。ちなみにこの北半球でも、オゾンは、すでに一〇〜四〇%(日本上空で一〇%)も減少している(NHK「地球法廷」)(※)。

●疑わしきは罰する

 法律の世界では、「疑わしきは、罰せず」という。しかし教育の世界では、「疑わしきは、罰する」。子どもの世界は、先手先手で守ってこそ、はじめて守ることができる。害が具体的に出るようになってからでは、遅い。たとえば紫外線の問題にしても、過度な日焼けはさせない。紫外線防止用の帽子を着用させる、など。あなたが親としてすべきことは多い。

※ ……日本の気象庁の調査によると、南極大陸のオゾンホールは、一九八〇年には、面積がほとんど〇だったものが、一九八五年から九〇年にかけて南極大陸とほぼ同じ大きさになり、二〇〇〇年には、それが南極大陸の面積のほぼ二倍にまで拡大しているという。この日本でも北海道の札幌市での上空オゾンの全量が、約三七〇(m atm-cm)から、三四〇(m atm-cm)にまで減少しているという。

 なお本文の中の数値とは多少異なるかもしれないが、気象庁は次のように発表している。「成層圏のオゾンの量が一%減ると、地上に降りそそぐ紫外線Bの量は、一・五%ふえる。国連環境計画(UNEP)一九九四年の報告によると、オゾン量が一%減少すると、皮膚がんの発生が二%、白内障の発生が〇・六〜〇・八%ふえると予測している」と。

●危険な高層住宅?

 逢坂文夫氏(東海大学医学部)は、横浜市の三保健所管内における四か月健診を受けた母親(第一子のみを出生した母親)、一六一五人(回収率、五四%)について調査した。結果は次のようなものであったという。

 流産割合(全体)       …… 七・七%
     一戸建て       …… 八・二%
     集合住宅(一〜二階) …… 六・九%
     集合住宅(三〜五階) …… 五・六%
     集合住宅(六〜九階) ……一八・八% 
     集合住宅(一〇階以上)……三八・九%

 これらの調査結果でわかることは、集合住宅といっても、一〜五階では、一戸建てに住む妊婦よりも、流産率は低いことがわかる。しかし六階以上になると、流産率は極端に高くなる。また帝王切開術を必要とするような異常分娩についても、ほぼ同じような結果が出ている。一戸建て、一四・九%に対して、六階以上では、二七%など。これについて、逢坂氏は次のようにコメントしている。「(高層階に住む妊婦ほど)妊婦の運動不足に伴い、出生体重値の増加がみられ、その結果が異常分娩に関与するものと推察される」と。ただし「流産」といっても、その内容はさまざまであり、また高層住宅の住人といっても、居住年数、妊娠経験(初産か否か)、居住空間の広さなど、その居住形態はさまざまである。その居住形態によっても、影響は違う。逢坂氏はこの点についても、詳細な調査を行っているが、ここでは割愛する。詳しくは、「保健の科学」第36巻1994別冊七八一ページ以下に掲載。

●流・死産の原因

 流・死産の原因の一つとして、「母親の神経症的傾向割合」をあげ、それについても 逢坂文夫氏は調査している。

 神経症的傾向割合 全体     …… 七・五%
     一戸建て        …… 五・三%
     集合住宅(一〜二階) …… 一〇・二%
     集合住宅(三〜五階) ……  八・八%
     集合住宅(六階以上) …… 一三・二%

 この結果から、神経症による症状が、高層住宅の六階以上では、一戸建て住宅に住む母親より、約二・六倍。平均より約二倍多いことがわかる。この事実を補足する調査結果として、逢坂氏は、喫煙率も同じような割合で、高層階ほどふえていることを指摘している。たとえば一戸建て女性の喫煙率、九・〇%。集合住宅の一〜二階、一一・四%。三〜五階、一〇・九%。六階以上、一七・六%。
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【75】子どもが環境に影響されるときA
 
●大きな反響

 先に「疑わしきは罰する」の中で、「高層住宅の一〇階以上に住む妊婦の流産率は、三九%」「(マンションなど高層住宅に住む人で)、マタニティブルー(妊娠関連うつ病)になる人は、一戸建ての家に住む人の四倍」などと書いた。このコラムは新聞(中日新聞・二〇〇一年春)に発表したが、大きな反響を呼んだ。と同時に、多くの人に不安を与えてしまった。報道部の人ですら、「本当ですか?」「建設会社から、抗議がきたのでは……」と言ってきた。しかしそこに書いたことに、まちがいはない。私はそのコラムを書くにあたって、前もってそれぞれの研究者と手紙で連絡を取り、元となる論文を入手した。しかもある程度の反響は予測できたので、担当のI氏には論文のコピーを渡しておいた。

●心理的な風通しをよくする

 ただし流産の原因については、高層住宅とそのまま結びつけることはできない。高層住宅のもつ問題点を知り、対応策を考えれば、流産は防げる。逢坂氏も流産率が高いことについて、「居住階の上昇に伴い、外に出る頻度(高さによる心理的、生理的、物理的影響)が減少する」(「保健の科学」第三六巻一九九四別冊七八三)と述べている。高層階に住んでいると、どうしても外出する機会がへる。人との接触もへる。それが心理的なストレスを増大させる。胎児の発育にも悪い影響を与える。そういういろいろな要因が重なって、それが流産につながる、と。このことを言いかえると、高層階に住んでいても、できるだけ外出し、人との交流を深めるなど、心理的な風通しをよくすれば、流産は防げるということになる。事実、高層階になればなるほど、心理的なストレスが大きくなることは、ほかの多くの研究者も指摘している。

●マンション住人の平均死亡年齢は、五七・五歳

 たとえば平均死亡年齢について、マンション住人の平均死亡年齢は、五七・五歳。木造住宅の住人の平均死亡年齢は六六・一歳。およそ九歳もの差があることがわかっている(島根大学中尾哲也氏・「日本木材学会」平成七年報告書)。さらにコンクリート住宅そのものがもつ問題点を指摘する研究者もいる。

●好ましい木造住宅?

 マウスを使った実験だが、コンクリート住宅と木造住宅について、静岡大学農学部水野秀夫氏は、興味深い実験をしている。水野氏の実験によれば、木製ゲージ(かご)でマウスを育てたばあい、生後二〇日の生存率は、八五・一%。しかしコンクリートゲージで育てたばあいは、たったの六・九%ということだそうだ。水野氏は、気温条件など、さまざまな環境下で実験を繰り返したということだが、「あいにくとその論文は手元にはない」とのことだった。

 ただこの実験結果をもって、コンクリート住宅が、人間の住環境としてふさわしくないとは断言できない。マウスと人間とでは、生活習慣そのものが違う。電話で私が、「マウスはものをかじるという習性があるが、ものをかじれないという強度のストレスが、生存率に影響しているのではないか」と言うと、水野氏は、「それについては知らない」と言った。また私の原稿について、水野氏は、「私はコンクリート住宅と木造住宅の住環境については調査はしたが、だからといって高層住宅が危険とまでは言っていない」と言った。水野氏の言うとおりである。

 ほかにコンクリート製ゲージで育ったマウスは、生殖器がより軽い、成長が遅いなどということも指摘されている(前述、水野氏)。さらに高層住宅にいる幼児は、体温そのものが低く、三六度以下の子どもが多い(「子どもの健康と生活環境」V四一・小児科別冊)など。こういう事実をふまえて、私は、「子どもは当然のことながら、母親以上に、住環境から心理的な影響を受ける」と書いた。

●結局は私たちの問題

 こうした事実があるにもかかわらず、日本の政府は、ほとんど対策をとっていない。一人、「そうは言っても、都会で一戸建てを求めるのは難しいです」「日本の住宅事情を考えると、高層住宅を否定することもできません」と言った人もいた。しかしここから先は、参考にする、しないの問題だから、判断は、読者の方がすればよい。ただこういうことは言える。あなたや子どもの健康を守るのは、あなた自身であって、国ではないということ。こうした建設がらみの問題では、国は、まったくあてにならない。

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【76】若者たちが社会に反抗するとき
 
●尾崎豊の「卒業」論

学校以外に学校はなく、学校を離れて道はない。そんな息苦しさを、尾崎豊は、『卒業』の中でこう歌った。「♪……チャイムが鳴り、教室のいつもの席に座り、何に従い、従うべきか考えていた」と。「人間は自由だ」と叫んでも、それは「♪しくまれた自由」にすぎない。現実にはコースがあり、そのコースに逆らえば逆らったで、負け犬のレッテルを張られてしまう。尾崎はそれを、「♪幻とリアルな気持ち」と表現した。

宇宙飛行士のM氏は、勝ち誇ったようにこう言った。「子どもたちよ、夢をもて」と。しかし夢をもてばもったで、苦しむのは、子どもたち自身ではないのか。つまずくことすら許されない。ほんの一部の、M氏のような人間選別をうまくくぐり抜けた人だけが、そこそこの夢をかなえることができる。大半の子どもはその過程で、あがき、もがき、挫折する。尾崎はこう続ける。「♪放課後街ふらつき、俺たちは風の中。孤独、瞳に浮かべ、寂しく歩いた」と。

●若者たちの声なき反抗

 日本人は弱者の立場でものを考えるのが苦手。目が上ばかり向いている。たとえば茶パツ、腰パン姿の学生を、「落ちこぼれ」と決めてかかる。しかし彼らとて精一杯、自己主張しているだけだ。それがだめだというなら、彼らにはほかに、どんな方法があるというのか。そういう弱者に向かって、服装を正せと言っても、無理。尾崎もこう歌う。「♪行儀よくまじめなんてできやしなかった」と。彼にしてみれば、それは「♪信じられぬおとなとの争い」でもあった。

実際この世の中、偽善が満ちあふれている。年俸が二億円もあるようなニュースキャスターが、「不況で生活がたいへんです」と顔をしかめて見せる。いつもは豪華な衣装を身につけているテレビタレントが、別のところで、涙ながらに難民への寄金を訴える。こういうのを見せつけられると、この私だってまじめに生きるのがバカらしくなる。そこで尾崎はそのホコ先を、学校に向ける。「♪夜の校舎、窓ガラス壊して回った……」と。もちろん窓ガラスを壊すという行為は、許されるべき行為ではない。が、それ以外に方法が思いつかなかったのだろう。いや、その前にこういう若者の行為を、誰が「石もて、打てる」のか。

●CDとシングル盤だけで二〇〇万枚以上!

 この「卒業」は、空前のヒット曲になった。CDとシングル盤だけで、二〇〇万枚を超えた(CBSソニー広報部、現在のソニーME)。「カセットになったのや、アルバムの中に収録されたものも含めると、さらに多くなります」とのこと。この数字こそが、現代の教育に対する、若者たちの、まさに声なき抗議とみるべきではないのか。

(付記)
●日本は超管理型社会

 最近の中学生たちは、尾崎豊をもうすでに知らない。そこで私はこの歌を説明したあと、中学生たちに「夢」を語ってもらった。私が「君たちの夢は何か」と聞くと、まず一人の中学生(中二女子)がこう言った。「ない」と。「おとなになってからしたいことはないのか」と聞くと、「それもない」と。「どうして?」と聞くと、「どうせ実現しないから」と。もう一人の中学生(中二男子)は、「それよりもお金がほしい」と言った。そこで私が、「では、今ここに一億円があったとする。それが君のお金になったらどうする?」と聞くと、こう言った。「毎日、机の上に置いてながめている」と。ほかに五人の中学生がいたが、皆、ほぼ同じ意見だった。今の子どもたちは、自分の将来について、明るい展望をもてなくなっているとみてよい。このことは内閣府の「青少年の生活と意識に関する基本調査」(二〇〇一年)でもわかる。

 一五〜一七歳の若者でみたとき、「日本の将来の見とおしが、よくなっている」と答えたのが、四一・八%、「悪くなっている」と答えたのが、四六・六%だそうだ。

●超の上に「超」がつく管理社会

 日本の社会は、アメリカと比べても、超の上に「超」がつく超管理社会。アメリカのリトルロック(アーカンソー州の州都)という町の近くでタクシーに乗ったときのこと(二〇〇一年四月)。タクシーにはメーターはついていなかった。料金は乗る前に、運転手と話しあって決める。しかも運転してくれたのは、いつも運転手をしている女性の夫だった。「今日は妻は、ほかの予約で来られないから……」と。

 社会は管理されればされるほど、それを管理する側にとっては便利な世界かもしれないが、一方ですき間をつぶす。そのすき間がなくなった分だけ、息苦しい社会になる。息苦しいだけならまだしも、社会から生きる活力そのものを奪う。尾崎豊の「卒業」は、そういう超管理社会に対する、若者の抗議の歌と考えてよい。

(参考)
●新聞の投書より

 ただ一般世間の人の、生徒の服装に対する目には、まだまだきびしいものがある。中日新聞が、「生徒の服装の乱れ」についてどう思うかという投書コーナーをもうけたところ、一一人の人からいろいろな投書が寄せられていた(二〇〇一年八月静岡県版)。それをまとめると、次のようであった。

女子学生の服装の乱れに猛反発     ……八人
やや理解を示しつつも大反発      ……三人
こうした女子高校生に理解を示した人  ……〇人

投書の内容は次のようなものであった。
☆「短いスカート、何か対処法を」……学校の校則はどうなっている? きびしく取り締まってほしい。(六五歳主婦)
☆「学校の現状に歯がゆい」……人に迷惑をかけなければ何をしてもよいのか。誠意と愛情をもって、周囲の者が注意すべき。(四〇歳女性)
☆「同じ立場でもあきれる」……恥ずかしくないかっこうをしなさい。あきれるばかり。(一六歳女子高校生)
☆「過激なミニは、健康面でも問題」……思春期の女性に、ふさわしくない。(六一歳女性)

●学校教育法の改正

 校内暴力に関して、学校教育法が二〇〇一年、次のように改定された(第二六条)。
 次のような性行不良行為が繰り返しあり、他の児童の教育に妨げがあると認められるときは、その児童に出席停止を命ずることができる。

一、他の児童に傷害、心身の苦痛または財産上の損失を与える行為。
二、職員に傷害または心身の苦痛を与える行為。
三、施設または設備を損壊する行為。
四、授業その他の教育活動の実施を妨げる行為、と。

文部科学省による学校管理は、ますますきびしくなりつつある。

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【77】親が子どもを叱るとき
 
●「出て行け」は、ほうび

 日本では親は、子どもにバツを与えるとき、「(家から)出て行け」と言う。しかしアメリカでは、「部屋から出るな」と言う。もしアメリカの子どもが、「出て行け」と言われたら、彼らは喜んで家から出て行く。「出て行け」は、彼らにしてみれば、バツではなく、ほうびなのだ。
 一方、こんな話もある。私がブラジルのサンパウロで聞いた話だ。日本からの移民は、仲間どうしが集まり、集団で行動する。その傾向がたいへん強い。リトル東京(日本人街)が、そのよい例だ。この日本人とは対照的に、ドイツからの移民は、単独で行動する。人里離れたへき地でも、平気で暮らす、と。

●皆で渡ればこわくない

 この二つの話、つまり子どもに与えるバツと日本人の集団性は、その水面下で互いにつながっている。日本人は、集団からはずれることを嫌う。だから「出て行け」は、バツとなる。一方、欧米人は、束縛からの解放を自由ととらえる。自由を奪われることが、彼らにしてみればバツなのだ。集団性についても、あのマーク・トウェーン(「トム・ソーヤの冒険」の著者)はこう書いている。『皆と同じことをしていると感じたら、そのときは自分が変わるべきとき』と。つまり「皆と違ったことをするのが、自由」と。

●変わる日本人

 一方、日本では昔から、『長いものには巻かれろ』と言う。『皆で渡ればこわくない』とも言う。そのためか子どもが不登校を起こしただけで、親は半狂乱になる。集団からはずれるというのは、日本人にとっては、恐怖以外の何ものでもない。この違いは、日本の歴史に深く根ざしている。日本人はその身分制度の中で、画一性を強要された。農民は農民らしく、町民は町民らしく、と。それだけではない。日本独特の家制度が、個人の自由な活動を制限した。戸籍から追い出された者は、無宿者となり、社会からも排斥された。要するにこの日本では、個人が一人で生きるのを許さないし、そういう仕組みもない。しかし今、それが大きく変わろうとしている。若者たちが、「組織」にそれほど魅力を感じなくなってきている。イタリア人の友人が、こんなメールを送ってくれた。「ローマへ来る日本人は、今、二つに分けることができる。一つは、旗を立てて集団で来る日本人。年配者が多い。もう一つは、単独で行動する若者たち。茶パツが多い」と。

●ふえるフリーターたち

 たとえばそういう変化は、フリーター志望の若者がふえているというところにも表れている。日本労働研究機構の調査(二〇〇〇年)によれば、高校三年生のうちフリーター志望が、一二%もいるという(ほかに就職が三四%、大学、専門学校が四〇%)。職業意識も変わってきた。「いろいろな仕事をしたい」「自分に合わない仕事はしない」「有名になりたい」など。三〇年前のように、「都会で大企業に就職したい」と答えた子どもは、ほとんどいない(※)。これはまさに「サイレント革命」と言うにふさわしい。フランス革命のような派手な革命ではないが、日本人そのものが、今、着実に変わろうとしている。

 さて今、あなたの子どもに「出て行け」と言ったら、あなたの子どもはそれを喜ぶだろうか。それとも一昔前の子どものように、「入れてくれ!」と、玄関の前で泣きじゃくるだろうか。ほんの少しだけ、頭の中で想像してみてほしい。

※……首都圏の高校生を対象にした日本労働研究機構の調査(二〇〇〇年)によると、

 卒業後の進路をフリーターとした高校生……一二%
 就職                ……三四%
 専門学校              ……二八%
 大学・短大             ……二二%

 また将来の進路については、「将来、フリーターになるかもしれない」と思っている生徒は、全体の二三%。約四人に一人がフリーター志向をもっているのがわかった。その理由としては、

 就職、進学断念型          ……三三%
 目的追求型             ……二三%
 自由志向型             ……一五%、だそうだ。

●フリーター撲滅論まで……

 こうしたフリーター志望の若者がふえたことについて、「フリーターは社会的に不利である」ことを理由に、フリーター反対論者も多い。「フリーター撲滅論」を展開している高校の校長すらいる。しかし不利か不利でないかは、社会体制の不備によるものであって、個人の責任ではない。実情に合わせて、社会のあり方そのものを変えていく必要があるのではないだろうか。いつまでも「まともな仕事論」にこだわっている限り、日本の社会は変わらない。


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【78】日本の将来を教育に見るとき
 
●人間は甘やかすと……?

 官僚の天下りをどう思うかという質問に対して、ある大蔵官僚は、「私ら、学生時代勉強で苦労したのだから、当然だ」「国のために仕事ばかりしているから、退職後の仕事をさがすヒマもない。(だから国が用意してくれるのは、当然だ)」(NHK報道・九九年春)と答えていた。また別の女子学生は、「卒業しても就職先がないのは、社会の責任だ。私たちは言われるまま、まじめに勉強してきたのだから」(新聞投稿欄)と書いていた。人間は甘やかすと、ここまで言うようになる。

●最後はメーター付きのタクシー

 私は以前、息子と二人で、ちょうど経済危機に見舞われつつあったタイを旅したことがある。息子はともかくも、私はあの国にたまらないほどの懐かしさを覚えた。それはちょうど四〇年前の日本にタイムスリップしたかのような懐かしさだった。あの国では誰もがギラギラとした脂汗を流し、そして誰もが動きを止めることなく働いていた。若者とて例外ではない。タクシーの運転手がこんな話をしてくれた。

若者たちは小銭ができると、まずバイクを買う。そしてそれで白タク営業をする。料金はその場で客と交渉して決める。そこでお金がたまったら、「ツクツク」と呼ばれるオート三輪を買って、それでお金をためる。さらにお金がたまったら、四輪の自動車を買って、それでまたお金を稼ぐ。最後はメーター付き、エアコン付のタクシーを買う、と。

●日本には活気があった

 形こそ多少違うが、私たちが子どものころには、日本中に、こういう活気が満ちあふれていた。子どもたちとて例外ではない。私たちは学校が終わると磁石を持って、よく近くの小川へ行った。そこでその磁石で金属片を集める。そしてそれを鉄くず屋へ持っていく。それが結構、小づかい稼ぎになった。父の一日の稼ぎよりも多く、稼いだこともある。が、今の日本にはそれはない。「生きざま」そのものが変わってきた。先日もある大学生が私のところへやってきて、私とこんな会話をした。

学「どこか就職先がありませんか」、私「君は何ができる?」、学「翻訳ぐらいなら、何とか」、私「じゃあ商工会議所へ行って、掲示板に張り紙でもしてこい。『翻訳します』とか書いてくれば、仕事が回ってくるかもしれない」、学「カッコ悪いからいやだ」、私「なぜカッコ悪い?」、学「恥ずかしい……。恥ずかしいから、そんなこと、できない」

 その学生は、働いてお金を稼ぐことを、「カッコ悪い」と言う。「恥ずかしい」と言う。結局その学生はその年には就職できず、一年間、カナダの大学へ語学留学をすることになった。もちろんその費用は親が出した。

●子どもを見れば、未来がわかる

 当然のことながら日本の未来は、今の若者たちが決める。言いかえると、今の日本の若者たちを見れば、日本の未来がわかる。で、その未来。最近の経済指標を見るまでもない。結論から先に言えば、お先まっ暗。このままでは日本は、このアジアの中だけでも、ごくふつうの国になってしまう。いや、おおかたの経済学者は、二〇一五年前後には、日本は中国の経済圏にのみ込まれてしまうだろうと予想している。事実、年を追うごとに日本の影はますます薄くなっている。たとえばアメリカでは、今では日本の経済ニュースは、シンガポール経由で入っている(NBC)。どこの大学でも日本語を学ぶ学生は急減し、かわって中国語を学ぶ学生がふえている(ハーバード大学)。私たちは飽食とぜいたくの中で、あまりにも子どもたちを甘やかし過ぎた。そのツケを払うのは、結局は子どもたち自身ということになるが、これもしかたのないことなのか。私たちが子どものために、よかれと思ってしてきたことが、今、あちこちで裏目にでようとしている。

(参考)
●日本の中高生は将来を悲観 

 「二一世紀は希望に満ちた社会になると思わない」……。日韓米仏四カ国の中高生を対象にした調査で、日本の子どもたちはこんな悲観的な見方をしていることが明らかになった。現在の自分自身や社会全体への満足度も一番低く、人生目標はダントツで「楽しんで生きること」。学校生活で重要なことでは、「友達(関係)」を挙げる生徒が多く、「勉強」としたのは四か国で最低だった。

 財団法人日本青少年研究所(千石保理事長)などが二〇〇〇年七月、東京、ソウル、ニューヨーク、パリの中学二年生と高校二年生、計約三七〇〇人を対象に実施。「二一世紀は希望に満ちた社会になる」と答えたのは、米国で八五・七%、韓仏でも六割以上に達したが、日本は三三・八%と際立って低かった。自分への満足度では、米国では九割近くが「満足」と答えたが、日本は二三・一%。学校生活、友達関係、社会全体への満足度とも日本が四カ国中最低だった。

 希望する職業は、日本では公務員や看護婦などが上位。米国は医師や政治家、フランスは弁護士、韓国は医師や先端技術者が多かった。人生の目標では、日本の生徒は「人生を楽しむ」が六一・五%と最も多く、米国は「地位と名誉」(四〇・六%)、フランスは「円満な家庭」(三二・四%)だった。

 また価値観に関し、「必ず結婚しなければならない」と答えたのは、日本が二〇・二%だったのに対し、米国は七八・八%。「国のために貢献したい」でも、肯定は日本四〇・一%、米国七六・四%と米国の方が高かった。ただ米国では「発展途上国には関心がない」「人類全体の利益よりわが国の利益がもっと重要だ」とする割合が突出して高く、国際協調の精神が希薄なことも浮かんだ。

 千石理事長は「日本の子どもはいつの調査でもペシミスティック(悲観的)だ。将来の夢や希望がなく、今が楽しければよいという現在志向が表れている。一九八〇年代からの傾向で、豊かになったことに伴ったのだろう」と分析している。

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【79】子どもに平和を語るとき
 
●私の伯父は七三一部隊の教授だった 

平和教育について一言……。
私の伯父は関東軍第七三一部隊の教授だった。残虐非道な生体実験をした、あの細菌兵器研究部隊である。そのことがある本で暴露されたとき、伯母はその本を私に見せながら、人目もはばからず、大声で泣いた。「父ちゃん(伯父)が死んでいて、よかったア〜」と。伯父はその少し前、脳内出血で死んでいた。

●「貴様ア! 何抜かすかア!」

 ドイツのナチスは、一一〇〇万人のユダヤ人絶滅計画をたて、あのアウシュビッツの強制収容所だけで、四〇〇万人のユダヤ人を殺した。そういう事実を見て、多くの日本人は、「私たち日本人はそういうことをしない」と言う。しかし本当にそうか? ゲーテやシラー、さらにはベートーベンまで生んだドイツですら狂った。この日本も狂った。狂って、同じようなことをした。それがあの七三一部隊である。が、伯父は私が知る限り、どこまでも穏やかでやさしい人だった。囲碁のし方を教えてくれた。漁業組合の長もしていたので、よく鵜飼の舟にも乗せてくれた。いや、一度だけ、こんなことがあった。

ある夜、伯父と一緒に夕食をとっていたときのこと。伯父が新聞の切り抜きを見せてくれた。見ると、伯父がたった一人で中国軍と戦い、三〇名の満州兵を殺したという記事だった。当時としてもたいへんな武勲で、そのため伯父は国から勲章をもらった。記事はそのときのものだった。が、私が「おじさん、人を殺した話など自慢してはダメだ」と言うと、伯父は突然激怒して、「貴様ア! 何抜かすかア!」と叫んで、私を殴った。その夜私は、泣きながら家に帰った。

●敵は私たち自身の中に

 もしどこかの国と戦争をすることになっても、敵はその国ではない。その国の人たちでもない。敵は、戦争そのものである。あの伯父にしても、私にとっては父のような存在だった。家も近かった。いつだったか私は私の血の中に伯父の血が流れているのを知り、自分の胸をかきむしったことがある。時代が少し違えば、私がその教授になっていたかもしれない。いや、戦争が伯父のような人間を作った。伯父を変えた。繰り返すが伯父は、どこまでも穏やかでやさしい人だった。倒れたときも、中学校で剣道の指導をしていた。伯父だって、戦争の犠牲者なのだ。戦争という魔物に狂わされた被害者なのだ。つまり戦争には、そういう魔性がある。その魔性を知ること。その魔性を教えること。そしてその魔性と戦うこと。敵は私たちの中にいる。それを忘れて、平和教育は語れない。

(付記)
●戦争の責任論

 日本政府は戦後、一貫して自らの戦争責任を認めていない。責任論ということになると、その責任は、天皇まで行ってしまう。象徴天皇を憲法にいだく日本としては、これは誠に都合が悪い。そこで戦後、政府は、たとえば「一億総ざんげ」という言葉を使って、その責任を国民に押しつけた。戦争責任は時の政府にではなく、国民にあるとしたわけである。が、それでは「日本はますます国際社会から孤立し、近隣諸国との友好関係は維持できなくなってしまう」(小泉総理大臣)。そこで、二〇〇一年の八月、小泉総理大臣は、「先の大戦で、わが国は、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた」(第五六回全国戦没者追悼式)と述べ、「わが国」という言葉を使って、その戦争責任(加害主体)は「政府」にあることを、戦後はじめて認めた。が、しかし戦後、六〇年近くもたってからというのでは、あまりにも遅すぎるのではないだろうか。

(参考)
 この「平和教育を語るとき」の原稿と同時に書いたのが、次の「杉原千畝副領事のビザ発給事件」である。

●杉原千畝副領事のビザ発給事件 

 「一九四〇年、カウナス(当時のリトアニアの首都)領事館の杉原千畝副領事は、ナチスの迫害から逃れるために日本の通過を求めたユダヤ人六〇〇〇人に対して、ビザ(査証)を発給した。これに対して一九八五年、イスラエル政府から、ユダヤ建国に尽くした外国人に与えられる勲章、『諸国民の中の正義の人賞(ヤド・バシェム賞)』を授与された」(郵政省発行二〇世紀デザイン切手第九集より)。

●たたえること自体、偽善

 ナチス・ドイツは、ヨーロッパ全土で、一一〇〇万人のユダヤ人虐殺を計画。結果、アウシュビッツの「ユダヤ人絶滅工場」だけでも、ソ連軍による解放時までに、約四〇〇万人ものユダヤ人が虐殺されたとされる。杉原千畝副領事によるビザ発給事件は、そういう過程の中で起きたものだが、日本人はこの事件を、戦時中を飾る美談としてたたえる。郵政省発行の記念切手にもなったことからも、それがわかる。が、しかし、この事件をたたえること自体、日本にとっては偽善そのものと言ってよい。

●杉原副領事のしたことは、越権行為?

 当時日本とドイツは、日独防共協定(一九三六年)、日独伊防共協定(三七年)を結んだあと、日独伊三国同盟(四〇年)まで結んでいる。こうした流れからもわかるように、杉原副領事のした行為は、まさに越権行為。日本政府への背信行為であるのみならず、軍事同盟の協定違反の疑いすらある。杉原副領事のした行為を正当化するということは、当時の日本政府がしたことはまちがっていると言うに等しい。その「まちがっている」という部分を取りあげないで、今になって杉原副領事を善人としてたたえるのは、まさに偽善。いやこう書くからといって、私は杉原副領事のした行為がまちがっていたというのではない。問題は、その先と言ったらとよいのか、その中味である。当時の日本といえば、ドイツ以上にドイツ的だった。しかも今になっても、その体質はほとんど変わっていない。どこかで日本があの戦争を反省したとか、あるいは戦争責任を誰かに追及したというのであれば、話はわかる。そうした事実がまったくないまま、杉原副領事のした行為をたたえるというのは、「今の日本人と戦争をした日本人は、別の人種です」と言うのと同じくらい、おかしなことなのだ。

●日本はだいじょうぶか?

 そこでこんな仮定をしてみよう。仮に、だ。仮にこの日本に、一〇〇万単位の外国人不法入国者がやってくるようになったとしよう。そしてそれらの不法入国者が、もちまえの勤勉さで、日本の経済を動かすまでになったとしよう。さらに不法入国者が不法入国者を呼び、日本の人口の何割かを占めるようになったとしよう。そしてあなたの隣に住み、あなたよりリッチな生活をし始めたとしよう。もうそのころになると、日本の経済も、彼らを無視するわけにいかない。が、彼らは日本に同化せず、彼らの国の言葉を話し、彼らの宗教を信じ、さらに税金もしっかりと払わないとする。そのとき、だ。もしそうなったら、あなたならどうする? あなた自身のこととして考えてみてほしい。あなたはそれでも平静でいられるだろうか。ヒットラーが政権を取ったころのドイツは、まさにそういう状況だった。つまり私が言いたいことは、あのドイツですら、狂ったということ。この日本が狂わないという保証はどこにもない。現に二〇〇〇年の夏、東京都の石原都知事は、「第三国発言」をして、物議をかもした。そして具体的に自衛隊を使った、総合(治安)防災訓練までしている(二〇〇〇年九月)。石原都知事のような日本を代表する文化人ですら、そうなのだ。

●「日本の発展はこれ以上望めない」

 ついでながら石原都知事の発言を受けて、アメリカのCNNは、次のように報道している。「日本人に『ワレワレ』意識があるうちは、日本の発展はこれ以上望めない」と。そしてそれを受けてその直後、アメリカのクリントン大統領は、「アメリカはすべての国からの移民を認める」と宣言した。日本へのあてこすりともとれるが、日本が杉原副知事をたたえるのは、あくまでも結果論。チグハグな日本の姿勢を見ていると、どうもすっきりしない。石原都知事の発言は、「私たち日本人も、外国で同じように差別されても文句は言いませんよ」と言っているのに等しい。多くの経済学者は、二〇一五年には日本と中国の経済的立場は逆転するだろうと予測している。そうなればなったで、今度は日本人が中国へ出稼ぎに行かねばならない。そういうことも考えながら、この杉原千畝副領事によるビザ発給事件、さらには石原都知事の発言を考える必要があるのではないだろうか。

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【80】常識が偏見になるとき
 
●たまにはずる休みを……!

「たまには学校をズル休みさせて、動物園でも一緒に行ってきなさい」と私が言うと、たいていの人は目を白黒させて驚く。「何てことを言うのだ!」と。多分あなたもそうだろう。しかしそれこそ世界の非常識。あなたは明治の昔から、そう洗脳されているにすぎない。

アインシュタインは、かつてこう言った。「常識などというものは、その人が一八歳のときにもった偏見のかたまりである」と。子どもの教育を考えるときは、時にその常識を疑ってみる。たとえば……。

●日本の常識は世界の非常識

@学校は行かねばならぬという常識……アメリカにはホームスクールという制度がある。親が教材一式を自分で買い込み、親が自宅で子どもを教育するという制度である。希望すれば、州政府が家庭教師を派遣してくれる。日本では、不登校児のための制度と理解している人が多いが、それは誤解。アメリカだけでも九七年度には、ホームスクールの子どもが、一〇〇万人を超えた。毎年一五%前後の割合でふえ、二〇〇一年度末には二〇〇万人に達するだろうと言われている。それを指導しているのが、「Learn in Freedom」(自由に学ぶ)という組織。「真に自由な教育は家庭でこそできる」という理念がそこにある。地域のホームスクーラーが合同で研修会を開いたり、遠足をしたりしている。またこの運動は世界的な広がりをみせ、世界で約千もの大学が、こうした子どもの受け入れを表明している(LIFレポートより)。

Aおけいこ塾は悪であるという常識……ドイツでは、子どもたちは学校が終わると、クラブへ通う。早い子どもは午後一時に、遅い子どもでも三時ごろには、学校を出る。ドイツでは、週単位(※)で学習することになっていて、帰校時刻は、子ども自身が決めることができる。そのクラブだが、各種のスポーツクラブのほか、算数クラブや科学クラブもある。学習クラブは学校の中にあって、たいていは無料。学外のクラブも、月謝が一二〇〇円前後(二〇〇一年調べ)。こうした親の負担を軽減するために、ドイツでは、子ども一人当たり、二三〇マルク(日本円で約一四〇〇〇円)の「子どもマネー」が支払われている。この補助金は、子どもが就職するまで、最長二七歳まで支払われる。

 こうしたクラブ制度は、カナダでもオーストラリアにもあって、子どもたちは自分の趣向と特性に合わせてクラブに通う。日本にも水泳教室やサッカークラブなどがあるが、学校外教育に対する世間の評価はまだ低い。ついでにカナダでは、「教師は授業時間内の教育には責任をもつが、それ以外には責任をもたない」という制度が徹底している。そのため学校側は教師の住所はもちろん、電話番号すら親には教えない。私が「では、親が先生と連絡を取りたいときはどうするのですか」と聞いたら、その先生(バンクーバー市日本文化センターの教師Y・ムラカミ氏)はこう教えてくれた。「そういうときは、まず親が学校に電話をします。そしてしばらく待っていると、先生のほうから電話がかかってきます」と。

B進学率が高い学校ほどよい学校という常識……つい先日、東京の友人が、東京の私立中高一貫校の入学案内書を送ってくれた。全部で七〇校近くあった。が、私はそれを見て驚いた。どの案内書にも、例外なく、その後の大学進学先が明記してあったからだ。別紙として、はさんであるのもあった。「○○大学、○名合格……」と(※)。この話をオーストラリアの友人に話すと、その友人は「バカげている」と言って、はき捨てた。そこで私が、では、オーストラリアではどういう学校をよい学校かと聞くと、こう話してくれた。

 「メルボルンの南に、ジーロン・グラマースクールという学校がある。そこはチャールズ皇太子も学んだこともある古い学校だが、そこでは生徒一人ひとりにあわせて、学校がカリキュラムを組んでくれる。たとえば水泳が得意な子どもは、毎日水泳ができるように。木工が好きな子どもは、毎日木工ができるように、と。そういう学校をよい学校という」と。なおそのグラマースクールには入学試験はない。子どもが生まれると、親は出生届を出すと同時にその足で学校へ行き、入学願書を出すしくみになっている。つまり早いもの勝ち。

●そこはまさに『マトリックス』の世界

 日本がよいとか、悪いとか言っているのではない。日本人が常識と思っているようなことでも、世界ではそうでないということもある。それがわかってほしかった。そこで一度、あなた自身の常識を疑ってみてほしい。あなたは学校をどうとらえているか。学校とは何か。教育はどうあるべきか。さらには子育てとは何か、と。その常識のほとんどは、少なくとも世界の常識ではない。学校神話とはよく言ったもので、「私はカルトとは無縁」「私は常識人」と思っているあなたにしても、結局は、学校神話を信仰している。「学校とは行かねばならないところ」「学校は絶対」と。それはまさに映画『マトリックス』の世界と言ってもよい。仮想の世界に住みながら、そこが仮想の世界だと気づかない。気づかないまま、仮想の価値に振り回されている……。

●解放感は最高!

 ホームスクールは無理としても、あなたも一度子どもに、「明日は学校を休んで、お母さんと動物園へ行ってみない?」と話しかけてみたらどうだろう。実は私も何度となくそうした。平日に行くと、動物園もガラガラ。あのとき感じた解放感は、今でも忘れない。「私が子どもを教育しているのだ」という充実感すら覚える。冒頭の話で、目を白黒させた人ほど、一度試してみるとよい。あなたも、学校神話の呪縛から、自分を解き放つことができる。

※……一週間の間に所定の単位の学習をこなせばよいという制度。だから月曜日には、午後三時まで学校で勉強し、火曜日は午後一時に終わるというように、自分で帰宅時刻を決めることができる。

●「自由に学ぶ」

 「自由に学ぶ」という組織が出しているパンフレットには、J・S・ミルの「自由論(On Liberty)」を引用しながら、次のようにある(K・M・バンディ)。

 「国家教育というのは、人々を、彼らが望む型にはめて、同じ人間にするためにあると考えてよい。そしてその教育は、その時々を支配する、為政者にとって都合のよいものでしかない。それが独裁国家であれ、宗教国家であれ、貴族政治であれ、教育は人々の心の上に専制政治を行うための手段として用いられてきている」と。

 そしてその上で、「個人が自らの選択で、自分の子どもの教育を行うということは、自由と社会的多様性を守るためにも必要」であるとし、「(こうしたホームスクールの存在は)学校教育を破壊するものだ」と言う人には、次のように反論している。いわく、「民主主義国家においては、国が創建されるとき、政府によらない教育から教育が始まっているではないか」「反対に軍事的独裁国家では、国づくりは学校教育から始まるということを忘れてはならない」と。

 さらに「学校で制服にしたら、犯罪率がさがった。(だから学校教育は必要だ)」という意見には、次のように反論している。「青少年を取り巻く環境の変化により、青少年全体の犯罪率はむしろ増加している。学校内部で犯罪が少なくなったから、それでよいと考えるのは正しくない。学校内部で少なくなったのは、(制服によるものというよりは)、警察システムや裁判所システムの改革によるところが大きい。青少年の犯罪については、もっと別の角度から検討すべきではないのか」と(以上、要約)。

 日本でもホームスクール(日本ではフリースクールと呼ぶことが多い)の理解者がふえている。なお二〇〇〇年度に、小中学校での不登校児は、一三万四〇〇〇人を超えた。中学生では、三八人に一人が、不登校児ということになる。この数字は前年度より、四〇〇〇人多い。
 
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【81】進学塾が金儲けに走るとき

●学費を「ガクヒ」で落とす進学塾 

 進学塾の月謝は、平均して二万〜二万五〇〇〇円(月刊「私塾界」九九年)。しかしこの額では、決してすまない。すまないことは、入塾してみると、わかる。入会金、教材費、光熱費、模擬テスト代、特訓講座費、補講費などが、「万」単位で、次々とのしかかってくる。しかも支払いは、銀行振り込み。大半の進学塾は、そういう支払いをカモフラージュするために、「ガクヒ」という名目で引き落とす。親が通帳を見ても、学校の「学費」なのか、塾の「学費」なのかわからないしくみになっている。まだ、ある。どこの進学塾も、夏休みや冬休みの特訓を、定例コースにしている。そういう連絡は前もって、目立たない方法で生徒にしておき、お金は自動的に引き落とす。親が、「特訓授業を申し込んだつもりはない」と抗議しても、あとの祭り。「今からではキャンセルできません」と言われる。

●結局は金儲け

 こうした進学塾のやり方は、ほぼどこの塾も同じ。はっきり言えば、親や子どもの不安を逆手にとって、金儲けをする。たとえばたまたま今日、この原稿を書いている日に、この地域の進学塾のチラシが新聞折込で入っていた。この静岡県では、高校入学が人間選別の節目になっているが、その入学も、このところ約六〇%の合格者が学校の推薦で決まる。それについて、そのチラシにはこうある。そのまま書く。「中三、冬期講習。内申点だけで合格できるほど、入試は甘くない。実力伯仲の入試では、トップ高校はもちろん、各高校、それぞれの受験生の間で、ほんの一題、わずか一点をかけた熾烈な争いが繰り広げられている」と。「甘い」とか「甘くない」とか、そこらの進学塾に判断してもらっては困る。それこそ、いらぬお節介!

 ……とまあ、こう書くと、進学塾のあくどさばかりが目立つが、もともと進学競争の底流では、人間のどす黒い欲望が渦巻いている。「他人を蹴落としてでも……」、あるいは「他人に蹴落とされる前に……」と親は考えて、子どもを進学塾にやる。進学塾はそういう親の心理を、たくみに利用して、それを金儲けにつなげる。現在ある進学塾の現状は、親と進学塾の、醜い闘いの結果ともいえる。塾の経営者に言わせれば、「親は信用できない」ということになるし、親に言わせれば、「塾は必要悪」ということになる。もともと良好な人間関係が育つ土壌など、どこにも、ない。

●塾のもつ矛盾と錯覚

 一方、塾には塾の存在意義があると説く人たちもいる。塾こそ、自由教育の砦であると説く人たちである。事実、すばらしい教育を実践している塾もあるにはある。しかしそういう塾でも、「教育」と「受験指導」のジレンマの中で、もがき苦しんでいる。藤沢市在住の塾教師のI氏は、「塾教育は、矛盾と錯覚の上に成り立っている」と結論づけている。矛盾というのは、今言った、ジレンマをさす。錯覚というのは、「大切でないものを、あたかも大切なものであると思いこんで、教えることだ」そうだ。具体的には、受験教育そのものをさす。

●「この時期だけだから」

 この進学塾業界も、かつてない不況に見舞われている。少子化に不況、それにエリートの凋落に見られる価値観の変化。それに中高一貫教育に見られる、制度の改変。これらが今、急ピッチで進んでいる。そういう中、したたかな進学塾は、対象学年をより低年齢化させ、週二日の学習を、週三日や四日にふやしたりしている。金集めを、さらに巧妙化させている。親たちは、そういう事実を知りながら、「この時期だけだから」とあきらめる。進学塾は、さらにそれを逆手にとる。もうそこには、「教育」という概念は、どこにもない。商売、だ。I氏はこうつなげる。「この世界では、経験など、一片の価値もありません。親に教育論を説いてもムダです。そもそもそういうものを塾に期待していない。生徒集めのチラシにしても、四色を使ったカラフルで豪華なものでないと、生徒は集まりません。親は親で、子どもをお客様感覚で迎えてあげないと、文句を言う。そういう目でしか、教育をながめていないのですから」と。

●塾の偽善、合格発表

 毎年その時期になると、新聞の一面を借り切って、高校の合格者の名前が発表される。「S高校、二三〇名合格。A高校、一五三名合格。B高校、八九名合格!」と。その下には、小さい字でこう書いてある。「これらの合格者数の中には、夏期講座、冬期講座および模擬試験だけの参加者の人数は含まれていません」と。進学塾としては、精一杯の誠意を演出したつもりなのだろうが、こういうのを偽善という。少し前までは、講座や模擬試験に参加した生徒まで合格者に加えていた。それをマスコミがたたいたから、こういうことを書くようになった。事実、こうした合格者の陰で、いかに多くの、それ以上の数の子どもたちが不合格で泣いていることか! もしこうした進学塾の経営者に、良心のひとかけらもあるなら、こんな宣伝は、不合格した子どもやその親に申し訳なくてできないはずだ。進学塾も少しは自分に恥じたらよい。


叱り方 しつけ 自閉症 受験ノイローゼ 小食 心的外傷後ストレス障害 情緒不安 自立心 集中力 就眠のしつけ 神経質な子ども 
神経症 スキンシップ 巣立ち はやし浩司 タイプ別育児論 すなおな子ども 性教育 先生とのトラブル 善悪 祖父母との同居 大学
教育 体罰 多動児男児の女性化 断絶 チック 長男・二男 直観像素質 溺愛 動機づけ 子供の同性愛 トラブル 仲間はずれ 生
意気な子ども 二番目の子 はやし浩司 タイプ別育児論 伸び悩む子ども 伸びる子ども 発語障害 反抗 反抗期(第一反抗期) 非
行 敏捷(びんしょう)性 ファーバー方式 父性と母性 不登校 ぶりっ子(優等生?) 分離不安 平和教育 勉強が苦手 勉強部屋 ホ
【82】日本の教育レベルがさがるとき

●日本の教育レベルは一六五カ国中、一五〇位? 

 東大のある教授(理学部)が、こんなことを話してくれた。「化学の分野には、一〇〇〇近い分析方法が確立されている。が、基本的に日本人が考えたものは、一つもない」と。あるいはこんなショッキングな報告もある。世界的な標準にもなっている、TOEFL(国際英語検定試験)で、日本人の成績は、一六五か国中、一五〇位(九九年)。「アジアで日本より成績が悪い国は、モンゴルぐらい。北朝鮮とブービーを争うレベル」(週刊新潮)だそうだ。オーストラリアあたりでも、どの大学にも、ノーベル賞受賞者がゴロゴロしている。しかし日本には数えるほどしかいない。あの天下の東大には、一人もいない。ちなみにアメリカだけでも、二五〇人もの受賞者がいる。ヨーロッパ全体では、もっと多い。「日本の教育は世界最高水準にある」と思うのは勝手だが、その実態は、たいへんお粗末。今では小学校の入学式当日からの学級崩壊は当たり前。はじめて小学校の参観日(小一)に行った母親は、こう言った。「音楽の授業ということでしたが、まるでプロレスの授業でした」と。

●低下する教育力

 こうした傾向は、中学にも、そして高校にも見られる。やはり数年前だが、東京の都立高校の教師との対話集会に出席したことがある。その席で、一人の教師が、こんなことを言った。いわく、「うちの高校では、授業中、運動場でバイクに乗っているのがいる」と。すると別の教師が、「運動場ならまだいいよ。うちなんか、廊下でバイクに乗っているのがいる」と。そこで私が「では、ほかの生徒たちは何をしているのですか」と聞くと、「みんな、自動車の教習本を読んでいる」(※1)と。

さらに大学もひどい。大学が遊園地になったという話は、もう一五年以上も前のこと。今では分数の足し算、引き算ができない大学生など、珍しくも何ともない。「小学生レベルの問題で、正解率は五九%」(国立文系大学院生について調査、京都大学西村和雄氏)(※2)だそうだ。日本では大学生のアルバイトは、ごく日常的な光景だが、それを見たアメリカの大学生はこう言った。「ぼくたちには考えられない」と。大学制度そのものも、日本のばあい、疲弊している! つまり何だかんだといっても、「受験」が、かろうじて日本の教育を支えている。もしこの日本から受験制度が消えたら、進学塾はもちろんのこと、学校教育そのものも崩壊する。確かに一部の学生は猛烈に勉強する。しかしそれはあくまでも「一部」。内閣府の調査でも、「教育は悪い方向に向かっている」と答えた人は、二六%もいる(二〇〇〇年)。九八年の調査よりも八%もふえた。むべなるかな、である。

●規制緩和は教育から

 日本の銀行は、護送船団方式でつぶれた。政府の手厚い保護を受け、その中でヌクヌクと生きてきたため、国際競争力をなくしてしまった。しかし日本の教育は、銀行の比ではない。護送船団ならぬ、丸抱え方式。教育というのは、二〇年先、三〇年先を見越して、「形」を作らねばならない。が、文部科学省の教育改革は、すべて後手後手。南オーストラリア州にしても、すでに一〇年以上も前から、小学三年生からコンピュータの授業をしている。メルボルン市にある、ほとんどのグラマースクールでは、中学一年で、中国語、フランス語、ドイツ語、インドネシア語、日本語の中から、一科目選択できるようになっている。もちろん数学、英語、科学、地理、歴史などの科目もあるが、ほかに宗教、体育、芸術、コンピュータの科目もある。芸術は、ドラマ、音楽、写真、美術の各科目に分かれ、さらに環境保護の科目もある。もう一つ「キャンプ」という科目があったので、電話で問い合わせると、それも必須科目の一つとのこと(メルボルン・ウェズリー・グラマースクール)。

●規制緩和が必要なのは教育界

 いろいろ言われているが、地方分権、規制緩和が一番必要なのは、実は教育の世界。もっとはっきり言えば、文部科学省による中央集権体制を解体する。だいたいにおいて、頭ガチガチの文部官僚たちが、日本の教育を支配するほうがおかしい。日本では明治以来、「教育というのはそういうものだ」と思っている人が多い。が、それこそまさに世界の非常識。あの富国強兵時代の亡霊が、いまだに日本の教育界をのさばっている!

 今まではよかった。「社会に役立つ人間」「立派な社会人」という出世主義のもと、優良な会社人間を作ることができた。「国のために命を落とせ」という教育が、姿を変えて、「会社のために命を落とせ」という教育に置きかわった。企業戦士は、そういう教育の中から生まれた。が、これからはそういう時代ではない。日本が国際社会で、「ふつうの国」「ふつうの国民」と認められるためには、今までのような教育観は、もう通用しない。いや、それとて、もう手遅れなのかもしれない。よい例が、日本の総理大臣だ。

●ヘラヘラする日本の首相

 G8だか何だか知らないが、日本の総理大臣は、出られたことだけを喜んで、はしゃいでいる(二〇〇〇年春)。本当はそうではないのかもしれないが、私にはそう見える。一国の代表なのだから、通訳なしに日本のあるべき姿、世界のあるべき姿を、もっと堂々と主張すべきではないのか。が、そういう迫力はどこにもない。列国の元首の中に埋もれて、ヘラヘラしているだけ。そういう総理大臣しか生み出せない国民的体質、つまりその土壌となっているのが、ほかならぬ、日本の教育なのである。言いかえると、日本の教育の実力は、世界でも一五〇位レベル? 政治も一五〇位レベル? どうして北朝鮮の、あの悪政を、笑うことができるだろうか。

※1……東京都教育委員会は、「都立高校マネジメントシステム検討委員会」を設置した(二〇〇一年六月)。これはともすれば経営感覚を無視しがちな学校運営者(校長)に、経営感覚をもってもらおうという趣旨で設置されたものだが、具体的には、各学校に進学率などの数値目標を設定させ、目標達成に向けた校内体制を整備させようというもの。つまり進学率や高校への応募倍率、さらには定期考査の平均点などで、学校が評価されるという。またこれに呼応するかのように、東京都では「代々木ゼミナール」などの予備校での教員研修を始めている(二〇〇一年一〇月より)。

※2……京都大学経済研究所の西村和雄教授(経済計画学)の調査によれば、次のようであったという。

調査は一九九九年と二〇〇〇年の四月に実施。トップレベルの国立五大学で経済学などを研究する大学院生約一三〇人に、中学、高校レベルの問題を解かせた。結果、二五点満点で平均は、一六・八五点。同じ問題を、学部の学生にも解かせたが、ある国立大学の文学部一年生で、二二・九四点。多くの大学の学部生が、大学院生より好成績をとったという。
さらに西村教授は四則演算だけを使う小学生レベルの問題でも調査したが、正解率は約五九%と、東京の私立短大生なみでしかなかったという。

●学力は世界第五位

 国際教育到達度評価学会(IEA、本部オランダ・一九九九年)の調査によると、日本の中学生の学力は、数学については、シンガポール、韓国、台湾、香港に次いで、第五位。以下、オーストラリア、マレーシア、アメリカ、イギリスと続く。理科については、台湾、シンガポールに次いで第三位。以下韓国、オーストラリア、イギリス、香港、アメリカ、マレーシアと続く。
 ここで注意しなければならないのは、日本では、数学や理科にあてる時間数そのものが多いということ。たとえば中学校では週四〜五時間を数学の時間をあてている(静岡県公立中学校)。アメリカのばあい、単位履修制を導入しているので、日本と単純には比較できないが、週三〜四時間。さらにアメリカでもオーストラリアでも、ほとんどの学校では、小学一、二年の間は、テキストすら使っていない。

●今の改革でだいじょうぶ?

また偏差値(日本……世界の平均点を五〇〇点としたとき、数学五七九点、理科五五〇点)だけをみて、学力を判断することはできない。この結果をみて、文部科学省の徳久治彦中学校課長は、「順位はさがったが、(日本の教育は)引き続き国際的にみてトップクラスを維持していると言える」(中日新聞)とコメントを寄せている。東京大学大学院教授の苅谷剛彦氏が、「今の改革でだいじょうぶというメッセージを与えるのは問題が残る」と述べていることとは、対照的である。ちなみに、「数学が好き」と答えた割合は、日本の中学が最低(四八%)。「理科が好き」と答えた割合は、韓国についでビリ二であった(韓国五二%、日本五五%)。学校の外で勉強する学外学習も、韓国に次いでビリ二。一方、その分、前回(九五年)と比べて、テレビやビデオを見る時間が、二・六時間から三・一時間にふえている。
同じような調査だが、ベネッセコーポレーションの「第三回学習基本調査」によれば、次のようになっている(二〇〇一年五月と六月に小、中、高校生約八七〇〇人について調査)。

学習時間が三〇分以下……小学生 四〇・三%
            中学生 三〇・七%
            高校生 三七・一% 

家ではほとんど勉強しないと答えた中、高校生……二三・一%
 日本の中学生たちがますます勉強嫌いになり、かつ家での学習時間が短くなっていることが、これらの調査でわかる。
ームスクール はやし浩司 タイプ別育児論 本嫌いの子ども マザーコンプレックス夢想する子ども 燃え尽き 問題児 子供のやる気 
やる気のない子ども 遊離(子どもの仮面) 指しゃぶり 欲求不満 よく泣く子ども 横を見る子ども わがままな子ども ワークブック 忘
れ物が多い子ども 乱舞する子ども 赤ちゃんがえり 赤ちゃん帰り 赤ちゃん返り 家庭内暴力 子供の虚言癖 はやし浩司 タイプ別
育児論はじめての登園 ADHD・アメリカの資料より 学校拒否症(不登校)・アメリカ医学会の報告(以上 はやし浩司のタイプ別育児論
へ)東洋医学 漢方 目で見る漢方診断 東洋医学基礎編 はやし浩司 東洋医学 黄帝内経 素問 霊枢 幼児教育 はやし浩 林浩
【83】日本の社会が不公平になるとき

●日本は民主主義国家?  

 Yさん(四〇歳女性)は、最近、二〇年来の友人と絶交した。その友人がYさんにこう言ったからだ。「こういう(不況の)時代になってみると、夫が公務員で本当によかったです」と。たったそれだけのことだが、なぜYさんが絶交したか。あなたにはその理由がわかるだろうか。

●知事も副知事も皆、元中央官僚

 平安時代の昔から、日本は官僚主義国家。日本が民主主義国家だと思っているのは、恐らく日本人だけ。三〇年前だが、オーストラリアの大学で使うテキストには、「日本は官僚主義国家」となっていた。「君主(天皇)官僚主義国家」となっているのもあった。当時の私はこの記述に猛烈に反発したが、しかしそれから三〇年。日本はやはり官僚主義国家だった。

 現在の今でも、全国四七都道府県のうち、二七〜九の府県の知事は、元中央官僚。七〜九の県では副知事も元中央官僚(二〇〇〇年)。さらに国会議員や大都市の市長の多くも、元中央官僚。いや、官僚が政治家になってはいけないというのではない。問題は、こうした官僚による支配体制が、日本の社会をがんじがらめにし、それが一方で日本の社会を硬直化させているということ。それが悪い。

●がんじがらめの日本の社会

 たとえばよく政府は、「日本の公務員の数は、欧米と比べても、それほど多くない」と言う。が、これはウソ。国家公務員と地方公務員の数だけをみれば確かにそうだが、日本にはこのほか、公団、公社、政府系金融機関、電気ガスなどの独占的営利事業団体がある。これらの職員の数だけでも、「日本人のうち七〜八人に一人が、官族」(徳岡孝夫氏)だそうだ。が、これですべてではない。この日本にはほかに、公務員のいわゆる天下り先機関として機能する、協会、組合、施設、社団、財団、センター、研究所、下請け機関がある。この組織は全国の津々浦々、市町村の「村」レベルまで完成している。あの旧文部省だけでも、こうした外郭団体が、一八〇〇団体近くもある。こうした団体が日本の社会そのものを、がんじがらめにしている。そのためこの日本では、何をするにも許可や認可、それに資格がいる。息苦しいほどまでの管理国家と言ってもよい。そこで構造改革……ということになるが、これがまた容易ではない。

●日本は平安の昔から……

 平安の昔から、官僚が日本を支配するという構図そのものが、すでにできあがっている。「日本は新しいタイプの社会主義国家」と言う学者もいる。こうした団体で働く職員は、この不況もどこ吹く風。まさに権利の王国。完全な終身雇用制度に守られ、満額の退職金に月額三〇〜三五万円近い年金(旧国鉄職員)を手にしている。「よい仕事をするためには、身分の保証が必要条件」(N労働組合、二〇〇一年度大会決議)と豪語している労働組合すらある。こういう日本の現状の中で、行政改革だの構造改革だのを口にするほうが、おかしい。実際、こうした団体の職員の数は、今の今も、ふえ続けている。

●不公平社会の是正こそ先決

この日本、公的な保護を受ける人は徹底的に受ける。そうでない人はまったくと言ってよいほど、受けない。もちろん一人ひとりの、つまりそれぞれの公務員に責任があるわけではない。ないが、こうした社会から受ける不公平感は相当なもので、それがYさんを激怒させた。

Yさんはこう言った。「私たちは明日の生活をどうしようと、あちこちを走り回っているのです。そういうときそういうことを言われると、本当に頭にきます」と。が、それではすまない。この不公平が結局は、学歴社会の温床になっている。いくら親に受験競争の弊害を説いたところで、意味がない。親は親で、「そうは言っても現実は現実ですから……」と言う。現に今、大学生の人気職種ナンバーワンは、公務員(財団法人日本青少年研究所・二〇〇一年調査)。ちょっとした(失礼!)公務員採用試験でも倍率が、一〇倍から数一〇倍になる。なぜそうなのかというところにメスを入れない限り、日本の教育に明日はない。


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【84】日本の教育が遅れるとき
 
●英語教育はムダ?

 D氏(六五歳・私立小学校理事長)はこう言った。「まだ日本語もよくわからない子どもに、英語を教える必要はない」と。つまり小学校での英語教育は、ムダ、と。しかしこの論法がまかり通るなら、こうも言える。「日本もまだよく旅行していないのに、外国旅行をするのはムダ」「地球のこともよくわかっていないのに、火星に探査機を送るのはムダ」と。私がそう言うと、D氏は、「国語の時間をさいてまで英語を教える必要はない。しっかりとした日本語が身についてから、英語の勉強をしても遅くはない」と。

●多様な未来に順応できるようにするのが教育

 これについて議論をする前に、こんな事実がある。アメリカの中南部の各州の小学校では、公立小学校ですら、カリキュラムを教師と親が相談しながら決めている(※1)。たとえばルイサ・E・ペリット公立小学校(アーカンソー州・アーカデルフィア)では、四歳児から子どもを預かり、コンピュータの授業をしている。近くのヘンダーソン州立大学で講師をしている知人にそのことについて聞くと、こう教えてくれた。「アメリカでは、多様な社会にフレキシブル(柔軟)に対応できる子どもを育てるのが、教育の目標だ」と。事情はイギリスも同じで、在日イギリス大使館のS・ジャック氏も次のように述べている。「(教育の目的は)多様な未来に対応できる子どもたちを育てること(※2)」(長野県経営者協会会合の席)と。オーストラリアのほか、ドイツやカナダでも、学外クラブが発達していて、子どもたちは学校が終わると、中国語クラブや日本語クラブへ通っている。こういう時代に、「英語を教える必要はない」とは!

●文法学者が作った体系

 ただ英語教育と言っても、問題がないわけではない。日本の英語教育は、将来英語の文法学者になるには、すぐれた体系をもっている。数学も国語もそうだ。将来その道の学者になるには、すぐれた体系をもっている。理由は簡単。もともとその道の学者が作った体系だからだ。だからおもしろくない。だから役に立たない。こういう教育を「教育」と思い込まされている日本人はかわいそうだ。子どもたちはもっとかわいそうだ。たとえば英語という科目にしても、大切なことは、文字や言葉を使って、いかにして自分の意思を相手に正確に伝えるか、だ。それを動詞だの、三人称単数だの、そんなことばかりにこだわっているから、子どもたちはますます英語嫌いになる。ちなみに中学一年の入学時には、ほとんどの子どもが「英語、好き」と答える。が、一年の終わりには、ほとんどの子どもが、「英語、嫌い」と答える。

●数学だって、無罪ではない 

 数学だって、無罪ではない。あの一次方程式や二次方程式にしても、それほど大切なものなのか。さらに進んで、三角形の合同、さらには二次関数や円の性質が、それほど大切なものなのか。仮に大切なものだとしても、そういうものが、実生活でどれほど役に立つというのか。こうした教育を正当化する人は、「基礎学力」という言葉を使って、弁護する。「社会生活を営む上で必要な基礎学力だ」と。もしそうならそうで、一度子どもたちに、「それがどう必要なのか」、それを説明してほしい。「なぜ中学一年で一次方程式を学び、三年で二次方程式を学ぶのか。また学ばねばならないのか」と、それを説明してほしい。その説明がないまま、問答無用式に上から押しつけても、子どもたちは納得しないだろう。現に今、中学生の五六・五%が、この数学も含めて、「どうしてこんなことを勉強しなければいけないのかと思う」と、疑問に感じているというではないか(ベネッセコーポレーション・「第三回学習基本調査」二〇〇一年)。

●教育を自由化せよ

 さて冒頭の話。英語教育がムダとか、ムダでないという議論そのものが、意味がない。こういう議論そのものが、学校万能主義、学校絶対主義の上にのっている。早くから英語を教えたい親がいる。早くから教えたくない親もいる。早くから英語を学びたい子どもがいる。早くから学びたくない子どももいる。早くから英語を教えるべきだという人がいる。早くから教える必要はないという人もいる。要は、それぞれの自由にすればよい。そのためにはオーストラリアやドイツ、カナダのようにクラブ制にすればよい。またそれができる環境をつくればよい。「はじめに学校ありき」ではなく、「はじめに子どもありき」という発想で考える。それがこれからの教育のあるべき姿ではないのか。それでほとんどの問題は解決する。

※1……州政府は学習内容を六つの領域に分け、一応のガイダンスを各学校に提示しているが、「それはたいへんゆるやかなもの」(同小学校、オクーイン校長)とのこと。各学校はそのガイダンスの範囲内で、自由にカリキュラムを編成することができる。

※2……ブレア首相は、教育改革を最優先事項として、選挙に当選した。それについて在日イギリス大使館のS・ジャック公使は、次のように述べている。「イギリスでは、一九九〇年代半ば、教育水準がほかの国の水準に達しておらず、その結果、国家の誇りが失われた認識があった。このことが教育改革への挑戦の原動力となった」「さらに、現代社会はIT(情報技術)革命、産業再編成、地球的規模の相互関連性の促進、社会的価値の変化に直面しているが、これも教育改革への挑戦的動機の一つとなった。つまり子どもたちが急激に変化する世界で生活し、仕事に取り組むうえで求められる要求に対応できる教育制度が必要と考えたからである」(長野県経営者協会会合の席で)と。そして「当初は教師や教職員組合の抵抗にあったが、国民からの支持を得て、少しずつ理解を得ることができた」とも。イギリスでの教育改革は、サッチャー首相の時代から、もう丸四年になろうとしている(二〇〇一年一一月)。





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