エッセー7
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はやし浩司
【85】「抑圧は悪魔を生む」・ゆがむ子どもの心

 イギリスの諺に、『抑圧は悪魔を生む』というのがある。心の抑圧状態が続くと、ものの考え方が悪魔的になることを言ったものだが、この諺ほど、子どもの心にあてはまる諺はない。きびしい勉強の強要など、子どもの能力をこえた過負担が続くと、子どものものの考え方は、まさに悪魔的になる。こんな子ども(小四男児)がいた。

 その子どもは静かで、穏やかな子どもだった。人の目をたいへん気にする子どもで、いつも他人の顔色をうかがっているようなところは、あるにはあった。しかしそれを除けば、ごくふつうの子どもだった。が、ある日私はその子どものノートを見て、びっくりした。何とそこには、血が飛び散ってもがき苦しむ人間の姿が、いっぱい描かれていた! 「命」とか、「殺」とかいう文字もあった。しかも描かれた顔はどれも、口が大きく裂け、そこからは血がタラタラと流れていた。ほかに首のない死体や爆弾など。原因は父親だった。神経質な人で、毎日、二時間以上の学習を、その子どもに義務づけていた。そしてその日のノルマになっているワークブックがしていないと、夜中でもその子どもをベッドの中から引きずり出して、それをさせていた。

 神戸で起きた「淳君殺害事件」は、まだ記憶に新しいが、しかしそれを思わせるような残虐事件は、現場ではいくらでもある。その直後のことだが、浜松市内のある小学校で、こんな事件があった。一人の子ども(小二男児)が、飼っていたウサギを、すべり台の上から落として殺してしまったというのだ。この事件は時期が時期だけに、先生たちの間ではもちろんのこと、親たちの間でも大きな問題になった。ほかに先生の湯飲み茶碗に、スプレーの殺虫剤を入れた子ども(中学生)もいた。牛乳ビンに虫を入れ、それを投げつけて遊んでいた子ども(中学生)もいた。ネコやウサギをおもしろ半分に殺す子どもとなると、いくらでもいる。ほかに、つかまえた虫の頭をもぎとって遊んでいた子ども(幼児)や、飼っていたハトに花火をつけて、殺してしまった子ども(小三男児)もいた。

 親のきびしい過負担や過干渉が日常的に続くと、子どもは自分で考えるという力をなくし、いわゆる常識はずれの子どもになりやすい。異常な自尊心や嫉妬心をもつこともある。そういう症状の子どもが皆、過負担や過干渉でそうなったとは言えない。しかし過負担や過干渉が原因でないとは、もっと言えない。子どもは自分の中にたまった欲求不満を何らかの形で発散させようとする。いじめや家庭内暴力の原因も、結局は、これによって説明できる。一般論として、はげしい受験勉強を通り抜けた子どもほど心が冷たくなることは、よく知られている。合理的で打算的になる。ウソだと思うなら、あなたの周囲を見回してみればよい。あなたの周囲には、心が温かい人もいれば、そうでない人もいる。しかし学歴とは無縁の世界に生きている人ほど、心が温かいということを、あなたは知っている。子どもに「勉強しろ」と怒鳴りつけるのはしかたないとしても、それから生ずる抑圧感が一方で、子どもの心をゆがめる。それを忘れてはならない。
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【86】「こうするとパパが喜ぶよね」・指示は具体的に


 具体性のない指示には、意味がない。たとえば「友だちと仲よくするのですよ」「先生の話をよく聞くのですよ」と言うのは、それを言う側の、気休め程度の意味しかない。「交通事故に気をつけるのですよ」と言うのも、そうだ。そういうときは、こう言う。友だちと仲よくしてほしかったら、「この○○を、A君にもっていってあげてね。きっとA君は喜ぶわ」と。先生の話をよく聞いてほしかったら、「今日、学校から帰ってきたら、先生がどんな話をしたか、あとで話してね」と言うなど。交通事故については、一度、事故の様子を演技してみせるとよい。(自動車が走ってくる)→(子どもが飛び出す)→(自動車が子どもをはねる)→(子どもがもがき苦しむ)と。迫真の演技であればあるほど、よい。気の弱い子どもだと泣き出してしまうかもしれないが、子どもの命を守るためだと思い、決して手を抜かないこと。茶化さないこと。こんな子どもがいた。

 その子どもは、母親が何度注意しても、近くの小川で遊んでいた。そこである日母親が、トイレの排水がどこをどう通って、その小川にどう流れていくかを、歩きながら順に追って見せた。以後、その子どもは、その小川で遊ばなくなった。要するに子どもに与える指示には、具体性をもたせろということ。この方法は、次のようにも応用できる。

 たとえば自尊心。「自分を大切にしなさい」と言っても、やはり意味がない。そういうときは、「名前を大切にしようね」と教える。さらに具体的には、新聞でも雑誌でも、子どもの名前の出ているものは、最大限尊重する。切りぬいて、高いところに張りつけたり、アルバムにしまったりする。皆の前で、ほめるのもよい。そしてそのつど、「あなたの名前はいい名前だ」「すばらしい名前だ」と言う。子どもは自分の名前を大切にすることによって、自分自身を大切にすることを学ぶ。それが自尊心につながる。

 たとえばやさしさ。「人に親切にしようね」と言っても、やはり意味がない。そういうときは、そのつど、「こうするとパパが喜ぶよね」「これを分けてあげると、○○(妹)が喜ぶわね」と、相手を喜ばすことを教える。また結局はそれが自分にとっても、楽しいことであることを教える。やさしい人というのは、それが自然な形でできる人のことをいう。

 たとえば命の尊さ。「命を大切にしようね」と言っても、やはり意味がない。子どもに命の尊さを教えようとするなら、どんな生きものであれ、その「死」をていねいに弔うこと。子ども自身が、さみしさや悲しみを味わうようにしむける。たとえばあなたのペットが死んだとする。そのときあなたがその死骸を、紙袋か何かに包んで、ポイと捨てるようなことをすると、あなたの子どもは「命」というのは、そういうものだと思うようになる。そして命、さらには生きていることそのものを、粗末にするようになる。どんな宗教でも、死をていねいに弔う。それは死を弔いながら、その反射的効果として、生きていることを再確認するためではないか。そういうことも考えながら、死はどこまでも厳粛に。なお死への恐怖心(地獄論やバチ論など)をもたせて、命の尊さを教える人もいるが、これは教育の世界では邪道。幼児や年少の子どもには、決してしてはならない。
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ント はやし浩司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市 金沢大学法文学部卒 はやし浩司 教育評論家 幼児教育評論家 林浩
司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 はやしひろし 林ひろし 静岡県 浜松市 幼
児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 はやし浩司・林浩二(司) 林浩司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐
阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 Hiroshi Hayashi / 1970 IH student/International House / Melbourne Univ.
【87】「あんたに責任をとってもらう!」・バラバラになる親子

 Aさんは会社のリストラで職をなくした。企業診断士の資格をもっていたので、市内のマンションを借りてコンサルタント事務所を開いた。が、折からの不況で、すぐ仕事は行きづまってしまった。しかしそれが悲劇の始まりだった。

 まず大学一年生になったばかりの長女が、Aさんを責めた。「大学だけは出してもらう。あんたに責任をとってもらう」と。次に二女もそれに加わり、「お父さんが勝手なことばかりしているから、こうなったのだ」と。本来ならここで母親が間に入って、父と娘たちの調整をしなければならないのだが、その母親まで、「生活ができない」と言って、家を飛び出してしまった。家族といっても、一度歯車が狂うと、どこまでも狂う。狂ってバラバラになってしまう。Aさんはこう言った。「妻の家出のことで助けを求めたとき、長女に『自業自得でしょ』と言われました。そのときは背筋が凍る思いがしました」と。

 Aさんは何とか親戚中からお金をかき集めて、長女の学費を工面した。が、そういう苦労などどこ吹く風。長女は妻が身を寄せている三重県の実家へは帰るものの、Aさんのところには寄りつかなくなってしまった。仕送りが遅れたりすると、長女から矢の催促が届くという。
 こう書くとAさんをだらしない男のように思う人もいるかもしれないが、ごくふつうの、しかも典型的なまじめ型人間。日本人の何割かが、彼のような人物といってもよい。人一倍家族思いで、また家族のためならどんな苦労もいとわない。Aさんはこう言う。「朝早く仕事にでかけ、いつも帰るのは真夜中。家族はそれで満足してくれていると思っていました。しかし妻も娘たちも、自分とはまったく違ったとらえ方をしていたのですね」と。

 そのAさんは今は、二女の進学問題で悩んでいる。「お金がないから……」と言いかけると、次女は「今ごろそういうことを言われても困る」と。「そういう話は前もって言ってもらわなければ困る」とも。

 イギリスの格言に、『子どもに釣り竿を買ってあげるより、一緒に釣りに行け』というのがある。親というのは、子どもに何かものを買ってあげることで、親としての義務を果たしたかのように思うかもしれない。が、それでは子どもの心をつかむことはできない。子どもの心をつかみたかったら、「釣りに行け」と。何でもないことのようだが、親子の意識のズレはこうして始まる。「してあげた」と思う親。それを「当たり前」と思う子ども。そしてそのズレが無数に積み重なって、Aさんのようになる。いつか気がついてみたら、家族の心がバラバラになっていた、と。ついでに一言。

 私たち戦後の団塊世代は、あのひもじさを知っている。だから子どもたちには、そのひもじい思いをさせたくないとがんばってきた。結果、今の子どもたちは、「ひもじい」という言葉の意味そのものすら知らない。しかしそれが今、あちこちの家庭で裏目に出ようとしている。Aさんの家庭もそんな家庭だが、皮肉と言えば、これほど皮肉なことはない。
writer/essayist/law student/Japan/born in 1947/武義高校 林こうじ はやしこうじ 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ
 金沢大学法文学部卒 教育評論家 ハローワールド(雑誌)・よくできました(教材) スモッカの知恵の木 ジャックと英語の木 (CAI) 
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【88】「生徒の持ちものを検査をせよ」・逃げ場を大切に

 どんな動物にも最後の逃げ場というものがある。動物はこの逃げ場に逃げ込むことによって、身の安全を確保し、そして心をいやす。人間の子どもも、同じ。親がこの逃げ場を平気で侵すようになると、子どもの情緒は不安定になる。最悪のばあいには、家出ということにもなりかねない。そんなわけで子どもにとって逃げ場は、神聖不可侵な場所と心得て、子どもが逃げ場へ逃げたら、追いかけてそこを荒らすようなことはしてはならない。説教をしたり、叱ったりしてもいけない。子どもにとって逃げ場は、たいていは自分の部屋だが、そこで安全を確保できないとわかると、子どもは別の場所に、逃げ場を求めるようになる。A君(小二)は、親に叱られると、トイレに逃げ込んでいた。B君(小四)は、近くの公園に隠れていた。C君(年長児)は、犬小屋の中に入って、時間を過ごしていた。電話ボックスの中や、屋根の上に逃げた子どももいた。

 さらに親がこの逃げ場を荒らすようになると、先ほども書いたように、「家出」ということになる。このタイプの子どもは、もてるものをすべてもって、家から一方向に、どんどん遠ざかっていくという特徴がある。カバン、人形、おもちゃなど。D君(小一)は、おさげの中に、野菜まで入れて、家出した。これに対して、目的のある家出は、必要なものだけをもって家出するので、区別できる。が、もし目的のわからない家出を繰り返すというようであれば、家庭環境のあり方を猛省しなければならない。過干渉、過関心、威圧的な子育て、無理、強制などがないかを反省する。激しい家庭騒動が原因になることもある。

 が、中には、子どもの部屋は言うに及ばず、机の中、さらにはバッグの中まで、無断で調べる人がいる。しかしこういう行為は、子どものプライバシーを踏みにじることになるから注意する。できれば、子どもの部屋へ入るときでも、子どもの許可を求めてからにする。たとえ相手が幼児でも、そうする。そういう姿勢が、子どもの中に、「私は私。あなたはあなた」というものの考え方を育てる。

 話は変わるが、九八年の春、ナイフによる殺傷事件が続いたとき、「生徒(中学生)の持ちものを検査せよ」という意見があった。しかしいやしくも教育者を名乗る教師が、子どものカバンの中など、のぞけるものではない。私など結婚して以来、女房のバッグの中すらのぞいたことがない。たとえ許可があっても、サイフを取り出すこともできない。私はそういうことをするのが、ゾッとするほど、いやだ。

 もしこのことがわからなければ、反対の立場で考えてみればよい。あるいはあなたが子どものころを思い出してみればよい。あなたにも最後の逃げ場というものがあったはずだ。またプライバシーを侵されて、不愉快な思いをしたこともあったはずだ。それはもう、理屈を超えた、人間的な不快感と言ってもよい。自分自身の魂をキズつけられるかのような不快感だ。それがわかったら、あなたは子どもに対して、それをしてはいけない。たとえ親子でも、それをしてはいけない。子どもの尊厳を守るために。
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【89】「A君は悪い子だから、つきあってはダメ」・友を責めるな、行為を責めよ


 あなたの子どもが、あなたから見て好ましくない友人とつきあい始めたら、あなたはどうするだろうか。しかもその友人から、どうもよくない遊びを覚え始めたとしたら……。こういうときの鉄則はただ一つ。『友を責めるな、行為を責めよ』、である。これはイギリスの格言だが、こういうことだ。

 こういうケースで、「A君は悪い子だから、つきあってはダメ」と子どもに言うのは、子どもに、「友を取るか、親を取るか」の二者択一を迫るようなもの。あなたの子どもがあなたを取ればよし。しかしそうでなければ、あなたと子どもの間には大きな亀裂が入ることになる。友だちというのは、その子どもにとっては、子どもの人格そのもの。友を捨てろというのは、子どもの人格を否定することに等しい。あなたが友だちを責めれば責めるほど、あなたの子どもは窮地に立たされる。そういう状態に子どもを追い込むことは、たいへんまずい。ではどうするか。

 こういうケースでは、行為を責める。またその範囲でおさめる。「タバコは体に悪い」「夜ふかしすれば、健康によくない」「バイクで夜騒音をたてると、眠れなくて困る人がいる」とか、など。コツは、決して友だちの名前を出さないようにすること。子ども自身に判断させるようにしむける。そしてあとは時を待つ。

 ……と書くだけだと、イギリスの格言の受け売りで終わってしまう。そこで私はもう一歩、この格言を前に進める。そしてこんな格言を作った。『行為を責めて、友をほめろ』と。

 子どもというのは自分を信じてくれる人の前では、よい自分を見せようとする。そういう子どもの性質を利用して、まず相手の友だちをほめる。「あなたの友だちのB君、あの子はユーモアがあっておもしろい子ね」とか。「あなたの友だちのB君って、いい子ね。このプレゼントをもっていってあげてね」とか。そういう言葉はあなたの子どもを介して、必ず相手の子どもに伝わる。そしてそれを知った相手の子どもは、あなたの期待にこたえようと、あなたの前ではよい自分を演ずるようになる。つまりあなたは相手の子どもを、あなたの子どもを通して遠隔操作するわけだが、これは子育ての中でも高等技術に属する。ただし一言。

 よく「うちの子は悪くない。友だちが悪いだけだ。友だちに誘われただけだ」と言う親がいる。しかし『類は友を呼ぶ』の諺どおり、こういうケースではまず自分の子どもを疑ってみること。祭で酒を飲んで補導された中学生がいた。親は「誘われただけだ」と泣いて弁解していたが、調べてみると、その子どもが主犯格だった。……というようなケースは、よくある。自分の子どもを疑うのはつらいことだが、「友が悪い」と思ったら、「原因は自分の子ども」と思うこと。だからよけいに、友を責めても意味がない。何でもない格言のようだが、さすが教育先進国イギリス!、と思わせるような、名格言である。
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【90】「お父さんの給料が少ないでしょう……」・夫婦は一枚岩

 そうでなくても難しいのが、子育て。夫婦の心がバラバラで、どうして子育てができるのか。その中でもタブー中のタブーが、互いの悪口。ある母親は、娘(年長児)にいつもこう言っていた。「お父さんの給料が少ないでしょう。だからお母さんは、苦労しているのよ」と。あるいは「お父さんは学歴がなくて、会社でも相手にされないのよ。あなたはそうならないでね」と。母親としては娘を味方にしたいと思ってそう言うが、やがて娘の心は、母親から離れる。離れるだけならまだしも、母親の指示に従わなくなる。

 この文を読んでいる人が母親なら、まず父親を立てる。そして船頭役は父親にしてもらう。賢い母親ならそうする。この文を読んでいる人が父親なら、まず母親を立てる。そして船頭役は母親にしてもらう。つまり互いに高い次元に、相手を置く。たとえば何か重要な決断を迫られたようなときには、「お父さんに聞いてからにしましょうね」(反対に「お母さんに聞いてからにしよう」)と言うなど。仮に意見の対立があっても、子どもの前ではしない。父、子どもに向かって、「テレビを見ながら、ご飯を食べてはダメだ」母「いいじゃあないの、テレビぐらい」と。こういう会話はまずい。こういうケースでは、父親が言ったことに対して、母親はこう援護する。「お父さんがそう言っているから、そうしなさい」と。そして母親としての意見があるなら、子どものいないところで調整する。子どもが学校の先生の悪口を言ったときも、そうだ。「あなたたちが悪いからでしょう」と、まず子どもをたしなめる。相づちを打ってもいけない。もし先生に問題があるなら、子どものいないところで、また子どもとは関係のない世界で、処理する。これは家庭教育の大原則。

 ある著名な教授がいる。数十万部を超えるベストセラーもある。彼は自分の著書の中で、こう書いている。「子どもには夫婦喧嘩を見せろ。意見の対立を教えるのに、よい機会だ」と。しかし夫婦で哲学論争でもするならともかくも、夫婦喧嘩のような見苦しいものは、子どもに見せてはならない。夫婦喧嘩などというのは、たいていは見るに耐えないものばかり。その教授はほかに、「子どもとの絆を深めるために、遊園地などでは、わざと迷子にしてみるとよい」とか、「家庭のありがたさをわからせるために、二、三日、子どもを家から追い出してみるとよい」とか書いている。とんでもない暴論である。わざと迷子にすれば、それで親子の信頼関係は消える。それにもしあなたの子どもが半日、行方不明になったら、あなたはどうするだろうか。あなたは捜索願いだって出すかもしれない。

 子どもは親を見ながら、自分の夫婦像をつくる。家庭像をつくる。さらに人間像までつくる。そういう意味で、もし親が子どもに見せるものがあるとするなら、夫婦が仲よく話しあう様であり、いたわりあう様である。助けあい、喜びあい、なぐさめあう様である。古いことを言うようだが、そういう「様」が、子どもの中に染み込んでいてはじめて、子どもは自分で、よい夫婦関係を築き、よい家庭をもつことができる。欧米では、子どもを「よき家庭人」にすることを、家庭教育の最大の目標にしている。その第一歩が、『夫婦は一枚岩』、ということになる。
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【91】「これだけは絶対に人に負けない」・子どもの一芸論

 Sさん(中一)もT君(小三)も、勉強はまったくダメだったが、Sさんは、手芸で、T君は、スケートで、それぞれ、自分を光らせていた。中に「勉強、一本!」という子どももいるが、このタイプの子どもは、一度勉強でつまずくと、あとは坂をころげ落ちるように、成績がさがる。そういうときのため、……というだけではないが、子どもには一芸をもたせる。この一芸が、子どもを側面から支える。あるいはその一芸が、その子どもの身を立てることもある。

 M君は高校へ入るころから、不登校を繰り返し、やがて学校へはほとんど行かなくなってしまった。そしてその間、時間をつぶすため、近くの公園でゴルフばかりしていた。が、一〇年後。ひょっこり私の家にやってきて、こう言って私を驚かせた。「先生、ぼくのほうが先生より、お金を稼いでいるよね」と。彼はゴルフのプロコーチになっていた。

 この一芸は作るものではなく、見つけるもの。親が無理に作ろうとしても、たいてい失敗する。Eさん(二歳児)は、風呂に入っても、平気でお湯の中にもぐって遊んでいた。そこで母親が、「水泳の才能があるのでは」と思い、水泳教室へ入れてみた。案の定、Eさんは水泳ですぐれた才能を見せ、中学二年のときには、全国大会に出場するまでに成長した。S君(年長児)もそうだ。父親が新車を買ったときのこと。S君は車のスイッチに興味をもち、「これは何だ、これは何だ」と。そこで母親から私に相談があったので、私はS君にパソコンを買ってあげることを勧めた。パソコンはスイッチのかたまりのようなものだ。その後S君は、小学三年生のころには、ベーシック言語を、中学一年生のころには、C言語をマスターするまでになった。

 この一芸。親は聖域と考えること。よく「成績がさがったから、(好きな)サッカーをやめさせる」と言う親がいる。しかし実際には、サッカーをやめさせればやめさせたで、成績は、もっとさがる。一芸というのは、そういうもの。ただし、テレビゲームがうまいとか、カードをたくさん集めているというのは、一芸ではない。ここでいう一芸というのは、集団の中で光り、かつ未来に向かって創造的なものをいう。「創造的なもの」というのは、努力によって、技や内容が磨かれるものという意味である。そしてここが大切だが、子どもの中に一芸を見つけたら、時間とお金をたっぷりとかける。そういう思いっきりのよさが、子どもの一芸を伸ばす。「誰が見ても、この分野に関しては、あいつしかいない」という状態にする。子どもの立場で言うなら、「これだけは絶対に人に負けない」という状態にする。

 一芸、つまり才能と言いかえてもいいが、その一芸を見つけるのは、乳幼児期から四、五歳ごろまでが勝負。この時期、子どもがどんなことに興味をもち、どんなことをするかを静かに観察する。一見、くだらないことのように見えることでも、その中に、すばらしい才能が隠されていることもある。それを判断するのも、家庭教育の大切な役目の一つである。  

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【92】「机は、購入後三か月で、物置台」・机は休む場所

 子どもの学習机は、勉強するためにあるのではなく、休むためにある。
 どんな勉強でもしばらくすると、疲れる。問題はその疲れたとき。そのとき、そのまま机に座って休めればよし。そうでなければ、子どもは机から離れる……イコール、そこで勉強は中断する。一度、中断した勉強は、なかなかもとに戻らない。そこで机を選ぶときは、そのまま休める机であるかどうかを考えながら、選ぶ。最近では前に棚のある、棚式の学習机が主流だ。しかしこのタイプの机は、機能的にはできているが、圧迫感があって、長く使っていると抑うつ感が生まれる。へたをすれば、勉強嫌いの遠因ともなりうる。実際、私が調査したところ、この棚式の机は、購入後三か月で、約八〇%強が物置台になっていることがわかった(小学一年生、三〇名について調査)。

 そこであなたの子どもと学習机の相性を調べてみよう。方法は次のようにする。まず子どもが好きそうな食べものを用意する。そしてそれをそれとなく、子どもの机の上に置いてみる。そのとき子どもがそのまま机に座って、それを食べればよし。しかし子どもがそれを机から別の場所へ移して食べるようであれば、相性はかなり悪いとみる。

 あるいはあなたの子どもが学校から帰ってきたとき、最初にどこに座り、体を休めるかを観察してみる。そのとき子どもが、自分の机に座って体を休めるようであれば、その机との相性は、きわめてよいとみる。結論から先に言えば、学習机のポイントは、@平机であること。A机の前にはできるだけ広い空間を用意すること。B棚など、圧迫感のあるものは、背部に置くこと。C机に座った位置から、ドアが見えるように配置すること。背中側にドアがあると、心理的に落ち着かない。D窓の位置も重要である。窓は机に座った位置から、向かって左側にあるとよい。これは採光のため(約一〇〇名について調査)。

 しかしもっと重要なのが、実は、椅子である。机を選ぶときは、椅子の座りごごちをみること。椅子は座る部分が平らで、かためのもの。窮屈なものより、広めなものがよい。腕を休めることができるひじかけがあれば、なおよい。ふかぶかとした、やわらかい椅子は、一見座りごこちがよさそうにみえるが、実際には疲れやすいことがわかっている。また、わざと前かがみになって学習する椅子がある。椅子自体が、前へ傾くようになっている。しかしあの椅子は、学習中は能率があがるものの、座った状態で休むことができない。つまり、そこで学習が中断する。なお小学校の低学年児についてみると、大半の子どもは、台所のテーブルなどを利用して勉強している。子どもというのは、無意識のうちにも、一番居ごこちのよい場所を選んで、勉強する。もしそうであれば、テーブルを積極的に学習机にしてみるという手もある。子どもは進んで、勉強するようになるかもしれない。少なくとも勉強は学習机でするものという考え方は、この時期には当てはまらない。

 要するに、ものには相性というものがある。その相性が悪いと、長い時間をかけて、子どもをマイナスの方向に引っぱってしまう。子どもの学習環境を考えるときは、機能ではなく、その相性をみながら判断する。
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【93】「子どもの心をつかんだはず」・子どもの金銭感覚

 年長(六歳)から小学二年(八歳)ぐらいの間に、子どもの金銭感覚は完成する。その金銭感覚は、おとなのそれと、ほぼ同じになるとみてよい。が、それだけではない。子どもはこの時期を通して、お金によって物欲を満たす、その満たし方まで覚えてしまう。そしてそれがそれから先、子どものものの考え方に、大きな影響を与える。

 この時期の子どものお金は、一〇〇倍して考えるとよい。たとえば子どもの一〇〇円は、おとなの一万円に相当する。千円は、一〇万円に相当する。親は安易に子どもにものを買い与えるが、それから子どもが得る満足感は、おとなになってからの、一万円、一〇万円に相当する。「与えられること」に慣れた子どもや、「お金によって欲望を満足すること」に慣れた子どもが、将来どうなるか。もう、言べくもない。さすがにバブル経済がはじけて、そういう傾向は小さくなったが、それでも「高価なものを買ってあげること」イコール、親の愛と誤解している人は多い。より高価なものを買い与えることで、親は「子どもの心をつかんだはず」と考える。あるいは「子どもは親に感謝しているはず」と考える。が、これはまったくの誤解。

 実際には、逆効果。それだけではない。ゆがんだ金銭感覚が、子どもの価値観そのものを狂わす。ある子ども(小二男児)は、こう言った。「明日、新しいゲームソフトが発売になるから、ママに買いに行ってもらう」と。そこで私が、「どんなものか、見てから買ってはどう?」と言うと、「それではおくれてしまう」と。その子どもは、「おくれる」と言うのだ。最近の子どもたちは、他人よりも、より手に入りにくいものを、より早くもつことによって、自分のステイタス(地位)を守ろうとする。物欲の内容そのものが、昔とは違う。変質している。……というようなことを考えていたら、たまたまテレビにこんなシーンが出てきた。援助交際をしている女子高校生たちが、「お金がほしいから」と答えていた。「どうしてそういうことをするのか」という質問に対して、である。しかも金銭感覚そのものが、マヒしている。もっているものが、一〇万円、二〇万円という、ブランド品ばかり!

 さて、誕生日。さて、クリスマス。あなたは子どもに、どんなものを買い与えるだろうか。千円のものだろうか。それとも一万円のものだろうか。お年玉には、いくら与えるだろうか。与えるとしても、それでほしいものを買わせるだろうか。それとも、貯金をさせるだろうか。いや、その前に、それを与えるにふさわしいだけの苦労を、子どもにさせているだろうか。どちらにせよ、しかしこれだけは覚えておくとよい。五、六歳の子どもに、一万、二万円のプレゼントをホイホイと買い与えていると、子どもが高校生や大学生になったとき、あなたは一〇〇万円、二〇〇万円のものを買い与えなくてはならなくなる。つまりそれくらいのことをしないと、子どもは満足しなくなる。あなたにそれだけの財力と度量があれば話は別だが、そうでないなら、子どものために、やめたほうがよい。やがてあなたの子どもは、ドラ息子やドラ娘になり、手がつけられなくなる。そうなればなったで、苦労するのはあなたではなく、結局は子ども自身なのだ。
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【94】「本当に頭が、よくなってしまった!」・子どもを伸ばす、こんな方法

        
 あなたは白いご飯に、チョコレートをかけて食べることができるか。ミルクか、ココアでもよい。「できない」と思っているなら、一度、ためしてみたらよい。そういうのを発想の転換という。一度、うちへホームステイしたオーストラリア人が、そういう食べ方を教えてくれた。彼らは、豆腐にジャムをつけて食べていた!

 子どもの頭をよくしたいと思っているなら、そういう刺激を与える。もっと言えば、「あれっ!」と思うような意外性を大切にする。意外性が大きければ大きいほど、脳の中の神経組織が発達する。マンネリはよくない。マンネリは、知能発達の大敵と考える。……といっても、お金をかけろということではない。発想の転換は、ごく身近で始まる。また身近であればあるほど、刺激も大きい。庭の草木の葉っぱを、ちぎってかんでみる。おもちゃのトラックの中に、寿司を並べてみる、など。そうそう私も昔、子どものころだったが、動物の形をしたパンを見て驚いたことがある。あのとき感じた新鮮さは、いまだに忘れない。

 ふつう頭のよい子どもは、発想が豊かで、おもしろい。パンをくりぬいて、トンネル遊び。スリッパをひもでつないで、電車ごっこなど。時計を水の入ったコップに入れて遊んでいた子ども(小三)がいた。母親が「どうしてそんなことをするの?」と聞いたら、「防水と書いてあるから、その実験をしているのだ」と。ただし同じいたずらでも、コンセントに粘土をつめる。絵の具を溶かして、車にかけるなどのいたずらは、好ましいものではない。善悪の判断にうとい子どもは、とんでもないいたずらをする。

 その頭をよくするという話で思いだしたが、チューイングガムをかむと頭がよくなるという説がある。アメリカの「サイエンス」という雑誌に、そういう論文が紹介された。で、この話をすると、ある母親が、「では」と言って、ほとんど毎日、自分の子どもにガムをかませた。しかもそれを年長児のときから、数年間続けた。で、その結果だが、その子どもは本当に、頭がよくなってしまった。この方法は、どこかぼんやりしていて、何かにつけておくれがちの子どもに、特に効果がある。……と思う。

 また年長児で、ずばぬけて国語力のある女の子がいた。作文力だけをみたら、小学校の三、四年生以上の力があったと思う。で、その秘訣を母親に聞いたら、こう教えてくれた。「赤ちゃんのときから、毎日本を読んで、それをテープに録音して、聴かせていました」と。母親の趣味は、ドライブ。外出するたびに、そのテープを聴かせていた。

 今回は、バラバラな話を書いてしまったが、もう一つ、バラバラになりついでに、こんな話もある。子どもの運動能力の基本は、敏しょう性によって決まる。その敏しょう性。一人、ドッジボールの得意な子ども(年長男児)がいた。その子どもは、とにかくすばしっこかった。で、母親にその理由を聞くと、「赤ちゃんのときから、はだしで育てました。雨の日もはだしだったため、近所の人に白い目で見られたこともあります」とのこと。子どもを将来、運動の得意な子どもにしたかったら、できるだけはだしで育てるとよい。
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【95】「あの子は臭い!」・嫌われっ子、親の責任


 「どんな子が嫌われるか」を調査してみた。その結果、@不潔で臭い子ども。A陰湿で性格が暗く、静かな子ども。B性格が悪い子ども、ということがわかった(小四児、三〇名について調査)。

 不潔で臭いというのは、「通りすぎたとき、プンとヘンなにおいがする」「口が臭い」「髪の毛が汚い」「首にアカがたまっている」「服装が汚い」「服装の趣味が悪い」「鼻クソばかりほじっている」「鼻水がいつも出ている」「髪の毛がネバネバしている」「全体が不潔っぽい」など。子どもというのは、おとなより、においに敏感なようだ。

 陰湿で性格が暗いというのは、「いじけやすい」「おもしろくない」「ひがみやすい」「何もしゃべらない」など。「静か」というのもあった。私が「誰にも迷惑をかけるわけではないので、いいではないか」と聞くと、「何を考えているかわからないから、不気味だ」と。

 またここでいう性格が悪いというのは、「上級生にへつらう」「先生の前でいい子ぶる」「自慢話ばかりする」「意地悪」「わがままで自分勝手」「すぐいやみを言う」「目立ちたがり屋」など。一人、「顔がヘンなのも嫌われる」と言った子どももいた。

 ここにあげた理由をみてわかることは、親が少し注意すれば、防げるものも多いということ。特に@の「不潔で臭い子ども」については、そうだ。このことから私は、『嫌われっ子、親の責任』という格言を考えた。たとえばこんなことがあった。

 A君(中一)は、学校でいじめにあっていた。仲間からも嫌われていた。A君も母親もそれに悩んでいたが、そのA君、とにかく臭い。彼が体を動かすたびに、体臭とも腐敗臭とも言えない、何とも言えない不快なにおいが、あたりを漂った。風呂での体の洗い方に問題があるようだが、本人はそれに気づいていない。そこである日、私は思いあまって、A君にこう言った。「風呂では、体をよく洗うのだぞ」と。が、この一言が、彼を激怒させた。彼にしても、一番気にしていることを言われたという思いがあった。彼は「ちゃんと洗っている!」と言いはなって、そのまま教室から出ていってしまった。

 幼児でも、臭い子どもは臭い。病臭のようなにおいがする。私は子どもの頭をよくなでるが、中には、ヌルッとした髪の毛の子どももいる。A君(年中児)がそうだった。そこで忠告しようと思ってA君の母親に会うと、その母親も同じにおいがした……!

 子どもの世界とはいえ、そこは密室の世界。しかも過密。さまざまな人間関係が、複雑にからみあっている。ありとあらゆる問題が、日常的に渦巻いている。つまりおとなたちが考えているほど、その世界は単純ではないし、また表に現れる問題は、ほんの一部でしかない。ここにあげる「嫌われっ子」にしても、だからといってこのタイプの子どもが、いつも嫌われているということにはならない。しかし無視してよいほど、軽い問題でもない。いじめの問題についても、ともすれば私たちは、表面的な現象だけを見て、子どもの世界を論ずる傾向がある。が、それだけでは足りない。それをわかってほしかったから、ここであえて、嫌われっ子の問題を取りあげてみた。
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【96】「そんな塾なら、やめなさい」・単純でない子どもの心


 ある朝、通りでAさんとすれ違ったとき、Aさんはこう言った。「これから学校へ抗議に行くところです」と。話を聞くと、こうだ。「うちの息子(小四)の先生は、点の悪い子どものテストは、投げて返す。そういうことは許せない」と。しかし本当にそうか?

 子どもは塾などをやめたくなっても、決して「やめたい」とは言わない。そういうときはまず、先生の悪口を言い始める。「まじめに教えてくれない」「えこひいきする」「授業中、居眠りをしている」など。つまり親をして、「そんな塾ならやめなさい」と思うようにしむける。ほかに、学校の先生に、「今度、君のお母さんに、全部、本当のことを話すぞ」と脅かされたのがきっかけで、学校の先生の悪口を言うようになった子ども(小三女児)もいた。その子どもはいわば先手を打ったわけだが、こうした手口は、子どもの常套手段。子どもの言い分だけを聞いて真に受けると、とんでもないことになる。こんな例もある。

 たいていの親は「うちの子はやればできるはず」と思っている。それはそうだが、しかし一方で、この言葉ほど子どもを苦しめる言葉はない。B君(中一)も、その言葉で苦しんでいるはずだった。そこである日私は、B君にこうアドバイスした。「君の力は君が一番よく知っているはずではないか。だったら、お父さんに正直にそう言ったらどうか」と。しかしB君は、決してそのことを父親に言わなかった。言えば言ったで、自分の立場がなくなってしまう。B君は、親に「やればできるはず」と思わせつつ、いろいろな場面で自分のわがままを通していた。あるいは自分のずるさをごまかすための、逃げ口上にしていた。

 子どもの心だから単純だと考えるのは、正しくない。私の教育観を変えた事件にこんなのがある。幼稚園で教師になったころのことである。

 Kさん(年長児)は静かで目立たない子どもだった。教室の中でも自分から意見を発表するということは、ほとんどなかった。が、その日は違っていた。Kさんの母親が授業参観にきていた。Kさんは、「ハイ!」と言って手をあげて、自分の意見を言った。そこで私は少し大げさにKさんをほめた。ほめてほかの子どもたちに手を叩かせた。と、そのときである。Kさんがスーッと涙を流したのである。私はてっきりうれし泣きだろうと思ったが、それにしても合点がいかない。そこで教室が終わってから、Kさんにその理由を聞いた。するとKさんはこう言った。「私がほめられたから、お母さんが喜んでいると思った。お母さんが喜んでいると思ったら、涙が出てきちゃった」と。Kさんは、母親の気持ちになって、涙をこぼしていたのだ!

 さて話をもとに戻す。Aさんは、「テストを投げて返すというのは、子どもの心を踏みにじる行為だ」と息巻いていた。が、本当にそうか? 先生とて、時にふざけることもある。その範囲の行為だったかもしれない。子どもを疑えということではないが、やり方をまちがえると、この種の抗議は、教師と子どもの信頼関係をこなごなに砕いてしまう。私はAさんのうしろ姿を見送りながら、むしろそちらのほうを心配した。
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【97】「あなたは何を考えているの!」・心と表情のミスマッチ
 
 子どもの心は風船玉のようなものだ。「家庭」で圧力を加えると、「園や学校」で荒れる。反対に「園や学校」で圧力を加えると、「家庭」で荒れる。友人との「外の世界」で荒れることもある。問題は、荒れることではなく、こうした子どもたちが、いわゆる仮面をかぶり、二重人格性をもつことだ。親の前では、恐ろしくよい子ぶりながら、その裏で、陰湿な弟や妹いじめを繰り返す、など。家庭内暴力を起こす子どもなどは、外の世界では、信じられないほど、よい子を演ずることが多い。

 一般論として、情意(心)と表情が遊離し始めると、心に膜がかかったかのようになる。教える側から見ると、「何を考えているかわからない子ども」、親から見ると、「ぐずな子ども」ということになる。あるいは「静かで、おとなしい子ども」という評価をくだすこともある。ともかくも心と表情が、ミスマッチ(遊離)するようになる。ブランコを横取りされても、笑みを浮かべながら渡す。失敗して皆に笑われているようなときでも、表情を変えず平然としている、など。「ふつうの子どもならこういうとき、こうするだろうな」という自然さが消える。が、問題はそれで終わらない。

 このタイプの子どもは、表情のおだやかさとは別に、その裏で、虚構の世界を作ることが多い。作るだけならまだしも、その世界に住んでしまう。ゲームのキャラクターにハマりこんでしまい、現実と空想の区別がつかなくなってしまう、など。ある中学生は、毎晩、ゲームで覚えた呪文を、空に向かって唱えていた。「超能力をください」と。あるいはものの考え方が極端化し、先鋭化することもある。異常な嫉妬心や自尊心をもつことも多い。

 原因の多くは、家庭環境にある。威圧的な過干渉、権威主義的な子育て、親のはげしい情緒不安、虐待など。異常な教育的過関心も原因になることがある。子どもの側からみて、息を抜けない環境が、子どもの心をゆがめる。子どもは、先ほども書いたように、一見「よい子」になるが、それはあくまでも仮面。この仮面にだまされてはいけない。

 子育ては、『まじめ八割、いいかげん二割』と覚えておく。これは車のハンドルの遊びのようなもの。子どもはこの「いいかげんな部分」で、羽をのばし、自分を伸ばす。が、その「いいかげん」を許さない人がいる。許さないというより、妥協しない。外から帰ってきたら、必ず手洗いさせるとか、うがいさせるなど。このタイプの親は、何ごとにつけ完ぺきさを求め、それを子どもに強要する。そしてそれが子どもの心をゆがめる。が、悲劇はまだ続く。このタイプの親に限って、その自覚がない。ないばかりか、自分は理想的な親だと思い込んでしまう。中には父母会の席などで、堂々とそれを誇示する人もいる。

 子どもの二重人格性を知るのは、それほど難しいことではない。園や学校の参観日に行ってみて、家庭における子どもと、園や学校での子どもの「違い」を見ればわかる。もしあなたの子どもが、家庭でも園や学校でも、同じようであれば、問題はない。しかし園や学校では、別人のようであれば、ここに書いた子どもを疑ってみる。そしてもしそうなら、心の開放を、何よりも大切にする。一人静かにぼんやりとできる時間を大切にする。
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【98】「できの悪い子どもほど、かわいい」・生命力を大切に


 昔から、『できの悪い子どもほど、かわいい』という。それはその通りで、できのよい子どもほど、自分で勝手に成長していく。……成長してしまう。そのためどうしても親子の情が薄くなる。しかしできの悪い子は、そうではない。

 I君(小二)は、そのできの悪い子どもだった。言葉の発達もおくれ、その年齢になっても、文字や数にほとんど興味を示さなかった。I君の父親は心やさしい人だったが、学習面でI君に無理を強いた。しかしそれがかえって逆効果。(無理をする)→(逃げる)→(もっと無理をする)の悪循環の中で、I君はますます勉強から遠ざかっていった。

 時に父親はI君をはげしく叱った。あるいは脅した。「こんなことでは、勉強におくれてしまうぞ」と。そのたびにI君は、涙をポロポロとこぼしながら、父親にあやまった。一方、父親は父親で、そういうI君を見ながら、はがゆさと切なさで身を焦がした。「泣きながら私の胸に飛び込んできてくれれば、どれほど私も気が楽になることか。叱れば叱るほど、Iの気持ちが遠ざかっていくのがわかった。それがまた、私にはつらかった」と。

 このI君のケースでは、母親がおだやかでやさしい人だったのが幸いした。父親が暴走しそうになると、間に入って、父親とI君の間を調整した。母親はこう言った。「主人は主人なりに息子のことを心配して、そういう行動に出るのですね。息子もそれがわかっているから、つらがるのでしょう」と。形こそ多少いびつだが、それも親の愛。子どものできが悪いがゆえに燃えあがる、親の愛。その父親が私を食事に誘ってくれた。私はその席で意を決して、父親にこう告げた。

 「お父さん、もうあきらめましょう。お父さんががんばればがんばるほど、I君は、ますます勉強から遠ざかっていきます。心がゆがむかもしれません。しかし今ならまだ間にあいます。あきらめて、I君の好きなようにさせましょう」と。

 そのとき父親の箸をもつ手が、小刻みに震えるのを、私は見た。「先生、そうはおっしゃるが、このままでは息子は、ダメになってしまいます」「しかしI君の顔から、笑顔が消えたら、どうしますか」「私は嫌われてもいい。嫌われるぐらいですむなら、がまんできます。しかしこのまま息子が、落ちこぼれていくのには耐えられません」「落ちこぼれる? 何から落ちこぼれるのですか」「先生は、他人の子どもだから、そういうふうに言うことができる」「他人の子ども? 実は私はその問題で、一〇年以上も悩んだのです。自分の子ども、他人の子ども、ということでね。しかし今は、もうありません。今は、そういう区別をしていません」

 いかに子どものできが悪くても、子ども自身がもつ生命力さえ残っていれば、必ずその子どもは自立する。そして何十年後かには、心豊かな家庭を築くことができる。しかし親があせって、その生命力までつぶしてしまうと、ことは簡単ではない。一生ナヨナヨとした人間になってしまう。立ちなおるということは、たいへん難しい。I君はそのとき、その瀬戸ぎわにいた。




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