エッセー9
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はやし浩司
【113】おとななんかに、なりたくない」・未来を脅さない

 赤ちゃんがえりという、よく知られた現象が、幼児の世界にある。下の子どもが生まれたことにより、上の子どもが赤ちゃんぽくなる現象をいう。急におもらしを始めたり、ネチネチとしたものの言い方になる、哺乳ビンでミルクをほしがるなど。定期的に発熱症状を訴えることもある。原因は、本能的な嫉妬心による。つまり下の子どもに向けられた愛情や関心をもう一度とり戻そうと、子どもは、赤ちゃんらしいかわいさを演出するわけだが、「本能的」であるため、叱っても意味がない。

 これとよく似た現象が、小学生の高学年にもよく見られる。赤ちゃんがえりならぬ、幼児がえり、である。先日も一人の男児(小五)が、ボロボロになったマンガを、大切そうにカバンの中から取り出して読んでいたので、「何だ?」と声をかけると、こう言った。「どうせダメだと言うんでチョ。ダメだと言うんでチョ」と。

 原因は成長することに恐怖心をもっているためと考えるとわかりやすい。この男児のばあいも、日常的に父親にこう脅されていた。「中学校の受験勉強はきびしいぞ。毎日、五、六時間、勉強をしなければならないぞ」「中学校の先生は、こわいぞ。言うことを聞かないと、殴られるぞ」と。こうした脅しが、その子どもの心をゆがめた。

 ふつう上の子どものはげしい受験勉強を見ていると、下の子どもは、その恐怖心からか、おとなになることを拒絶するようになる。実際、小学校の五、六年生児でみると、ほとんどの子どもは、「(勉強がきびしいから)中学生になりたくない」と答える。そしてそれがひどくなると、ここでいうような幼児がえりを起こすようになる。

 話は少しそれるが、こんなこともあった。ある母親が私のところへやってきて、こう言った。「うちの息子(高二)が家業である歯科技工士の道を、どうしても継ぎたがらなくて、困っています」と。それで「どうしたらよいか」と。そこでその高校生に会って話を聞くと、その子どもはこう言った。「あんな歯医者にペコペコする仕事はいやだ。それにうちのおやじは、仕事が終わると、『疲れた、疲れた』と言う」と。そこで私はその母親に、こうアドバイスした。「子どもの前では、家業はすばらしい、楽しいと言いましょう」と。結果的に今、その子どもは歯科技工士をしているので、私のアドバイスは、それなりに効果があったということになる。さて本論。

 子どもの未来を脅してはいけない。「小学校では宿題をしないと、廊下に立たされる」「小学校では一〇、数えるうちに服を着ないと、先生に叱られる」などと、子どもを脅すのはタブー。子どもが一度、未来に不安を感ずるようになると、それがその先、ずっと、子どものものの考え方の基本になる。そして最悪のばあいには、おとなになっても、社会人になることそのものを拒絶するようになる。事実、今、おとなになりきれない成人(?)が急増している。二〇歳をすぎても、幼児マンガをよみふけり、社会に同化できず、家の中に引きこもるなど。要は子どもが幼児のときから、未来を脅さない。この一語に尽きる。
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【114】「では今夜から早く寝させます」・睡眠不足の子ども

 睡眠不足の子どもがふえている。日中、うつろな目つきで、ぼんやりしている。突発的にキャーキャーと声をあげて、興奮することはあっても、すぐスーッと潮が引くように元気がなくなってしまう。顔色もどんより曇っていて、生彩がない。睡眠不足がどの程度、知能の発育に影響を与えるかということについては、定説がない。ないが、集中力が続かないため、当然、学習効果は著しく低下する。ちなみに睡眠時間(眠ってから目を覚ますまで)は、年中児で平均一〇時間一五分。年長児で一〇時間。小学生になると、睡眠時間は急速に短くなる。

 原因の大半は不規則な生活習慣。「今日は土曜日だからいいだろう」と考えて、週に一度でも夜ふかしをすると、睡眠時間も不安定になる。ある女の子(年長児)は、おばあさんに育てられていた。夜もおとな並に遅くまで起きていて、朝は朝で、おばあさんと一緒に起きていた。つまりそれが原因で睡眠不足になってしまった。また別の子ども(年長児)は、アレルギー性疾患が原因で熟睡できなかった。腹の中のギョウ虫が原因で睡眠不足になったケースもある。で、睡眠不足を指摘すると、たいていの親は、「では今夜から早く寝させます」などと言うが、そんな簡単なことではない。早く寝させれば寝させた分だけ、子どもは早く目を覚ましてしまう。体内時計が、そうなっているからである。そんなわけで、『睡眠不足、なおすに半年』と心得ること。生活習慣というのは、そういうもので、一度できあがると、改めるのがたいへん難しい。

 なお子どもというのは、寝る前にいつも同じ行為を繰り返すという習性がある。これを欧米では、「ベッド・タイム・ゲーム」と呼んで、たいへん大切にしている。子どもはこの時間を通して、「昼間の現実の世界」から、「夜の闇の世界」へ戻るために、心を整える。このしつけが悪いと、子どもは、なかなか寝つかなくなり、それが原因で睡眠不足になることがある。まずいのは子どもを寝室へ閉じ込め、いきなり電器を消してしまうような行為。こういう乱暴なことが日常化すると、子どもは眠ることに恐怖心をもつようになり、床へつくことを拒否するようになる。ひどいばあいには、情緒が不安定になることもある。毎晩夜ふかしをしたり、理由もないのにぐずったりする、というのであれば、このベッドタイムゲームのしつけの失敗を疑ってみる。そこで教訓。

 子どもを寝つかせるときは、ベッドタイムゲームを習慣化する。軽く添い寝をしてあげる。本を読んであげる。やさしく語りかけてあげる、など。コツは、同じようなことを毎晩繰り返すようにすること。次にぬいぐるみを置いてあげるなど、子どもをさみしがらせないようにする。それに興奮させないことも大切だ。年少であればあるほど、静かで穏やかな環境を用意する。できれば夕食後は、テレビやゲームは避ける。なおこの睡眠不足と昼寝グセは、よく混同されるが、昼寝グセの残っている子どもは、その時刻になると、パタリと眠ってしまうから区別できる。もし満五歳を過ぎても昼寝グセが残っているようならば、その時間の間、ガムをかませるなどの方法で対処する。
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児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 はやし浩司・林浩二(司) 林浩司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐
阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 Hiroshi Hayashi / 1970 IH student/International House / Melbourne Univ.
【115】「私の子育ては、ふつうです」・チック症の子ども

 チックと呼ばれる、よく知られた症状がある。幼児の一〇人に一人ぐらいの割合で経験する。「筋肉の習慣性れん縮運動」とも呼ばれ、筋肉の無目的な運動のことをいう。子どもの意思とは無関係に起こる。時と場所を選ばないのが特徴で、これをチックの不随意性という。たいてい症状は、首から上に出る。首をギクギクと動かす、目をまばたきさせる、眼球をクルクル動かす、咳払いをする。のどをウッウッとうならせるなど。つばを吐く、つばをそでにこすりつけるというのもある。上体をグイグイと動かしたり、さらにひどくなると全身がけいれん状態になり、呼吸困難におちいることもある。稀に数種類のチックを、同時に発症することもある。七〜八歳をピークとして発症するが、おかしな行動をするなと感じたら、このチックを疑ってみる。症状は千差万別で、そのためほとんどの親は、それを「ヘンなクセ」と誤解する。しかしチックはクセではない。だから注意をしたり叱っても意味がない。ないばかりか、親が神経質になればなるほど、症状はひどくなる。

 ……というようなことは、私たちの世界では常識中の常識なのだが、どんな親も、親になったときから、すべてを一から始める。チックを知らないからといって、恥じることはない。ただ子育てには謙虚であってほしい。あなたは何でも知っているつもりかもしれないが、知らないことのほうが多い。こんな子ども(年長女児)がいた。その子どもは、母親が何度注意をしても、つばを服のそでにこすりつけていた。そのため、服のそでは、唾液でベタベタ。そこで私はその母親に、「チックです」と告げたが、母親は私の言うことなど信じなかった。病院へ連れていき、脳波検査をした上、頭部CTスキャンまでとって調べた。異常など見つかるはずはない。そのあともう一度、私に相談があった。親というのはそれぞれ、このように回り道をしながら、少しずつ賢くなっていく。で、そのチック。

 原因は神経質な子育て。親の拘束的な過干渉、あるいは親の完ぺき主義などがある。子どもの側からみて息が抜けない環境が、子どもの心をふさぐ。一般的には一人っ子に多いとされるのは、それだけ親の関心が子どもに集中するため。しかもその原因のほとんどは、親自身にある。が、それも親にはわからない。完ぺきであることを、理想的な親の姿であると誤解している人もいる。あるいは「自分はふつうだ」と思い込んでいる。その思い込みが強ければ強いほど、人の話に耳を傾けない。が、それで悲劇は終わらない。チックはいわば、黄信号。その症状が進むと、神経症。さらには情緒障害、さらにひどくなると、精神障害にすらなりかねない。が、子どもの心の問題は、より悪くなってから、前の症状が軽かったことに気づく。親はそのときの症状だけをみて、子どもをなおそうとする。が、そういう無理が、かえって症状を悪化させる。そしてあとは底なしの悪循環。

 チックについて言うなら、仮に親が猛省したとしても、症状だけはそれ以後も残ることが多い。ばあいによっては数年、あるいはもっと長く続く。身についたクセとして定着してしまうからである。おとなでもチック症状をみせる人は、いくらでもいる。心というのは一度キズがつくと、なかなかなおらない。そういう前提で、この問題は考える。
writer/essayist/law student/Japan/born in 1947/武義高校 林こうじ はやしこうじ 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ
 金沢大学法文学部卒 教育評論家 ハローワールド(雑誌)・よくできました(教材) スモッカの知恵の木 ジャックと英語の木 (CAI) 
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【116】「弟を逆さづりにして落としました!」・子どもの欲求不満

 欲求不満に対する、子どもの反応は、一般的には次の三つに分けて考える。

 @攻撃、暴力タイプ……欲求不満やストレスが日常的にたまると、子どもは攻撃的になる。突発的にカッとなることが多く、弟を逆さづりにして、頭から落とした子ども(年長男児)がいた。そしてその攻撃性は、表に出るタイプ(喧嘩する。乱暴になる)と、裏に隠れるタイプ(いじめ、動物への虐待)に分けて考える。

 A退行、依存タイプ……理由もなく、ぐずったり、赤ちゃんぽくなる(退行)。あるいはネチネチと甘える(依存性)。優柔不断になることもある。このタイプの子どもは、いわゆる「ぐずな子ども」という印象を与える。

 B固着、執着タイプ……いつまでも同じことにこだわったり、あるいは特定のもの(毛布の切れ端、ボタン、古い雑誌、おもちゃ)に執着する。情緒的な不安定さを解消するための、代償的行為(心を償うためにする代わりの行為)と理解するとわかりやすい。オナニー、髪いじり、指しゃぶり、爪かみも同じように考える。

 子どもがこうした症状を見せたら、まず愛情問題を疑ってみる。親や家族への絶対的な安心感がゆらいでいないか。親の愛に疑問を抱いていないか。あるいは下の子どもが生まれたことなどで、その子どもへの愛が減っていないか、など。ここで「絶対的」というのは、「疑いを抱かない」という意味。はげしい家庭内騒動、夫婦不仲、日常的な不安感、無理な学習、きびしいしつけなどが原因となることもある。よく誤解されるが、子どもにとって愛情というのは、落差の問題。たとえば下の子どもが生まれると、上の子どもが赤ちゃんがえりを起こすことがある。そういうとき親は、「上の子も下の子も、平等にかわいがっています」と言うが、上の子にしてみれば、今まで一〇〇の愛情を受けていたのが、五〇に減ったことが、不満なのだ。特に嫉妬に関する問題は、慎重に扱うこと。これは幼児指導の大原則。

 こうした欲求不満が原因で、情緒が不安定になったら、スキンシップをふやし、子どもの心を安心させることに心がける。叱ったり説教しても意味がない。脳の機能そのものが、変調しているとみる。また似たような症状に、「かんしゃく発作」がある。乳幼児の抵抗的な行動(突発的なはげしい怒り)をいう。たいていはささいな刺激が引き金となって、爆発的に起きる。デパートなどで、ギャーギャーと泣き叫ぶのが一例。原因の第一は、家庭教育の失敗とみる。ただし年齢によって、症状が違う。一歳前後は、ダダをこねる、ぐずる、手足をバタバタさせるなど。一歳半を過ぎると、大声で泣き叫び、その時間が長くなる。満二歳前後では、言葉による抵抗、拒絶が目立つようになる。自分の体をわざと傷つけることもある。こうしたかんしゃく発作が見られたら、家庭教育のあり方そのものを反省する。権威主義的(押しつけ)な子育てや、強圧的(ガミガミ)な子育てになっていないかなど。「わがまま」と決めつけて、叱っても意味がない。あるいは叱れば叱るほど、逆効果。あとは欲求不満に準じて、対処する。
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【117】「息子に恥をかかせるとは、どういうことだ!」・敏感な子ども


 A子さん(年長児)は、見るからに繊細な感じのする子どもだった。人前に出るとオドオドし、その上、恥ずかしがり屋だった。母親はそういうA子さんをはがゆく思っていた。そして私に、「何とかもっとハキハキする子どもにならないものか」と相談してきた。

 心理反応が過剰な子どもを、敏感児という。そしてその程度がさらに超えた子どもを、過敏児という。敏感児と過敏児を合わせると、全体の約三〇%が、そうであるとみる。一般的には、精神的過敏児と身体的過敏児に分けて考える。心に反応が現われる子どもを、精神的過敏児。アレルギーや腹痛、頭痛、下痢、便秘など、身体に反応が現われる子どもを、身体的過敏児という。A子さんは、まさにその精神的過敏児だった。

 このタイプの子どもは、@感受性と反応性が強く、デリケートな印象を与える。おとなの指示に対して、ピリピリと反応するため、痛々しく感じたりする。A耐久性にもろく、ちょっとしたことで泣き出したり、キズついたりしやすい。B過敏であるがために、環境になじまず、不適応を起こしやすい。集団生活になじめないのも、その一つ。そのため体質的疾患(自家中毒、ぜん息、じんましん)や、神経症を併発しやすい。C症状は、一過性、反復性など、定型がない。そのときは何でもなく、あとになってから症状が出ることもある(参考、高木俊一郎)。A子さんのばあいも、原因不明の発熱に悩まされていた。

 結論から先に言えば、敏感児であるにせよ、鈍感児(心理反応が敏感児とは逆の子ども。いわゆる「寅さん」タイプ)であるにせよ、それは子どもがもって生まれた性質であり、なおそうと思ってなおるものではないということ。無理をすればかえって逆効果。症状が重くなってしまう。が、悪いことばかりではない。敏感児について言えば、その繊細な感覚のため、芸術やある特殊な分野で、並はずれた才能を見せることがある。ほかの子どもなら見落としてしまうようなことでも、しっかりと見ることができる。ただ精神的な疲労に弱く、日中、ほんの一〇数分でも緊張させると、それだけで神経疲れを起こしてしまう。一般的には集団行動や社会行動が苦手なので、そういう前提で理解してあげる。……というようなことは、教育心理学の辞典にも書いてある。が、こんなタイプの子どももいる。

 見た目には鈍感児だが、たいへん繊細な感覚をもった子どもである。つい油断して冗談を言いあっていたりすると、思わぬところでその子どもの心にキズをつけてしまう。ワイワイとふざけているから、「パンツにウンチがついているなら、ふざけていていい」と言ったりすると、家へ帰ってから、親に、「先生にバカにされた」と泣いてみせたりする。このタイプの子どもは、繊細な感覚をもちつつも、それを茶化すことにより、その場をごまかそうとする。心の防御作用と言えるもので、表面的にはヘラヘラしていても、心はいつも緊張状態にある。先生の一言が思わぬ方向へと進み、大事件となるのは、たいていこのタイプだ。その子ども(小三男児)のときも、夜になってから、父親から猛烈な抗議の電話がかかってきた。「パンツのウンチのことで、息子に恥をかかせるとは、どういうことだ!」と。敏感かどうかということは、必ずしも外見からだけではわからない。
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【118】「お前は、うちの子どもを萎縮させた!」・誤解だらけの幼児教育

 この世界には、無知と誤解が、充満している。たとえば緘黙児。家の中ではふつうに話したり、騒いだりする。しかし外の世界では貝殻を閉ざしたかのように、緘黙してしまう。重度の緘黙児は、一〇〇〇人に四人(小学生)といわれているが、軽度の子どもも含めると、二〇人に一人ぐらいの割合で経験する。軽いばあいは、気難しい子ども、人見知りする子ども、というような評価を受けることが多い。

 このタイプの子どもは、無言を守ることにより、自らを保身する。つまりそのために緘黙する。心理学ではこれを防衛機制という。幼稚園や保育園へ入園したときをきっかけとして、発症することが多い。過度の身体的緊張が、引き金になると考えるとわかりやすい。症状としては、無表情になる、視線をそらす、口をキッと結ぶなど。抱こうとすると体をこわばらせて、はげしくそれに抵抗する。柔和な表情を浮かべたまま、緘黙する子どももいる。心と感情表現が遊離するために起こる現象である。M君(年長児)もそうだった。ふとしたきっかけで、まったくしゃべらなくなってしまった。

 が、こういうケースでは、教える側が親に、子どもの問題点を指摘するということは、実際にはしない。親に与えるショックには、はかり知れないものがある。親が「おかしい」と察知し、親の側から相談があったときをとらえて、それとなく話す。教育には、はっきりわからなくてもよいことは山ほどある。あるいは知っていても、知らぬフリをして教えるということもある。私はM君をそういう目で見ながら指導していた。が、その日はたまたま父親が参観にきていた。私はよい機会だと思い、あるがままのM君を見てもらった。M君が緘黙したときも、そのままにしておいた。が、これが父親を激怒させた。

 数日後の朝のこと。その日は日曜日だったが、突然、電話がかかってきた。そしていきなりM君の父親はこう怒鳴った。「お前は、うちの息子を萎縮させてしまった。ついては責任をとってもらう!」と。この続きは長い。そのあといろいろあった。

 こんなこともあった。自閉症という、よく似た情緒障害がある。初期症状としては、感情の鈍化、自分勝手な行動、情意(心)の疎通ができないなどがある。症状が進むと、いわゆるカラに閉じこもってしまい、衝動的な行動(外部の者からは理解できないような、恐怖感やおののきから、突発的に暴れる)が目立つようになる。ある特定のものやことがらに、異常にこだわることもある。音感、文字、カレンダー、列車の時刻表など。

 その分野では、天才的な能力を発揮するため、親自身が、「天才児」と誤解するケースが多い。K君(年中児)もそうだった。ある日父親と母親に連れられて、私のところへやってきた。会うと、父親はこう言った。「うちの息子は、幼稚園から帰ってくると、高校生が見るような科学ビデオを、毎日じっと見ている。私にはよくわからないが、うちの息子には無限の可能性があるように思う。ついては先生のところで、しばらく小学校の勉強を教えてみてくれないか」と。父親は地元の大学で講師をしていた。一見して私には、K君が自閉症児とわかった。が、こういうケースでも、私のほうから子どもの問題点を口にすることはない。初対面であれば、なおさらだ。私は父親の申し出を、ていねいに断わるしかなかった。
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【119】「バカなことをする人が、バカ」・自由が育てる常識
 
 魚は陸の上にあがらない。鳥は水の中にもぐらない。そんなことをすれば、死んでしまうことを、魚も鳥も知っているからだ。そういうのを常識という。

 人間も同じ。数十万年という気が遠くなるほどの年月をかけて、人間はその常識を身につけた。その常識を知ることは、そんなに難しいことではない。自分の心に静かに耳を傾けてみればよい。それでわかる。たとえば人に対する思いやりや、やさしさは、ここちよい響きとなって心にかえってくる。しかし人を裏切ったり、ウソをついたりすることは、不快な響きとなって心にかえってくる。

 子どもの教育では、まずその常識を大切にする。知識や経験で、確かに子どもは利口にはなるが、しかしそういう子どもを賢い子どもとは、決して言わない。賢い子どもというのは、常識をよくわきまえている子どもということになる。映画『フォレスト・ガンプ』の中で、ガンプの母親はこう言っている。「バカなことをする人を、バカと言うのよ。(頭じゃないのよ)」と。その賢い子どもにするには、子どもを「自由」にする。

 自由というのは、もともと「自らに由る」という意味である。無責任な放任を自由というのではない。つまり子ども自らが、自分の人生を選択し、その人生に責任をもち、自分の力で生きていくということ。しかし自らに由りながら生きるということは、たいへん孤独なことでもある。頼れるのは自分だけという、きびしい世界でもある。言いかえるなら、自由に生きるということは、その孤独やきびしさに耐えること、ということになる。

 子どもについて言うなら、その孤独やきびしさに耐えることができる子どもにするということ。もっとわかりやすく言えば、生活の中で、子ども自身が一人で静かに自分を見つめることができるような、そんな時間を大切にする。

 が、今の日本では、その時間がない。学校や幼稚園はまさに、「人間だらけ」。英語の表現を借りるなら、「イワシの缶詰」。自宅へ帰っても、寝るまでガンガンとテレビがかかっている。あるいはテレビゲームの騒音が断えない。友だちの数にしても、それこそ掃いて捨てるほどいる。自分の時間をもちたくても、もつことすらできない。だから自分を静かに見つめるなどということは、夢のまた夢。親たちも、利口な子どもイコール、賢い子どもと誤解し、子どもに勉強を強いる。こういう環境の中で、子どもはますます常識はずれの子どもになっていく。人間としてしてよいことと、悪いことの区別すらできなくなってしまう。あるいは悪いことをしながらも、悪いことをしているという意識そのものが薄い。だからどんどん深みにはまってしまう。

 子どもが一人で静かに考えて、自分で結論を出したら、たとえそれが親の意思に反するものであっても、子どもの人生は子どもに任せる。たとえ相手が幼児であっても、これは同じ。そういう姿勢が、子どもの心を守る。そしてそれが子どもを自由人に育て、その中から、心豊かな常識をもった人間が生まれてくる。
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【120】「先生、私、異常でしょうか?」・溺愛ママの溺愛児

 「先生、私、異常でしょうか」と、その母親は言った。「娘(年中児)が、病気で休んでくれると、私、うれしいのです。私のそばにいてくれると思うだけで、うれしいのです。主人なんか、いてもいなくても、どちらでもいいような気がします」と。私はそれに答えて、こう言った。「異常です」と。

 今、子どもを溺愛する親は、珍しくない。親と子どもの間に、距離感がない。ある母親は自分の子ども(年長男児)が、泊り保育に行った夜、さみしさに耐え切れず、一晩中、泣き明かしたという。また別の母親はこう言った。「息子(中学生)の汚した服や下着を見ると、いとおしくて、ほおずりしたくなります」と。

 親が子どもを溺愛する背景には、親自身の精神的な未熟さや、情緒的な欠陥があるとみる。そういう問題が基本にあって、夫婦仲が悪い、生活苦に追われる、やっとのことで子どもに恵まれたなどという事実が引き金となって、親は、溺愛に走るようになる。肉親の死や事故がきっかけで、子どもを溺愛するようになるケースも少なくない。そして本来、夫や家庭、他人や社会に向けるべき愛まで、すべて子どもに注いでしまう。その溺愛ママの典型的な会話。先生、子どもに向かって、「A君は、おとなになったら、何になるのかな?」母親、会話に割り込みながら、「Aは、どこへも行かないわよね。ずっと、ママのそばにいるわよねエ。そうよねエ〜」と。

 親が子どもを溺愛すると、子どもは、いわゆる溺愛児になる。柔和でおとなしく、覇気がない。幼児性の持続(いつまでも赤ちゃんぽい)や退行性(約束やルールが守れない、生活習慣がだらしなくなる)が見られることが多い。満足げにおっとりしているが、人格の核形成が遅れる。ここでいう「核」というのは、つかみどころをいう。輪郭といってもよい。子どもは年長児の中ごろから、少年少女期へと移行するが、溺愛児には、そのときになっても、「この子はこういう子だ」という輪郭が見えてこない。乳幼児のまま、大きくなる。ちょうどひざに抱かれたペットのようだから、私は「ペット児」と呼んでいる。

 このタイプの子どもは、やがて次のような経路をたどる。一つはそのままおとなになるケース。以前『冬彦さん』というドラマがあったが、そうなる。結婚してからも、「ママ、ママ」と言って、母親のふとんの中へ入って寝たりする。これが全体の約三〇%。もう一つは、その反動からか、やがて親に猛烈に反発するようになるケース。ふつうの反発ではない。はげしい家庭内暴力をともなうことが多い。乳幼児期から少年少女期への移行期に、しっかりとそのカラを脱いでおかなかったために、そうなる。だからたいていの親はこう言って、うろたえる。「小さいころは、いい子だったんです。どうして、こんな子どもになってしまったのでしょうか」と。これが残りの約七〇%。

 子どもがかわいいのは、当たり前。本能がそう思わせる。だから親は子どもを育てる。しかしそれはあくまでも本能。性欲や食欲と同じ、本能。その本能に溺れてよいことは、何もない。
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【121】「何だ、こいつ……。親の顔が見てみたい」・内政不干渉の大原則

 他人の子育てには干渉しない。この世界には、内政不干渉の大原則というのがある。つまりこの世界ほど、『言うは易く、行うは難し』という世界は、ない。こんなことがあった。

 私の姉の長男が、小学校入学を前に、急性のネフローゼ(腎機能障害)になり、そのため市内の総合病院に緊急入院することになった。姉は、隣町に住んでいたから、毎日電車でこの町へやってきて、そこからバスで病院へ通った。週に数度しかこなかった義兄ですら、そのため体重が四〜五キロ減ったというから、それがいかにたいへんだったかがわかる。長男は絶対安静のまま、数か月入院した。

 で、やっとのことで、本当にやっとのことで、姉は退院を入学式に間に合わせた。「何としても入学式までに」という思いが、天に通じた。が、はじめての参観日でのこと。担任の先生が姉を呼びとめて、こう言った。「お宅の子は左利きです。親がちゃんと指導しなかったから、こうなってしまったのです」と。学校から帰る道すがら、姉は、「左利きぐらいが、何だ!」と、泣けて泣けてしかたなかったという。

 他人の子育てに干渉して、「しつけがなっていない」とか言うのは、たいてい子育ての経験のない人だ。自分で子育てをしてみると、そのたいへんさがよくわかる。そしてそれがわかればわかるほど、口が重くなる。だいたいにおいて、思うようにならないのが子育て。あの『クレヨンしんちゃん』の中にも、こんなシーンがある(V7巻冒頭)。

 母親のみさえが庭掃除をしていると、二人の男子高校生が通りかかる。それを見て、みさえが、「何よ、あのかっこう。だらしないわね。親の顔を見てみたい」と。すると今度はその高校生たちが、こう叫ぶ。「な、何だ、こいつ……。親の顔が見てみたい」と。みさえがその方向を見ると、しんのすけが、チンチン丸出しで歩いてくる……。

 少し話が脱線したが、人はそれぞれの思いの中で自分の子育てをする。それが正しくても正しくなくても、その人はその人で、子どもを懸命に育てている。その懸命さを少しでも感じたら、その人の子育てを批判してはならない。私たちがせいぜいできることと言えば、その親の身になって、その心を軽くするようなことを言ったり、アドバイスすることでしかない。この私とて、この三〇年間貫いている主義が、一つ、ある。それはいかにその子どもに問題があったとしても、親の方から聞いてくるまでは、それを指摘しないということ。仮に相手が、「最近、うちの子、どうでしょう」と話しかけてきても、すかさず、「おうちではどうですか」と聞き返すことにしている。つまりそうすることで、親が何をどの程度まで知りたがっているか、さぐりを入れるようにしている。一見、冷たい指導法に見えるかもしれないが、それは子育てをしている親に対する、私の敬意の表れでもある。

 子育てには、その人の全人格が凝縮されている。ものの考え方、価値観、思想など、すべてがそこに集中する。だから相手の子育てを批判するということは、その人自身を批判することに等しい。だから、内政不干渉。この言葉のもつ意味の重さを理解していただければ、幸いである。
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【122】「たとえ我が子でも、許さない!」・因果応報

 仏教では、こう教える。『因果応報』と。ものごとには原因と結果があるという意味だが、これを教育の世界では、「世代伝播」という。たとえば暴力に慣れた子どもは、親になると、やはり暴力的な親になりやすい。育児拒否や家庭崩壊を経験した子どもは、親になると、家庭作りに失敗しやすい、など。反対に、頭のよい親の子どもは、概して頭がよい。いや、これは伝播というより、遺伝によるものか。つまり子育てというのは、よきにつけ悪しきにつけ、世代から世代へと、伝播しやすいということ。いろいろな例がある。

 ある父親は自分の娘を抱きながら、「これでいいのか」「どの程度、抱けばいいのか」「抱きグセがつくのではないか」と悩んでいた。自分自身が、いろいろと事情があって、親に抱かれた経験がなかった。あるいは別の親は、子どものささいな失敗を大げさにとらえては、子どもを殴り飛ばしていた。私が「何も、そこまでしなくても」と言うと、その父親は、「ワシは、まちがったことが大嫌いだ。たとえ我が子でも、許さない」と。その父親も、不幸にして不幸な家庭に育っていた。

 もしあなたが子育てをしていて、どこかにぎこちなさや、不自然さを感じたら、あなた自身の「親像」を疑ってみる。多分、あなたの中に、しっかりとした親像が入っていない。もっと言えば、あなたは「親」というものが、どういうものであるか知らないまま、今、子育てをしている。子育ては、自分の中に、「育てられた」という経験があって、はじめてできる。もう少し端的に言えば、子育ては本能ではなく、体験によってできるようになる。

 ところで愛知県の犬山市にあるモンキーセンターには、頭のよいチンパンジーがいるという。人間と会話もできるという。もっとも会話といっても、スイッチを押しながら、会話をするわけだが、そのチンパンジーが、一九九八年の夏、妊娠した。が、飼育係の人が心配したのは、そのことではない。「はたしてこのチンパンジーに、子育てができるかどうか」(中日新聞)だった。人工飼育された動物は、ふつう自分では子育てができない。チンパンジーのような、頭のよい動物はなおさらで、中には自分の子どもを見て、逃げ回る親もいるという。いわんや、人間をや。

 さて本論。それぞれの人には、それぞれの過去がある。それはそれだが、その前提として、完ぺきな過去をもった人は少ない。言いかえれば、どんな人でも、何らかの重荷を背負って生きている。子育てについて言えば、心やさしい両親の愛に包まれて、何の不自由もなく育った人のほうが、稀だ。つまり、どんな人でも、それぞれの問題をかかえている。しっかりとした親像がないからといって、自分の過去をのろってはいけない。

 そこであなた自身を振り返ってみてほしい。あなたはどんな子育てを受けただろうか。つまりどんな親像が入っているだろうか。もしあなたの過去に「暗い部分」があったら、それはあなたの代で断ち切る。子どもに伝えてはいけない。それを昔の人は、「因果を断つ」と言ったが、方法は簡単。その暗い部分に気づくだけでよい。それだけで、この問題の大半は解決する。一度、じっくりと、自分を観察してみてほしい。
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【123】「よくも、恥をかかせてくれたわね!」・気になる新築の家のキズ

 新築の家のキズは、気になる。私も少し前、ノートパソコンを通販で買ったが、そのパソコンには、最初から一本のすりキズがついていた。それがそのとき、私は気になってしかたがなかった。子育てもそうだ。子どもが年少であればあるほど、親は子育てに神経質になる。「英語教室の先生はアメリカ人だが、日系二世だ。ヘンな発音が身についてしまうのでは」「こっそりと参観に行ったら、一人で砂場で遊んでいた。いじめにあっているのでは」「授業中、隣の子と話をしていた。集中力がないのでは」など。それはわかるが、度を超すと、先生と親の信頼関係そのものを破壊する。いろいろなケースがある。

 ある幼稚園の若い先生は、電話のベルが鳴るたびに、心臓が止まる思いをしていた。また別のある幼稚園の園長は、一人の親からの小型の封筒の手紙が届くたびに、手を震わせていた。こうした症状がこうじて、長期休暇をとっている先生や、精神科の医師の世話になっている先生は多い。どこの幼稚園にも一人や二人は、必ずいる。

 親から見れば、子どもを介しての一対一の関係かもしれないが、先生から見ると、三〇名の生徒がいれば、一対三〇。一人や二人の苦情には対処できても、それが四人、五人ともなると、そうはいかない。しかも親の欲望には際限がない。できない子どもが、ふつうになったとしても、親は文句を言う。自分自身に完ぺきさを求めるならまだしも、先生や教育に、完ぺきさを求める。そしてささいなことを大げさにしては、執拗に、先生を責めたてる。

 ふだんは常識豊かな人でも、こと子どものこととなると、非常識になる人は多い。私もいろいろな経験をした。私が五月の連休中、授業を休んだことについて、「よそのクラスは月四回の指導を受けている。私のクラスは三回だ。補講せよ」と言ってきた父親(歯科医師)がいた。私がそれを断わると、その親は、「お前を詐欺罪で訴えてやる。ワシは顔が広い。お前の仕事をつぶすことぐらい、朝飯前だ」と。また別の日。たまたま参観にきていた父親に、授業を手伝ってもらったことがある。しかしあとで母親(妻)から、猛烈な抗議の電話がかかってきた。「よくもうちの主人に恥をかかせてくれたわね! どうしてくれるの!」と。ふつうの電話ではない。毎日、毎晩、しかもそれぞれの電話が、ネチネチと一時間以上も続いた。この電話には、さすがに私の女房もネをあげた。電話のベルの音がするたびに、女房はワナワナと体を震わせた。

 あなたが園や学校の先生に、あれこれ苦情を言いたい気持ちはよくわかる。不平や不満もあるだろう。しかし新築の家のキズはキズとして、あきらめることはサッとあきらめる。忘れることはサッと忘れる。子どもの教育に関心をもつことは大切なことだが、神経質な過関心は、思い出を見苦しくする。あなた自身や子どもの健康にも、よくない。よけいなことかもしれないが、子どもはキズだらけになってはじめて、たくましくなる。キズつくことを恐れてはいけない。私のパソコンも、今ではキズだらけ。最初のころは毎日、そのつどカバーをかけてしまっていたが、今では机の上に出しっぱなし。しかし使い勝手はぐんとよくなった。子育ても、それと同じ。今、つくづくとそう思う。
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【124】「母親は錯乱状態になって、暴れました」・己こそ、己のよるべ

 法句経の一節に、『己こそ、己のよるべ。己をおきて、誰によるべぞ』というのがある。法句経というのは、釈迦の生誕地に残る、原始経典の一つだと思えばよい。釈迦は、「自分こそが、自分が頼るところ。その自分をさておいて、誰に頼るべきか」と。つまり「自分のことは自分でせよ」と教えている。

 この釈迦の言葉を一語で言いかえると、「自由」ということになる。自由というのは、もともと「自らに由る」という意味である。つまり自由というのは、「自分で考え、自分で行動し、自分で責任をとる」ことをいう。好き勝手なことを気ままにすることを、自由とは言わない。子育ての基本は、この「自由」にある。

 子どもを自立させるためには、子どもを自由にする。が、いわゆる過干渉ママと呼ばれるタイプの母親は、それを許さない。先生が子どもに話しかけても、すぐ横から割り込んでくる。
 私、子どもに向かって、「きのうは、どこへ行ったのかな」母、横から、「おばあちゃんの家でしょ。おばあちゃんの家。そうでしょ。だったら、そう言いなさい」私、再び、子どもに向かって、「楽しかったかな」母、再び割り込んできて、「楽しかったわよね。そうでしょ。だったら、そう言いなさい」と。

 このタイプの母親は、子どもに対して、根強い不信感をもっている。その不信感が姿を変えて、過干渉となる。大きなわだかまりが、過干渉の原因となることもある。ある母親は今の夫といやいや結婚した。だから子どもが何か失敗するたびに、「いつになったら、あなたは、ちゃんとできるようになるの!」と、はげしく叱っていた。

 次に過保護ママと呼ばれるタイプの母親は、子どもに自分で結論を出させない。あるいは自分で行動させない。いろいろな過保護があるが、子どもに大きな影響を与えるのが、精神面での過保護。「乱暴な子とは遊ばせたくない」ということで、親の庇護のもとだけで子育てをするなど。子どもは精神的に未熟になり、ひ弱になる。俗にいう「温室育ち」というタイプの子どもになる。外へ出すと、すぐ風邪をひく。

 さらに溺愛タイプの母親は、子どもに責任をとらせない。自分と子どもの間に垣根がない。自分イコール、子どもというような考え方をする。ある母親はこう言った。「子ども同士が喧嘩をしているのを見ると、自分もその中に飛び込んでいって、相手の子どもを殴り飛ばしたい衝動にかられます」と。また別の母親は、自分の息子(中二)が傷害事件をひき起こし補導されたときのこと。警察で最後の最後まで、相手の子どものほうが悪いと言って、一歩も譲らなかった。たまたまその場に居あわせた人が、「母親は錯乱状態になり、ワーワーと泣き叫んだり、机を叩いたりして、手がつけられなかった」と話してくれた。

 己のことは己によらせる。一見冷たい子育てに見えるかもしれないが、子育ての基本は、子どもを自立させること。その原点をふみはずして、子育てはありえない。
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【125】「……どうしたらいいでしょうか」・帰宅拒否をする子ども

 不登校ばかりが問題になり、また目立つが、ほぼそれと同じ割合で、帰宅拒否の子どもがふえている。S君(年中児)の母親がこんな相談をしてきた。「幼稚園で帰る時刻になると、うちの子は、どこかへ行ってしまうのです。それで先生から電話がかかってきて、これからは迎えにきてほしいと。どうしたらいいでしょうか」と。

 そこで先生に会って話を聞くと、「バスで帰ることになっているが、その時刻になると、園舎の裏や炊事室の中など、そのつど、どこかへ隠れてしまうのです。そこで皆でさがすのですが、おかげでバスの発車時刻が、毎日のように遅れてしまうのです」と。私はその話を聞いて、「帰宅拒否」と判断した。原因はいろいろあるが、わかりやすく言えば、家庭が、家庭としての機能を果たしていない……。まずそれを疑ってみる。

 子どもには三つの世界がある。「家庭」と「園や学校」。それに「友人との交遊世界」。幼児のばあいは、この三つ目の世界はまだ小さいが、「園や学校」の比重が大きくなるにつれて、当然、家庭の役割も変わってくる。また変わらねばならない。子どもは外の世界で疲れた心や、キズついた心を、家庭の中でいやすようになる。つまり家庭が、「やすらぎの場」でなければならない。が、母親にはそれがわからない。S君の母親も、いつもこう言っていた。「子どもが外の世界で恥をかかないように、私は家庭でのしつけを大切にしています」と。

 アメリカの諺に、『ビロードのクッションより、カボチャの頭』というのがある。つまり人というのは、ビロードのクッションの上にいるよりも、カボチャの頭の上に座ったほうが、気が休まるということを言ったものだが、本来、家庭というのは、そのカボチャの頭のようでなくてはいけない。あなたがピリピリしていて、どうして子どもは気を休めることができるだろうか。そこでこんな簡単なテスト法がある。

 あなたの子どもが、園や学校から帰ってきたら、どこでどう気を休めるかを観察してみてほしい。もしあなたのいる前で、気を休めるようであれば、あなたと子どもは、きわめてよい人間関係にある。しかし好んで、あなたのいないところで気を休めたり、あなたの姿を見ると、どこかへ逃げていくようであれば、あなたと子どもは、かなり危険な状態にあると判断してよい。もう少しひどくなると、ここでいう帰宅拒否、さらには家出、ということになるかもしれない。

 少し話が脱線したが、小学生にも、また中高校生にも、帰宅拒否はある。帰宅時間が不自然に遅い。毎日のように寄り道や回り道をしてくる。あるいは外出や外泊が多いということであれば、この帰宅拒否を疑ってみる。家が狭くていつも外に遊びに行くというケースもあるが、子どもは無意識のうちにも、いやなことを避けるための行動をする。帰宅拒否もその一つだが、「家がいやだ」「おもしろくない」という思いが、回りまわって、帰宅拒否につながる。裏を返して言うと、毎日、園や学校から、子どもが明るい声で、「ただいま!」と帰ってくるだけでも、あなたの家庭はすばらしい家庭ということになる。
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【126】「そう言えば……」・子育ては条件反射

 子どもを育てるときは、子どもに子ども(あなたから見れば孫)の育て方を教えるつもりで育てる。子どもを叱るときは、子どもに子ども(孫)の叱り方を教えるつもりで叱る。これは子育ての大原則だが、しかしそうはうまくいかない。多くの親はこう言う。「頭の中ではわかっているのですが、いざその場になると、ついカッとしてしまって」と。その通り。子育てをいちいち考えてする人など、いない。

 わかりやすく言えば、子育ては条件反射のかたまり。条件反射が悪いというのではない。この条件反射があるから、人間の行動のほとんどは、スムーズに流れる。たとえば机の上のコップを手にするとき、「右手で取ろうか、左手で取ろうか」「コップの上のほうをつかもうか、下のほうをつかもうか」などと考えてする人は、いない。何も考えなくても、手はのび、コップをつかむ。無意識のうちに、そうする。問題は、その条件反射の中身。よい条件反射であれば、問題はない。たとえば子どもが何かを失敗したとき、すぐ子どもの立場になって、「だいじょうぶだった?」と聞くなど。しかし悪い条件反射もある。同じように子どもが何かを失敗したとき、「いつになったら、あなたは!」と言って、子どもの頭をバシッと叩くなど。こういう条件反射が日常化すると、あなたの子どもの心は、確実にゆがむ。性格もゆがむ。

 そこでもしそうなら、つまり悪い条件反射が日常化しているなら、あなた自身の中に潜んで、あなたを裏から操る「わだかまり」をさぐってみる。何か、あるはずである。たとえばあなたの子どもは、望む前に生まれてしまった子どもかもしれない。はじめての子どもで、何かにつけて不安と心配の連続だったかもしれない。あるいはあなたの子どもはいつもあなたにとって、失望の種であったかもしれない。子どもがあなたのいやな性格を引き継いでいて、それを見せつけられるたびに、不愉快になるということもある。ハキハキしない、生意気だ、返事のし方が気に食わない、など。

 自分自身が学歴コンプレックスをもっていて、子どもの成績がほんの少しさがっただけで、言いようのない不安にかられる人もいた。こんなケースもある。ある父親と息子(小三)だが、ささいなことですぐ大喧嘩になってしまう。その直前まで仲がよくても、だ。父親はこう言った。「人をバカにしたような目つきで私を見る。それが許せない。そこで『何だ、その目つきは!』と叱ると、私を無視して顔をそむける。それで喧嘩になってしまう」と。息子は息子で、「パパはすぐ怒る」と言う。そこでさらに父親に話を聞くと、「そう言えば……」と言って、こんなことを話してくれた。その父親は高校生のとき、いじめに苦しんでいた。そのいじめる相手が、同じような目つきをしていたというのだ。つまりそれがわだかまりになっていた。

 人間の心というのは、一見複雑なようで、その実、単純なものだ。わだかまりをさぐらなければ、条件反射はなくならない。が、そのわだかまりが何であるかわかれば、それだけでその条件反射は消える。そんなわけでもし、あなたがいつも悪い条件反射を繰り返しているというのであれば、一度、そのわだかまりをさぐってみたらよい。なぜ、同じことを繰り返すのか、と。そのあと多少の時間はかかるが、それで問題は解決する。
209〜


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