エッセー10
はやし浩司
【127】「それまでは、愛だとか平和だとか……」・家庭内子育て戦争

 明らかに過保護な子ども(年中男児)がいた。原因は、おばあさん。そこである日、たまたま母親が迎えにきていたので、その母親にこう言った。「少し、おばあちゃんから離したほうがいいですよ」と。おばあさんは、ベタベタに子どもをかわいがっていた。が、この一言が、その後、大騒動の引き金になろうとは!

 それから一か月後。母親がすっかり疲れきった様子で、幼稚園へやってきた。あまりの変わりように驚いて、私が「どうしたのですか」と声をかけると、こう話してくれた。「いやあ、先生、あれからたいへんでしたの。祖父母と別居か、さもなくば離婚ということになりまして、結局、祖父母とは別居することになりました」と。ほかのことならともかく、親も、こと子どものこととなると、妥協しない。こんなこともあった。

 その老人は、たいへん温厚で、紳士的な人だった。あとで聞くと、中学校の教師をしていたという。その老人が、どういうわけだか、D君(年長児)の入試に、異常にこだわっていた。「先生、何としても孫には、A小学校に入ってもらわねば困るのです」と。私はその老人の気持ちが理解できなかった。「元先生ともあろう人が、どうして?」と。が、ある日、その理由がわかった。老人は、こう話してくれた。D君の父親は、隣町の浜北市で勤務医をしていた。もしD君がA小学校に入学すれば、D君は、その老人の家から小学校へ通うことになる。が、入学できなければ、D君は浜北市の親のもとへ帰ることになる、と。しかし入試の直前になって、事態が急変した。親が入試を受けることに、猛烈に反対し始めたのだ。私のところにも父親から電話がかかってきた。「今後は、我が家の教育については干渉しないでほしい。息子は浜北市の地元の小学校に通わせることにしたから」と。

 この事件はそれで終わったが、それから半年後。そのときその老人は、自転車に乗っていたが、車ですれ違うと、別人のようにやつれて見えた。孫の手を引きながら、意気揚揚と幼稚園へ連れてきた、あのハツラツとした姿は、もうどこにもなかった。あとで聞くと、それからさらに半年後。その老人は何かの病気で亡くなってしまったという。その老人にとっては、孫育てが生きがい以上のもの、つまり「命」そのものだった。

 孫を取りあって、父母との間で壮絶な、家庭内戦争を繰り広げている人はいくらでもいる。しかし世の中には、こんな悲惨な例もある。例というより、一度、あなた自身のこととして考えてみてほしい。あなたなら、こういうケースでは、一体どうするだろうか。

 ある祖父母には、目に入れても痛くないほどの一人の孫がいた。が、その孫が交通事故にあった。手術をすれば助かったのだが、その手術に、嫁が、がんとして反対した。嫁は、ある宗教教団の熱心な信者だった。その教団では、手術を拒否するように指導している。一度私が教団に確認すると、「そういう指導はしていません。しかし熱心な信者なら、自ら拒否することもあるでしょう」とのこと。ともかくもそれで、その孫は死んでしまった。 

 その祖父はこう言って、言葉をつまらせた。「それまでは、愛だとか平和だとか、嫁の宗教も、それほど悪いものではないと思っていたのですが……」と。
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【128】根性のある子ども

 自分の意思を貫こうとする強い自我を、根性という。この根性さえあれば、この世の中、何とかなる。反対にこの根性がないと、せっかくよい才能や頭脳をもっていても、ナヨナヨとした人生観の中で、社会に埋もれてしまう。

 ある男の子(年長児)は、レストランで、「もう一枚、ピザを食べる」と言い出した。そこで母親が、「お兄ちゃんと半分ずつにしなさい」と言うと、「どうしても一枚食べる」と。母親はあきらめて、もう一枚注文したが、その子どもは、ヒーヒー言いながら食べたという。あとで母親が、「おとなでも二枚はたいへんなのに」と笑っていた。

 またある幼稚園で先生が一人の男の子(年中児)に、「あんたなんか、もう、おうちに帰りなさい!」と言ったときのこと。先生は軽いおどしのつもりでそう言っただけなのだが、その子どもは先生の目を盗んで教室を抜け出し、家まで歩いて帰ってしまった。先生も、まさか本当に帰るとは思っていなかった。母親もまた、「おとなの足で歩いても、一時間はかかるのに」と笑っていた。こういう子どもを、根性のある子どもという。

 その自我。育てる、育てないという視点ではなく、引き出す、つぶすという視点で考える。つまりもともとどんな子どもにも、自我は平等に備わっているとみる。それは庭にたむろするスズメのようなものだ。あのスズメたちは、犬の目を盗んでは、ドッグフードをかすめ取っていく。そういうたくましさが人間にもあったからこそ、私たちは、何十万年もの長い年月を、生きのびることができた。

 が、多くの親たちは、その自我をつぶしてしまう。過干渉や過関心、威圧的な子育てや親の完ぺき主義、さらには親の情緒不安が、子どもの自我をつぶす。親が設計図をつくり、その設計図にあてはめるのも、まずい。子どもは小さくなり、その小さくなった分だけ、自我をそがれる。

 反対に自我を引き出すためには、まず子どもは、あるがままを認める。そしてあるがままを受け入れる。できがよくても、悪くても、「これがうちの子だ」と納得する。もっとはっきり言えば、あ・き・ら・め・る。一見いいかげんな子育てに見えるかもしれないが、子どもは、そのいいかげんな部分で、羽を伸ばす。自分の自我を引き出す。

 ただしここでいう自我と、がんこは区別する。自分のカラに閉じこもり、かたくなな様子になるのは、がんこという。たとえばある男の子(年長児)は、幼稚園では同じ席でないと、絶対に座らなかった。また別の男の子(年長児)は、二年間、ただの一度もお迎えにくる先生に、あいさつをしなかった。そういうのは、がんこという。

 また自我は、わがままとも区別する。「この前、お兄ちゃんは、○○を買ってもらったのに、どうしてぼくには買ってくれないのか」と、主張するのは自我。しかし理由もなく、「あれ買って!」「これ買って!」と泣き叫ぶのは、わがままということになる。ふつう幼児のばあい、わがままは無視するという方法で対処する。「わがままを言っても、誰も相手にしませんよ」という姿勢を貫く。
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司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 はやしひろし 林ひろし 静岡県 浜松市 幼
児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 はやし浩司・林浩二(司) 林浩司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐
阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 Hiroshi Hayashi / 1970 IH student/International House / Melbourne Univ.
【129】「よけいなお節介だ」・壮絶な家庭内暴力

 T君は私の教え子だった。両親は共に中学校の教師をしていた。私は七、八年ぶりにそのT君(中二)のうわさを耳にした。たまたまその隣家の人が、私の生徒の父母だったからだ。いわく、「家の中の戸や、ガラスはすべてはずしてあります」「お父さんもお母さんも、廊下を通るときは、はって通るのだそうです」「お母さんは、中学校の教師を退職しました」と。私は壮絶な家庭内暴力を、頭の中に思い浮かべた。

 T君はものわかりのよい「よい子(?)」だった。砂場でスコップを横取りされても、そのまま渡してしまうような子どもで、やさしく、いつも柔和な笑みを浮かべていた。しかし私は、T君の心に、いつもモヤのような膜がかかっているのが気になっていた。

 よく誤解されるが、幼児教育の世界で「すなおな子ども」というときは、自分の思っていることや考えていることを,ストレートに表現できる子どものことをいう。従順で、ものわかりのよい子どもを、すなおな子どもとは、決して言わない。むしろこのタイプの子どもは、心に受けるストレスを内へ内へとためこんでしまうため、心をゆがめやすい。T君はまさに、そんなタイプの子どもだった。

 症状は正反対だが、しかしこの家庭内暴力と同列に置いて考えるのが、引きこもりである。家の中に引きこもるという症状に合わせて、夜と昼の逆転現象、無感動、無表情などの症状が現われてくる。しかし心はいつも緊張状態にあるため、ふとしたきっかけで爆発的に怒ったり、暴れたりする。少年期に発症すると、そのまま学校へ行かなくなってしまうことが多い。このタイプの子どもも、やはり外の世界では、信じられないほど「よい子」を演ずる。

 そのT君について、こんな思い出がある。私がT君の心のゆがみを、母親に告げようとしたときのことである。いや、その前に一度、こんなことがあった。私が幼稚園の別の教室で授業をしていると、T君はいつもこっそりと自分の教室を抜け出し、私の教室へきて、学習していた。T君の担任が、よく連れ戻しにきた。そこである日、私はT君の母親に電話をした。「私の教室へよこしませんか」と。それに答えてT君の母親は猛烈に怒って、「勝手に誘わないでほしい。うちにはうちの教育方針というものがあるから!」と。しかしT君はそれからしばらくして、私の教室へ来るようになった。家でT君が、「行きたい」と、せがんだからだと思う。以後私は、半年の間、T君を教えた。

 で、その「ゆがみ」を告げようとしたときのこと。母親はこう言った。「あんたは、私たちがお願いしていることだけをしてくれればいい」と。つまり「よけいなお節介だ」と。

 子どもの心のゆがみは、できるだけ早い時期に知り、そして対処するのがよい。しかし現実にはそれは不可能に近い。指摘する私たちにしても、「もしまちがっていたら……」という迷いがある。「このまま何とかやり過ごそう」という、ことなかれ主義も働く。が、何と言っても、親自身にその自覚がない。知識もない。どの人も、行きつくところまで行って、自分で気づくしかない。教育にはどうしても、そういう面がつきまとう。
writer/essayist/law student/Japan/born in 1947/武義高校 林こうじ はやしこうじ 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ
 金沢大学法文学部卒 教育評論家 ハローワールド(雑誌)・よくできました(教材) スモッカの知恵の木 ジャックと英語の木 (CAI) 
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【130】「バカとは何よ! あやまりなさい!」・父母との交際は慎重に

 教育の世界では、たった一言が大問題になるということがよくある。こんな事件が、ある小学校であった。その学校の先生が一人の母親に、「子どもを塾へ四つもやっているバカな親がいる」と、ふと口をすべらせてしまった。その先生は、「バカ」という言葉を使ってしまったのだが、今どき、四つぐらいの塾なら、珍しくない。英語教室に水泳教室、ソロバン塾に学習塾など。そこでそれぞれの親が、自分のことを言われたと思い、教育委員会を巻き込んだ大騒動へと発展してしまった。結局その先生は、任期の途中で転校せざるをえなくなってしまった。が、実は私にも、これに似たような経験がある。

 母親たちが五月の連休中に、子どもたちを連れてディズニーランドへ行ってきた。それはそれですんだのだが、そのあと一人の母親に会ったとき、私が、「あなたは行きましたか」と聞いた。するとその母親は、「行きませんでした」と。そこで私は(連休中は混雑していて、たいへんだっただろう)という思いを込めて、「それは賢明でしたね」と言ってしまった。が、この話は、一晩のうちにすべての母親に伝わってしまった。しかもどこかで話がねじ曲げられ、「五月の連休中にディズニーランドへ子どもを連れていったヤツはバカだと、あのはやしが笑っていた」ということになってしまった。数日後、ものすごい剣幕の母親たちの一団が、私のところへやってきた。「バカとは何よ! あやまりなさい!」と。

 母親同士のトラブルとなると、日常茶飯事。「言ったの、言わないの」の大喧嘩になることも珍しくない。そしてこの世界、一度こじれると、とことんこじれる。現に今、市内のある小学校で、母親同士のトラブルが裁判ざたになっているケースがある。

 そこで教訓。父母との交際は、水のように淡々とすべし。できれば事務的に。できれば必要最小限に。そしてここが大切だが、先生やほかの父母の悪口は言わない。聞かない。そして相づちも打たない。相づちを打てば打ったで、今度はあなたが言った言葉として、ほかの人に伝わってしまう。「あの林さんも、そう言っていましたよ」と。

 教育と言いながら、その水面下では、醜い人間のドラマが飛び交っている。しかも間に「子ども」がいるため、互いに容赦しない。それこそ血みどろかつ、命がけの闘いを繰り広げる。一〇人のうち九人がまともでも、一人はまともでない人がいる。このまともでない人が、めんどうを大きくする。が、それでもそういう人との交際を避けて通れないとしたら……。そのときはこうする。

 イギリスの格言に、『相手は自分が相手を思うように、あなたのことを思う』というのがある。つまりあなたが相手を「よい人だ」と思っていると、相手もあなたのことを「よい人だ」と思うようになる。反対に「いやな人だ」と思っていると、相手も「いやな人だ」と思うようになる。だから子どもがからんだ教育の世界では、いつも先生や父母を「よい人だ」と思うようにする。相手のよい面だけを見て、そしてそれをほめるようにする。要するにこの世界では、敵を作らないこと。何度も繰り返すが、ほかの世界のことならともかく、子どもが間にからんでいるだけに、そこは慎重に考えて行動する。
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【131】「勉強しろ!」「ウルサイ!」・見え、メンツ、世間体

 見え、メンツ、それに世間体。どれも同じようなものだが、この三つが家庭教育をゆがめる。裏を返せば、この三つから解放されたら、家庭教育にまつわるほとんどの悩みは解消する。まず見え。「このH市では出身高校で人物は評価されます」と、断言した母親がいた。「だからどうしてもうちの子はA高校に入ってもらわねば、困ります」と。しかし見えにこだわると、親も苦しむが、それ以上に、子どもも苦しむ。

 次にメンツ。ある母親は中学校での進学校別懇談会には、「恥ずかしいから」と、一度も顔を出さなかった。また別の母親は、子どもが高校へ入学してからというもの、毎朝、自動車で送り迎えしていた。「近所の人に、子どもの制服を見られたくないから」というのが、その理由だったようだ。また駅の近くで、毎朝、制服に着がえてから、通学していた子どももいた。が、こういう姿勢は子どもの自尊心を傷つける。子どもを卑屈にする。

 最後に世間体。見えやメンツにこだわる親は、やがて世間体をとりつくろうようになる。「どうしてもうちの子どもにはA高校を受験してもらいます」と言った親がいた。私が「無理だと思いますが」と言うと、「一応、そういうところを受験して、すべったという形を作っておきたいのです」と。何とか「形」だけは整えようとするわけだが、ここから多くの悲喜劇が生まれる。私のような立場の人間が、「世間は、あなたのことを、そんなに気にしていませんよ」と言っても、無駄。このタイプの親は、世界は自分を中心にして回っているかのように錯覚している。あるいは世界中が自分に注目しているようかのように錯覚している。

 考えてみればドングリの背くらべ。A高校だろうがC高校だろうが、日本というちっぽけな国の、そのまたちっぽけな町の、序列にすぎない。この地球という惑星にしても、宇宙から見ればゴミのような存在ではないか。私の部屋には太陽と地球の模型がかざってある。太陽を直径一五センチの球にしてみると、地球は、それから約一〇メートルも離れたところにある、直径〇・五ミリ(一ミリの半分!)の玉にすぎない。にもかかわらずその時期になると、多くの親たちは子どもの受験戦争に狂奔する。

 しかし一言。学歴にぶらさがって生きている人は、結局はその学歴で苦しむようになる。ある父親は、ことあるごとに自分の出身高校を自慢していた。「そうそう今度ね、A高校の同窓仲間と、ゴルフをしましてね」とか。それとなく会話の中に、自分の出身高校名を織り込むわけだが、やがて自分の息子(中三)がいよいよ高校受験ということになったときのこと。しかしその子どもにはその力はなかった。なかったから、その分その親は、見えとメンツの中で、地獄の苦しみを味わうハメになった。ほとんど毎晩、その父親と息子は、「勉強しろ!」「ウルサイ!」の大乱闘を繰り返していた。

 この見えやメンツ。それに世間体と闘う方法があるとすれば、それは「私は私、人は人」という、人生観をもつこと以外にない。が、これは容易なことではない。人生観というのはそういうもので、一朝一夕には確立できない。
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【132】「あんたは、教師ヅラをして……」・一〇%のニヒリズム

 次に入る音楽教室に入会届けを出したあと、それまでの先生にはこう言う。「先生、うちの子どもの、これからのことで相談したいのですが……」と。しかし子どもというのは、隠しごとができない。何らかの形で、先生に伝えてしまう。「今度、B教室へ入ることになったよ。ママが先生には内緒だってエ」と。そういうとき先生の心は、とことんキズつく。

 この世界には、一〇%のニヒリズムという言葉がある。どんなに教育に没頭しても、最後の一〇%は、自分のためにとっておくという意味である。そうでないと、この世界、身も心もズタズタにされてしまう。たとえば武田鉄也が演ずる『金八先生』というドラマがある。いつもすばらしい先生を彼は演ずるが、現実にはああいう先生はありえない。それはちょうど刑事ドラマの中で、刑事と悪党が、ピストルでバンバンと撃ちあうようなものだ。ドラマとしてはおもしろいが、それはあくまでもドラマ。

 ああいうのを見て、「これが理想の先生だ」と錯覚してもらっては困る。「教育、教育」と言いながら、その底流では、どす黒い人間の欲望が渦巻いている。今、教育そのものが、商品化している。自動販売機論というのさえある。「お金を出せば、教育が自動的に出てくる」と。事実、おけいこ塾のばあい、教える側の都合で入会を断わったりすると、親はそれに猛烈に反発する。「どうして、うちの子は入れてもらえないのですか!」と。ある塾の先生はこう話してくれた。「入会を断わったら、親は、デパートで販売拒否にでもあったかのように、怒りました」と。

 昔から、『一寸の虫にも五分の魂』と言うではないか。いくらおけいこ塾の先生でも、お金のためだけに仕事をしているのではない。「金を出すから、教えろ」と言われると、教える熱意そのものが消える。中には、先生の人格をまったく認めていない親もいる。私にもこんな経験がある。私はそのとき、何か別のことをしていて、それに気がつかなかった。三〇代のはじめで、ちょうどそのころ、過労が原因で左耳の聴力を完全になくしている。そのこともあって、その女の子(年長児)が、私にあいさつをしたのに気がつかなかった。が、それをうしろ見ていた母親が怒った。「あんたは、教師ヅラをして、子どもにあいさつもできないのですか!」と。それだけではない。その夜、父親からも電話がかかってきた。いわく、「うちの娘の心にキズがついた。何とかしろ!」と。私が「では、どうすればいいのですか」と聞くと、「明日、娘を連れていくから、娘の前で頭をさげて、あやまれ」と。

 こうした親は一部であるにせよ、現実にいる。いる以上、先生と呼ばれる人は、一〇%のニヒリズムを捨てることができない。これには園や学校の先生、おけいこ塾の先生もない。いや、おけいこ塾のばあいは、最終的な手段として、生徒にやめてもらうことができる。しかし園や学校の先生にはそれができない。できないから、そのしわ寄せは、現場の先生のところに集まってしまう。「あなたのような、できそこないの親の子どもなんか、教えたくありません」と、堂々と言えたら、先生も、どんなに気が楽なことか。今、教育の世界で仕事をしようと思ったら、……。この先はここでは書けない。読者の皆さん自身で、この「……」の部分を考えてみてほしい。
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【133】「頭はボコボコ、顔中、あざだらけ」・虐待される子ども
                    
 ある日曜日の午後。一人の子ども(小五男児)が、幼稚園に駆け込んできた。富士市で幼稚園の園長をしているI氏は、そのときの様子を、こう話してくれた。「見ると、頭はボコボコ、顔中、あざだらけでした。泣くでもなし、体をワナワナと震わせていました」と。虐待である。逃げるといっても、ほかに適当な場所を思いつかなかったのだろう。その子どもは、昔、通ったことのある、その幼稚園へ逃げてきた。

 カナーという学者は、虐待を次のように定義している。@過度の敵意と冷淡、A完ぺき主義、B代償的過保護。ここでいう代償的過保護というのは、愛情に根ざした本来の過保護ではなく、子どもを自分の支配下において、思い通りにしたいという、親のエゴに基づいた過保護をいう。その結果子どもは、@愛情飢餓(愛情に飢えた状態)、A強迫傾向(いつも何かに強迫されているかのように、おびえる)、B情緒的未成熟(感情のコントロールができない)などの症状を示し、さまざまな問題行動を起こすようになる。

 I氏はこう話してくれた。「その子どもは、双子で生まれたうちの一人。もう一人は女の子でした。母子家庭で、母親はその息子だけを、ことのほか嫌っていたようでした」と。私が「母と子の間に、大きなわだかまりがあったのでしょうね」と問いかけると、「多分その男の子が、離婚した夫と、顔や様子がそっくりだったからではないでしょうか」と。

 親が子どもを虐待する理由として、ホルネイという学者は、@親自身が障害をもっている。A子どもが親の重荷になっている。B子どもが親にとって、失望の種になっている。C親が情緒的に未成熟で、子どもが問題を解決するための手段になっている、の四つをあげている。それはともかくも、虐待というときは、その程度が体罰の範囲を超えていることをいう。I氏のケースでも、母親はバットで、息子の頭を殴りつけていた。わかりやすく言えば、殺す寸前までのことをする。そして当然のことながら、子どもは、体のみならず、心にも深いキズを負う。学習中、一人ニヤニヤ笑い続けていた女の子(小二)。夜な夜な、動物のようなうめき声をあげて、近所を走り回っていた女の子(小三)などがいた。

 問題をどう解決するかということよりも、こういうケースでは、親子を分離させたほうがよい。教育委員会の指導で保護施設に入れるという方法もあるが、実際にはそうは簡単ではない。父親と子どもを半ば強制的に分離したため、父親に、「お前を一生かかっても、殺してやる」と脅されている学校の先生もいる。あるいはせっかく分離しても、母親が優柔不断で、暴力を振るう父親と、別れたりよりを戻したりを繰り返しているケースもある。

 結論を言えば、たとえ親子の間のできごととはいえ、一方的な暴力は、犯罪であるという認識を、社会がもつべきである。そしてそういう前提で、教育機関も警察も動く。いつか私はこのコラムの中で、「内政不干渉の原則」を書いたが、この問題だけは別。子どもが虐待されているのを見たら、近くの児童相談所へ通報したらよい。「警察……」という方法もあるが、「どうしても大げさになってしまうため、児童相談所のほうがよいでしょう。そのほうが適切に対処してくれます」(S小学校N校長)とのこと。

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【134】「一度でいいから、会わせてください」・キズつく子どもたち

 ある日、F君(年長児)の母親が、幼稚園へやってきた。そして私の授業をどうしても、参観させてほしいと言った。私がそれを断ると、母親は泣き崩れて、ドアのところで身をかがめてしまった。つき添ってきた女性(母親の姉)も、「一度でいいから」と、私に迫った。が、私にはどうすることもできなかった。F君には、そのとき、新しい母親がいた。その母親は母親で、F君の心をつかもうと必死だった。F君の祖母からも、「仮にそういうことがあっても、決して、前の母親には会わせないでほしい」と、何度も念を押されていた。しかし私が母親に参観させることができなかった理由は、ほかにあった。

 離婚するのは離婚する人の勝手だが、そこに至る騒動が、子どもの心をキズつける。こんなことがあった。ある日J君(年中児)に、「絵を描いてごらん」と紙を渡したときのこと。J君はクレヨンで真っ黒に塗りつぶしてしまった。そこでもう一度、紙を渡すと、その紙も同じように塗りつぶしてしまった。軽く叱ると、今度は足で机をひっくり返してしまった。あとで母親にその理由を聞くと、「実はその前夜、夫が蒸発しまして……」と。

 一般論として、子どもというのは引っ越しなど、環境の変化には、たいへん強い適応力を見せる。しかし愛情の変化には、もろい。夫婦喧嘩も、ある一定のワクの中でするなら問題はないが、そのワクを超えると、子どもに大きな影響を与える。ものの考え方が粗雑化する。感情のコントロールができなくなる。育児拒否児、家庭崩壊児に似た症状を示すこともある。ある子ども(年長男児)は、いくら先生に叱られても、口をキッと結んだまま、涙一つこぼさなかった。自然な感情表現そのものも、自ら押し殺してしまう。そしてそれが慢性化すると、俗にいう、「ひねくれ症状」が出てくる。私「誰だ、このクレヨンをバラバラにしたのは」子「体がひっかかって、落ちた」私「だったら、拾っておきなさい」子「先生がそんなところに置くから悪い」私「置いても、落としたのは君なんだから、拾うべきだ」子「先生だって、この前、落としたクセに……」私「……」と。

 それにもう一つ一般論。たった一度でも、その衝撃が大きければ大きいほど、子どもの心には、取り返しがつかないほどの大きなキズがつく。以前だが、NHKの報道番組の中で、失語症になってしまった女性(二〇歳ぐらい)が紹介されていた。彼女は一〇歳ぐらいのとき、両親が目の前で惨殺されるのを目撃してしまった。以来、声が出なくなってしまったという。戦時下のサラエボで起きた悲劇だが、これに似たケースはいくらでもある。実は冒頭にあげたF君も、そうだった。会ったときから、強度の自閉傾向を示していた。勝手にあちこちを動き回り、自分からは決して心を開こうとしなかった。意味のない独り言をボソボソと言い続けるなど、話しかけても、会話そのものが、かみあわない。

私「今日はいい天気だね」
F「冷蔵庫の上に、トンボ!」と。

 突然、奇声をあげて教室の中を走り回ったり、私の手にかみつくこともあった。そんな姿を母親が見たら、その母親はどう思うだろう。私にはそれを見せることができなかった。私は別れぎわ、その母親にはこう言った。「心配しなくても、いいですよ。F君は、今、元気にやっていますから」と。
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【135】「二人のダ作を作るより、子どもは一人」・すさまじい学歴信仰

 すさまじいほどのエネルギーで、子どもの教育に没頭する人がいる。私の記憶の中でも、そのナンバーワンは、Eさん(母親)だった。Eさんは、息子(小三)のテストで、先生の採点がまちがっていたりすると、学校へ行き、それを訂正させていた。成績がさがったときも、そうだ。「成績のつけ方がおかしい」と、先生にどこまでも食いさがった。そのEさん、口グセはいつも同じ。「学歴は人生のパスポート」「二人のダ作を作るより、子どもは一人」「幼児期からしっかりと教育すれば、子どもはどんな大学でも入れる」など。具体的にはEさんは、「東大」という名前を口にした。そのEさんと私は、昔、同じ町内に住んでいた。Eさんは、私の家に遊びにきては、よく息子の自慢話をした。

 息子が小学五年生になると、Eさんは息子を市内の進学塾に入れた。それまでEさんは車の免許証をもっていなかったが、塾の送り迎え用にと免許を取り、そして軽自動車を購入した。さらに中古だったがコピー機まで購入し、塾の勉強に備えた。この程度のことならよくあることだが、ここからがEさんらしいところ。息子が風邪などで塾を休んだりすると、Eさんは代わりに塾へ行き、授業を受けた。そして教材やプリント類を家へもって帰った。ふつうならそういうことは人には言わないものだが、Eさんにとっては、それも自慢話だった。私にはこう言った。「塾の教材で、私が個人レッスンをしています」と。息子のできがよかったことが、Eさんの教育熱に拍車をかけた。それほど裕福な家庭ではなかったが、毎年のように、国外でのサマーキャンプやホームステイに参加させていた。一式三〇万円もする英会話教材を購入したこともある。

 息子が高校一年になったときのこと。私はたまたま駅でEさん夫婦と会った。Eさんは、満面に笑顔を浮かべてこう言った。「はやしさん、息子がA高校に入りました。猛勉強のおかげです」と。開口一番、息子の進学先を口にする親というのは、そうはいない。私は「はあ」と答えるのが精一杯だった。ふと見ると、Eさんの夫は、元気のない顔で、私から視線をはずした。Eさんと夫が、あまりにも対照的だったのが心に残った。

 Eさんを見ていると、教育とは何か、そこまで考えてしまう。あるいはEさんの人生とは何か、そこまで考えてしまう。信仰しながらも、自分を保ちながら信仰する人もいれば、それにのめり込んでしまう人もいる。Eさんは、まさに学歴信仰の盲信者。が、それだけではない。人は一つのことを盲信すればするほど、その返す刀で、相手に向かって、「あなたはまちがっている」と言う。あるいはそういう態度をとる。自分の尺度だけでものを考え、「あなたもそうであるべきだ」と言う。それが周囲の者を、不愉快にする。

 学歴信仰が無駄だとは言わない。現にその学歴のおかげで、のんびりと優雅な生活をしている人はいくらでもいる。あやしげな宗教よりは、ご利益は大きい。その上、確実。そういう現実がある以上、子どもの受験勉強にのめり込む親がいても不思議ではない。しかしこれだけは覚えておくとよい。Eさんのようにうまくいくケースは、一〇に一つもない。残りの九は失敗する。しかもたいてい悲惨な結果を招く。学歴信仰とはそういうもの。
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【136】「所詮、性なんて無だよ、無」・変わった性意識

 うちへ遊びにきた女子高校生たち四人が、春休みにドライブに行くと言う。みんな私の教え子だ。そこで話を聞くと、うち三人は高校の教師と、もう一人は中学時代の部活の顧問と行くという。しかも四人の教師のうち、独身なのは一人だけ。あとは妻帯者。私はその話を聞いて、こう言った。「大のおとなが一日つぶしてドライブに行くということが、どういうことだか、君たちにわかるか。無事では帰れないぞ」と。それに答えてその高校生たちは明るく笑いながら、こう言った。「先生、古〜イ。ヘンなこと想像しないでエ!」と。

 しかし私は悩んだ。親に言うべきか否か、と。言えば、行くのをやめる。しかしそうすればしたで、それで私と彼女たちの信頼関係は消える。私は悩みに悩んだあげく、女房に相談した。すると女房はこう言った。「ふ〜ン。私も(高校時代に)もっと遊んでおけばよかった」と。私はその一言にドキッとしたが、それは女房の冗談だと思った。思って、いよいよ春休みという間ぎわになって、その中の一人に電話をした。そしてこう言った。「これは君たちを教えたことのある、一人の教師の意見として聞いてほしい。ドライブに行ってはダメだ」と。するとその女子高校生はしばらく沈黙したあと、こう言った。「じゃあ、先生、あんたが連れてってヨ。あんたは車の運転ができないのでしょ!」と。

 以来一〇年近くになるが、私は一切、この類の話には、「我、関せず」を貫いている。はっきり言えば、今の若い人たちの考え方が、どうにもこうにも理解できない。私たち団塊の世代にとっては、男はいつも加害者であり、女はいつも被害者。遊ぶのは男、遊ばれるのは女と考える。しかし今ではこの図式は通用しない。女が遊び、男が遊ばれる時代になった。だから時折、援助交際についても意見を求められるが、私には答えようがない。私が理解できる常識の範囲を超えている。ただ言えることは、世代ごとに性に対する考え方は大きく変わったし、変わったという前提で議論するしかないということ。避妊教育や性病教育を徹底する一方、未婚の母問題にも一定の結論を出す。やがては学校内に託児所を設置したり、授業でセックスのし方についての指導をすることも考えなくてはならない。

 厚生省の調査によると、女子高校生の三九%が性交渉を経験し、一〇代の中絶者は、三万五〇〇〇人に達したという(九九年)。しかしこの数字とて、控え目なものだ。つまりこの問題だけは、「おさえる」という視点では解決しないし、おさえても意味がない。ただ許せないのは、分別もあるはずのおとなたちが、若い人たちを食いものにして、金を儲けたり遊んだりすることだ。先に生まれた者が、あとに生まれた者を食いものにするとは、何ごとぞ!、と。私はもともと法科出身なので、すぐこういう発想になってしまうが、こういうおとなたちは厳罰に処すればよい。アメリカ並に、未成年者と性交渉をもったら、即、逮捕する、とか。しかしこういう考え方そのものも、もう古いのかもしれない。

 かつて今東光氏は、私が東京のがんセンターに彼を見舞ったとき、こう教えてくれた。「所詮、性なんて、無だよ、無」と。……実は私もそう思い始めている。

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【137】「親のために、大学へ行ってやる」・本末転倒の世界

 「老人のような役立たずは、はやく死んでしまえばいい」と言った、高校生がいた。そこで私が、「君だって、老人になるんだよ」と言うと、「ぼくは、人に迷惑をかけない。それにそれまでにうんと、お金を稼いでおくからいい」と。そこでさらに私が、「君は、親のめんどうをみないのか」と聞くと、こう言った。「それだけのお金を残してくれるなら、めんどうをみる」と。親の恩も遺産次第というわけだが、今、こういう若者がふえている。

 一九九七年、総理府が成人式を迎えた青年を対象に、こんな意識調査をした。「親の老後のめんどうを、あなたはみるか」と。それに対して、「どんなことをしてでも、みる」と答えた若者は、たったの一九%! この数字がいかに低いかは、たとえばアメリカ人の若者の、六〇数%。さらに東南アジアの若者たちの、八〇〜九〇%という数字と比較してみるとわかる。しかもこの数字は、その三年前(九四年)の数字より、四ポイントもさがっている。このことからもわかるように、若者たちのドラ息子化は、ますます進行している。

 一方、日本では少子化の波を受けて、親たちはますます子どもに手をかけるようになった。金もかける。今、東京などの都会へ大学生を一人、出すと、毎月の仕送り額だけでも、平均二七万円。この額は、平均的サラリーマンの年収(一〇〇五万円)の、三割強。だからどこの家でも、子どもが大学へ行くようになると、母親はパートに出て働く。それこそ爪に灯をともすような生活を強いられる。が、肝心の大学生は、大学生とは名ばかり。大学という巨大な遊園地で、遊びまくっている! 先日も京都に住む自分の息子の生活を、見て驚いた母親がいた。春先だったというが、一日中、電気ストーブはつけっぱなし。毎月の電話代だけでも、数万円も使っていたという。

 もちろん子どもたちにも言い分は、ある。「幼児のときから、勉強、勉強と言われてきた。何をいまさら」ということになる。「親のために、大学へ行ってやる」と豪語する子どもすらいる。今、行きたい大学で、したい勉強のできる高校生は、一〇%もいないのではないか。大半の高校生は、「行ける大学」の「行ける学部」という視点で、大学を選ぶ。あるいはブランドだけで、大学を選ぶ。だからますます遊ぶ。年に数日、講義に出ただけで卒業できたという学生もいる(新聞の投書)。

 こういう話を、幼児をもつ親たちに懇談会の席でしたら、ある母親はこう言った。「先生、私たち夫婦が、そのドラ息子ドラ娘なんです。どうしたらよいでしょうか」と。私の話は、すでに一世代前の話、というわけである。私があきれていると、その母親は、さらにこう言った。「今でも、毎月実家から、生活費の援助を受けています。子どものおけいこ塾の費用だけでも、月に四万円もかかります」と。しかし……。今、こういう親を、誰が笑うことができるだろうか。(親から大学生への支出額は、平均で年、三一九万円。月平均になおすと、約二六・六万円。毎月の仕送り額が、平均約一二万円。そのうち生活費が六万五〇〇〇円。大学生をかかえる親の平均年収は一〇〇五万円。自宅外通学のばあい、親の二七%が借金をし、平均借金額は、一八二万円。一九九九年、東京地区私立大学教職員組合連合調査。)
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【138】「あのはやしは頭がおかしい」・個性とはバイタリティ

 頭からちょうちんをぶらさげて、キンキラ金の化粧をすることを、個性とは言わない。個性とはバイタリティ。「私は私」という生きざまを貫くバイタリティをいう。結果としてその人は自分流の生きざまを作るが、それはあくまでも結果。私の友人のことを書く。

 私はある時期、二人の仲間と、ある財界人のブレーンとして働いたことがある。一人は秋元氏。日韓ユネスコ交換学生の一年、先輩。もう一人はピーター氏。メルボルン大学時代の一年、後輩。私たちは札幌オリンピック(七二年)のあとの、国家プロジェクトの企画を任された。が、ニクソンショックで計画はとん挫。私たちは散り散りになったが、それから二〇年後。秋元氏は四〇歳そこそこの若さで、日本ペプシコの副社長に就任。またピーター氏は、オーストラリアで「ベンティーン」という宝石加工販売会社を起こし、やはり四〇歳そこそこの若さで、巨億の財を築いた。オーストラリア政府から、取り扱い高ナンバーワンで、表彰されている。

 三〇年前の当時を思い出して、彼らが特別の人間であったかどうかと言われても、私はそうは思わない。見た感じでも、ごくふつうの青年だった。しいて言えば、彼らはいつも何かの目標をもっていたし、その目標に向かってつき進む、強烈なバイタリティをもっていた。秋元氏は副社長になったあと、あのマイケル・ジャクソンを販売促進のために日本へ連れてきた。ピーター氏は稼ぐだけ稼いだあと、会社を売り払い、今はシドニー郊外で、悠々自適の隠居生活をしている。生きざまを見たばあい、私は彼らほど個性的な生き方をしている人を、ほかに知らない。が、問題がないわけではない。

 実は私のことだが、この私とて、当時は彼らに勝るとも劣らないほどの、バイタリティをもっていた。が、結果としてみると、彼ら二人は個性の花を開かせることができたが、私はできなかった。理由は簡単だ。秋元氏は、その後、外資系の会社を渡り歩いた。ピーター氏は、オーストラリアへ帰った。つまり彼らの周囲には、彼らのバイタリティを受け入れる環境があった。しかし私にはなかった。私が「幼稚園の教師になる」と告げたとき、母は電話口の向こうで、泣き崩れてしまった。学生時代の友人(?)たちは、「あのはやしは頭がおかしい」と笑った。高校時代の担任まで、同窓会で会うと、「お前だけはわけのわからない人生を送っているな」と、冷ややかに言ってのけた。

 世間は、「個性を伸ばせ」という。しかし個性とは何か、まず第一に、それがわかっていない。次に個性をもった人間を、受け入れる度量も、ない。この三〇年間で日本もかなり変わったが、しかし欧米とくらべると、貧弱だ。いまだに肩書き社会に出世主義。それに権威主義がハバをきかせている。組織に属さず、肩書きもない人間は、この日本では相手にされない。いや、その前に排斥されてしまう。

 そんなわけで、個性を伸ばすということは、教育だけの問題ではない。せいぜい教育でできることといえば、バイタリティを大切にすること。繰り返すが、その後、その子どもがどんな「人」になるかは、子ども自身の問題であって、教育の問題ではない。
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【139】「皆さん、気をつけてくださいよ」・悪徳化する学習産業

 ある教材会社の主催する説明会。予定では九時三〇分から始まるはずだったが、黒板には、「一〇時から」と書いてある。しばらく待っていると、席についた母親(?)の間からヒソヒソと会話が聞こえてくる。「お宅のお子さんは、どこを受験なさいますの」「ご主人の出身大学はどこですか」と。サクラである。主催者がもぐりこませたサクラである。こういう女性が、さかんに受験の話を始める。母親は受験や学歴の話になると、とたんにヒステリックになる。しかしそれこそが、その教材会社のねらいなのだ。

 また別の進学塾の説明会。豪華なホテルの集会ルーム。深々としたジュータン。漂うコーヒーの香り。そこでは説明会に先だって、三〇分間以上もビデオを見せる。内容は、(勉強している子ども)→(受験シーン)→(合否発表の日)→(合格して喜ぶ子どもと、不合格で泣き崩れる母子の姿)。しかも(不合格で泣き崩れる母子の姿)が、延々と一〇分間近くも続く! ビデオを見ている母親の雰囲気が、異様なものになる。しかしそれこそが、その進学塾のねらいなのだ。

 話は変わるがカルト教団と呼ばれる宗教団体がある。どこのどの団体だとは書けないが、あやしげな「教え」や「力」を売りものにして、結局は信者から金品を巻きあげる。このカルト教団が、同じような手法を使う。まず「地球が滅ぶ」「人類が滅亡する」「悪魔がおりてくる」などと言って信者を不安にする。「あなたはやがて大病になる」と脅すこともある。そしてそのあと、「ここで信仰をすれば救われます」などと教えたりする。人間は不安になると、正常な判断力をなくす。そしてあとは教団の言いなりになってしまう。

 その教材会社では、中学生で、年間一二〇万円の教材を親に売りつけていたし、その進学塾では、「入試直前特訓コース」と称して、二〇日間の講習会料として五〇万円をとっていた。特にこの進学塾には、不愉快な思い出がある。知人から「教育研修会に来ないか」という誘いを受けたので行ってみたら、研修会ではなく、父母を対象にした説明会だった。しかも私たちのために来賓席まで用意してあった。私は会の途中で、「用事があるから」と言って席を立ったが、あのとき感じた胸クソの悪さは、いまだに消えない。

 教育には表の顔と、裏の顔がある。それはそれとして、裏の顔の元凶は何かと言えば、それは「不安」ではないか。「子どもの将来が心配だ」「子どもはこの社会でちゃんとやっていけるかしら」「人並みの生活ができるかしら」「何だかんだといって日本では、人は学歴によって判断される」など。こうした不安がある以上、裏の顔はハバをきかすし、一方親は、年間一二〇万円の教材費を払ったり、五〇円の講習料を払ったりする。しかしこういう親にしても日本の教育そのものがもつ矛盾の、その犠牲者にすぎない。一体、だれがそういう親を笑うことができるだろうか。

 ただ私がここで言えることは、「皆さん、気をつけてくださいよ」という程度のことでしかない。こうした教材会社や進学塾は、決して例外ではないし、あなたの周囲にもいくらでもある。それだけのことだ。
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【140】「二一世紀は暗い。一緒に死のう」・はびこるカルト信仰

  ある有名なロックバンドのHという男が自殺したとき、わかっているだけでも女性を中心に、三〜四名の若者があと追い自殺をした。家族によって闇から闇へと隠された自殺者は、もっと多い。自殺をする人にはそれなりの人生観があり、また理由があってそうするのだろうから、私のような部外者がとやかく言っても始まらない。しかしそれがもし、あなたの子どもだとしたら……。

 一九九七年の三月、ヘールボップすい星が地球に近づいたとき、世にも不可解な事件がアメリカで起きた。「ハイアーソース」と名乗るカルト教団による、集団自殺事件である。当時の新聞記事によると、この教団では、「ヘールボップすい星とともに現われる宇宙船とランデブーして、あの世に旅立つ」と、教えていたという。結果、三九人の若者が犠牲になった。この種の事件でよく知られている事件に、一九七八年にガイアナで起きた人民寺院信徒による集団自殺事件がある。この事件では、何と九一四名もの信者が犠牲になっている。なぜこんな忌まわしい事件が起きたのか。また起きるのか。「日本ではこんな事件は起きない」と考えるのは早計である。

 子どもたちの世界にも大きな異変が起きつつある。現実と空想の混濁が、それである。あの「たまごっち」にしても、あれはただのゲームではない。あの不可解な生きもの(?)が死んだだけで、大泣きする子どもはいくらでもいた。そして驚くなかれ、当時は、あのたまごっちを供養するための専門の寺まであった。ウソや冗談で供養しているのではない。本気だ。本気で供養していた。中には手を合わせて、涙を流しているおとなもいた(NHK『電脳の果て』)。さらに最近のアニメやゲームの中には、カルト性をもったものも多い。

 今はまだ娯楽の範囲だからよいようなものの、もしこれらのアニメやゲームが、思想性をもったらどうなるか。仮にポケモンのサトシが、「子どもたちよ、二一世紀は暗い。一緒に死のう」と言えば、それに従ってしまう子どもが続出するかもしれない。そうなれば、言論の自由だ、表現の自由だなどと、のんきなことを言ってはおれない。あと追い自殺した若者たちは、その延長線上にいるにすぎない。

 さて世紀末。旧ソ連崩壊のときロシアで。旧東ドイツ崩壊のときドイツで、それぞれカルト教団が急速に勢力を伸ばした。社会情勢が不安定になり、人々が心のよりどころをなくしたとき、こうしたカルト教団が急速に勢力を伸ばす。終戦直後の日本がそうだったが、最近でも、経済危機や環境問題、食糧問題にかこつけて、急速に勢力を拡大しているカルト教団がある。あやしげなパワーや念力、超能力を売りものにしている。「金持ちになれる」とか「地球が滅亡するときには、天国へ入れる」とか教えるカルト教団もある。

 フランスやベルギーでは、国をあげてこうしたカルト教団への監視を強めているが、この日本ではまったくの野放し。果たしてこのままでよいのか。子どもたちの未来は、本当に安全なのか。あるいはあなた自身はだいじょうぶなのか。あなたの子どもが犠牲者になってからでは遅い。このあたりで一度、腰を落ちつけて、子どもの世界をじっくりとながめてみてほしい。



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