明らかに過保護な子ども(年中男児)がいた。原因は、おばあさん。そこである日、たまたま母親が迎えにきていたので、その母親にこう言った。「少し、おばあちゃんから離したほうがいいですよ」と。おばあさんは、ベタベタに子どもをかわいがっていた。が、この一言が、その後、大騒動の引き金になろうとは!
それから一か月後。母親がすっかり疲れきった様子で、幼稚園へやってきた。あまりの変わりように驚いて、私が「どうしたのですか」と声をかけると、こう話してくれた。「いやあ、先生、あれからたいへんでしたの。祖父母と別居か、さもなくば離婚ということになりまして、結局、祖父母とは別居することになりました」と。ほかのことならともかく、親も、こと子どものこととなると、妥協しない。こんなこともあった。
その老人は、たいへん温厚で、紳士的な人だった。あとで聞くと、中学校の教師をしていたという。その老人が、どういうわけだか、D君(年長児)の入試に、異常にこだわっていた。「先生、何としても孫には、A小学校に入ってもらわねば困るのです」と。私はその老人の気持ちが理解できなかった。「元先生ともあろう人が、どうして?」と。が、ある日、その理由がわかった。老人は、こう話してくれた。D君の父親は、隣町の浜北市で勤務医をしていた。もしD君がA小学校に入学すれば、D君は、その老人の家から小学校へ通うことになる。が、入学できなければ、D君は浜北市の親のもとへ帰ることになる、と。しかし入試の直前になって、事態が急変した。親が入試を受けることに、猛烈に反対し始めたのだ。私のところにも父親から電話がかかってきた。「今後は、我が家の教育については干渉しないでほしい。息子は浜北市の地元の小学校に通わせることにしたから」と。
この事件はそれで終わったが、それから半年後。そのときその老人は、自転車に乗っていたが、車ですれ違うと、別人のようにやつれて見えた。孫の手を引きながら、意気揚揚と幼稚園へ連れてきた、あのハツラツとした姿は、もうどこにもなかった。あとで聞くと、それからさらに半年後。その老人は何かの病気で亡くなってしまったという。その老人にとっては、孫育てが生きがい以上のもの、つまり「命」そのものだった。
孫を取りあって、父母との間で壮絶な、家庭内戦争を繰り広げている人はいくらでもいる。しかし世の中には、こんな悲惨な例もある。例というより、一度、あなた自身のこととして考えてみてほしい。あなたなら、こういうケースでは、一体どうするだろうか。
ある祖父母には、目に入れても痛くないほどの一人の孫がいた。が、その孫が交通事故にあった。手術をすれば助かったのだが、その手術に、嫁が、がんとして反対した。嫁は、ある宗教教団の熱心な信者だった。その教団では、手術を拒否するように指導している。一度私が教団に確認すると、「そういう指導はしていません。しかし熱心な信者なら、自ら拒否することもあるでしょう」とのこと。ともかくもそれで、その孫は死んでしまった。
その祖父はこう言って、言葉をつまらせた。「それまでは、愛だとか平和だとか、嫁の宗教も、それほど悪いものではないと思っていたのですが……」と。
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