英語の諺に、『あなたは自分の作ったベッドの上でしか、寝られない』というのがある。要するにものごとには結果があり、その結果の責任はあなたが負うということ。こういう例は、教育の世界には多い。
子どもをさんざん過保護にしておきながら、「うちの子は社会性がなくて困ります」は、ない。あるいはさんざん過干渉で子どもを萎縮させておきながら、「どうしてうちの子はハキハキしないのでしょうか」は、ない。もう少しやっかいなケースでは、ドラ息子というのがいる。M君(小三)は、そんなタイプの子どもだった。
口グセはいつも同じ。「何かナ〜イ?」、あるいは「何かほシ〜イ」と。何でもよいのだ。その場の自分の欲望を満たせば。しかもそれがうるさいほど、続く。そして自分の意にかなわないと、「つまんナ〜イ」「たいくツ〜ウ」と。約束は守れないし、ルールなど、彼にとっては、あってないようなもの。他人は皆、自分のために動くべきと考えているようなところがある。
そのM君が高校生になったとき、彼はこう言った。「ホームレスの連中は、人間のゴミだ」と。そこで私が、「誰だって、ほんの少し人生の歯車が狂うと、そうなる」と言うと、「ぼくはならない。バカじゃないから」とか、「自分で自分の生活を守れないヤツは、生きる資格などない」とか。こうも言った。「うちにはお金がたくさんあるから、生活には困らない」と。M君の家は昔からの地主で、そのときは祖父母の寵愛を一身に集めて育てられていた。
いろいろな生徒に出会うが、こういう生徒に出会うと、自分が情けなくなる。教えることそのものが、むなしくなる。「こういう子どもには知恵をつけさせたくない」とか、「もっとほかに学ぶべきことがある」というところまで、考えてしまう。そうそうこんなこともあった。受験を控えた中三のときのこと。M君が数人の仲間とともに万引きをして、補導されてしまったのである。悪質な万引きだった。それを知ったM君の母親は、「内申書に影響するから」という理由で、猛烈な裏工作をし、その夜のうちに、事件そのものを、もみ消してしまった。そして彼が高校二年生になったある日、私との間に大事件が起きた。
その日私が、買ったばかりの万年筆を大切そうにもっていると、「ヒロシ(私のことをそう呼んでいた)、その万年筆のペン先を折ってやろうか。折ったら、ヒロシはどうする?」と。そこで私は、「そんなことをしたら、お前を殴る」と宣言したが、彼は何を思ったか、私からその万年筆を取りあげると、目の前でグイと、そのペン先を本当に折ってしまった! とたん私は彼に飛びかかっていった。結果、彼は目の横を数針も縫う大けがをしたが、M君の母親は、私を狂ったように責めた。(私も全身に打撲を負った。念のため。)「ああ、これで私の教師生命は断たれた」と、そのときは覚悟した。が、M君の父親が、私を救ってくれた。うなだれて床に正座している私のところへきて、父親はこう言った。「先生、よくやってくれました。ありがとう。心から感謝しています。本当にありがとう」と。
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