イギリスの諺に、『抑圧は悪魔を生む』というのがある。心の抑圧状態が続くと、ものの考え方が悪魔的になることを言ったものだが、この諺ほど、子どもの心にあてはまる諺はない。きびしい勉強の強要など、子どもの能力をこえた過負担が続くと、子どものものの考え方は、まさに悪魔的になる。こんな子ども(小四男児)がいた。
その子どもは静かで、穏やかな子どもだった。人の目をたいへん気にする子どもで、いつも他人の顔色をうかがっているようなところは、あるにはあった。しかしそれを除けば、ごくふつうの子どもだった。が、ある日私はその子どものノートを見て、びっくりした。何とそこには、血が飛び散ってもがき苦しむ人間の姿が、いっぱい描かれていた! 「命」とか、「殺」とかいう文字もあった。しかも描かれた顔はどれも、口が大きく裂け、そこからは血がタラタラと流れていた。ほかに首のない死体や爆弾など。原因は父親だった。神経質な人で、毎日、二時間以上の学習を、その子どもに義務づけていた。そしてその日のノルマになっているワークブックがしていないと、夜中でもその子どもをベッドの中から引きずり出して、それをさせていた。
神戸で起きた「淳君殺害事件」は、まだ記憶に新しいが、しかしそれを思わせるような残虐事件は、現場ではいくらでもある。その直後のことだが、浜松市内のある小学校で、こんな事件があった。一人の子ども(小二男児)が、飼っていたウサギを、すべり台の上から落として殺してしまったというのだ。この事件は時期が時期だけに、先生たちの間ではもちろんのこと、親たちの間でも大きな問題になった。ほかに先生の湯飲み茶碗に、スプレーの殺虫剤を入れた子ども(中学生)もいた。牛乳ビンに虫を入れ、それを投げつけて遊んでいた子ども(中学生)もいた。ネコやウサギをおもしろ半分に殺す子どもとなると、いくらでもいる。ほかに、つかまえた虫の頭をもぎとって遊んでいた子ども(幼児)や、飼っていたハトに花火をつけて、殺してしまった子ども(小三男児)もいた。
親のきびしい過負担や過干渉が日常的に続くと、子どもは自分で考えるという力をなくし、いわゆる常識はずれの子どもになりやすい。異常な自尊心や嫉妬心をもつこともある。そういう症状の子どもが皆、過負担や過干渉でそうなったとは言えない。しかし過負担や過干渉が原因でないとは、もっと言えない。子どもは自分の中にたまった欲求不満を何らかの形で発散させようとする。いじめや家庭内暴力の原因も、結局は、これによって説明できる。一般論として、はげしい受験勉強を通り抜けた子どもほど心が冷たくなることは、よく知られている。合理的で打算的になる。ウソだと思うなら、あなたの周囲を見回してみればよい。あなたの周囲には、心が温かい人もいれば、そうでない人もいる。しかし学歴とは無縁の世界に生きている人ほど、心が温かいということを、あなたは知っている。子どもに「勉強しろ」と怒鳴りつけるのはしかたないとしても、それから生ずる抑圧感が一方で、子どもの心をゆがめる。それを忘れてはならない。
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